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 安定した秋空が広がった土曜日、村谷は上記散歩を行った。今回は東京中心部にふさわしい名刹ばかりだ。
正午に都営三田線・
春日駅改札を出る。長い地下道を経て、都電路線巡りで何度も通過した春日町交差点に出た。

 先ずは
春日通りを冨坂方面に上がっていく。
道沿いの「mensho tokyo」の行列は平日よりは短い7人。濃厚なつけ麺が売り物なので、並んでいるのは若者だけ。

 冨坂名物の花壇は「坂道の会」の皆さんのご尽力で常に整然としていて、行く人の目を楽しませてくれる。
重厚な中央大学理工学部の脇を通過する。壁に「後楽園キャンパス建築中」の告知が張られていた。東京法律学校以来の伝統がある法学部が移転してくる予定。

 
伝通院前交差点で一旦春日通りと分かれて、三つ葉葵の紋が輝く正面の入り口から12番札所・傳通院に入った。応仁22年(1415)創建の古刹で、慶長8年(1603)に徳川家康が生母・於大の方の菩提寺として以来、徳川将軍家から手厚い庇護を受けることになった。ビル群に囲まれた広い境内に佇んでいると、ここだけに江戸の空間が残っているような気がした。

 門外に出て静かな小路を西進する。都立竹早高等学校の東門付近に、男女の学生さん数人が、にぎやかに昼休みのおしゃべり中。横を通過し東京学芸大学附属竹早中・小学校をぐるりと半周した。

 休憩スポットとして人気がある播磨坂に差し掛かる。本日もあちらこちらにあるベンチはすべて昼食を楽しむ人たちで埋まっていた。百五十本ある桜並木が有名で、昭和35年に坂道を舗装した際に植樹されたものだという。

 両側に愛知学生会館三河郷友会寮が並び立つ通りを抜けて、広々した教育の森公園に出た。入り口の池の水面に、早くも黄色く色づいた銀杏の木が映っている。青空に木霊するようにあちらこちらから家族連れの声が聞こえてきた。

 
大塚4丁目交差点で不忍通りに突当り、そのまま右折して坂道を上る。
大塚3丁目交差点からは一気に下り坂になる。右手に護国寺の緑が見えてきた地点で、北側歩道に移ると行列ができている。「弁当おかわり」の看板が出ていて、450円でボリュームがある弁当が売られていて、ここも食欲旺盛な若者に人気のようだった。

 13番札所・護国寺の境内に入ると、入り口右手に設けられたベンチはすべてランチを楽しむ人たちで埋まっていた。
元和元年(1681)に徳川綱吉が生母・桂昌院の願いで創建したもので、静謐な境内は傳通院と同様に江戸の風情が残されている。毎月18日の観音様の御開帳日には、大勢の人たちが訪れるそうだ。

 参拝を終えて
護国寺前交差点を横断、右手にある日本大学豊山高に続々と家族連れが入っていく。恒例の「豊山祭」が開催中。校名の由来は、隣接する護国寺が真言宗・豊山派だからだという。

 首都高速池袋線・護国寺出口横を通過。

 左手におしゃれな色と形の天井が印象的な建物が出現、日本女子大学の校舎だ。

 
目白台2丁目交差点で、目白通りに突き当りそのまま右折する。黒の上下のトレーニングウエアに身を固めてランニングしている若い女性とすれ違う。本日第一号のマスクなし美人は、引き締まった体型から日本女子大学の運動部員と認定、化粧っ気がないが、さわやかな美貌と見事なプロポーションに思わず振り返ってしまう。

 すっかりと気を良くして、明治通りの少し手前で目白通りと分かれ、左手の坂道を下る。途中でマスクなしの若いカップルとすれ違う。笑顔がさわやかなお嬢さんを、第二号のマスクなし美人に認定した。

 14番札所・金乗院(こんじょういん)に入った。天正年間(1573〜92)に中野にある宝仙寺の末寺として創建され、後に護国寺の末寺となった。江戸三大不動 ・ 江戸五色不動の一つである目白不動が祀られている。ここでも弘法大師像に参拝し年末に控えた4人目の孫の安産をお願いした。

 その先には右手に氷川神社、左手には怪談「乳房榎」で知られる南蔵院が続く。

 広大な工場の跡地がすっかりマンション群に生まれ変わった先にある面影橋神田川を渡った。橋の袂にある面影橋の説明版の前には、ハイキング中らしい同年配の男女数人が立ち並んでいた。

 左手下流、神田川沿いにある肥後細川庭園は省略して、新目白通りを横断し直進した。

 早稲田通りに出て左折する。数軒あるラーメン店の前には、若い男性たちの行列ができていた。

 古書店の店先で「イギリス人は理想がお好き」(紀伊国屋書店:緑ゆうこ著)の題名に惹かれて購入した(税込55円)。

 穴八幡神社に立ち寄り、ここでも安産祈願をした。境内を抜けて、隣接する15番札所・放生寺(ほうじょうじ)に参拝した。寛永18年(1641)に穴八幡宮の別当寺として創建された。御本尊の聖観音像は秘仏とされ、4月18日と体育の日のみに御開帳される。御府内八十八か所巡りでも立ち寄った。
数年前まで西早稲田に会社の施設が有った頃、毎年2月に行われた会議の帰途には必ず立ち寄りお参りしていたことを思い出す。

 早稲田通りに復帰して東進する。道の両側には食事や喫茶に向かうらしい早大生が、にぎやかにおしゃべりしながら歩いている。

 
弁天町交差点外苑東通りを横断すると、午後も1時半を回っているのに反対側の歩道に20人もの行列ができている。「自家製中華そば としおか」だった。帰宅後に調べたら営業時間は午前11時から午後2時まで限定で、座席数もカウンター8席と少ないが、2015年創業ながら3年連続でラーメンTOKYO百名店に入っているという人気店のようだった。

 歩道の反対側からマスクなしの外人女性二人連れと遭遇した。

 
牛込天神町交差点で右手斜めに坂道を上がると、徐々に人出が増えてきた。その先からは次々と人波が押し寄せてきて、流石は今や人気の神楽坂。左手奥の赤城神社は遥拝し、午後2時10分に神楽坂上交差点わきにひっそりと佇む16番札所・安養寺に到着した。平安初期の開山とされる古刹で、天正19年(1591)の江戸城拡張工事の際に移転したという記録が残っている。御本尊の十一面観音のほかに背丈が2mを超す黄金の薬師如来像が伝わっている。

 遅めの休憩は神楽坂で唯一広い白銀公園に向かう。大勢の家族連れや若者たちで混みあっていたものの、札所巡りの効用なのか何とか小さなベンチが一つ空いていた。いつものスタイルになり、まずは冷たい缶チューハイで汗で失った水分を補給する。
韓国海苔でチーズを巻き、カステラの切り落としで空腹を紛らわせた。

 次回は、神宮外苑・青山コースを歩く予定。(村谷 記)

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★2022年10月29日(土)「江戸三十三観音札所巡り 第3回(傳通院〜護国寺〜金乗院〜放生院〜安養寺)」