さんぽ

ホームへ

  小雨?の予報もあるため、村谷は都心の短い小石川七福神巡りを行った。
江戸期から親しまれている古刹に、男辯天を加えた八箇所を巡る標記コースが平成5年から始まった。

 正午過ぎに東京メトロ丸の内線・
茗荷谷駅改札を出る。曇天で微風、空模様はまだ大丈夫そうだ。

 春日通りを南下し、最初にすぐ右手にある徳雲寺に立ち寄った。老人の顔をした宇賀神・男弁財天を祀るお寺だ。境内左手にある弁天堂にお参りするが、扉が閉まっていて中は覗けない。足元には小さな池が設けられている。
参拝を済ませて門の入り口に来ると、自転車に子供を乗せた若いママとすれ違う。にっこりと会釈されたので、茗荷坂への近道を教えていただいた。穏やかな表情は少し弁天様に似ていた?かも。

 小石川5丁目交差点から右折し、短いながらも急な藤坂を下り、茗荷坂に右折する。丸の内線の高架を潜った先の右手の拓殖大学正門前に、赤い幟を発見、階段を上がった先が深光寺。本堂と恵比寿様に参拝して退出した。YSC散歩で何度も茗荷坂を通ったが、坂の上のお寺までは足を延ばしていなかった。

 藤坂を上り返し、春日通りを横断、桜並木で有名な播磨坂に入る。昼時とあって、沢山設置されているベンチのほとんどが、昼食や休憩中の老若男女に占領されていた。やっと空きを見つけて腰を下ろし、チョコレートナッツ休憩。みあげると青空が出て、雨の心配はなさそうだ。

 播磨坂桜並木交差点を右折し、1本裏道で並行する吹上坂を北上する。

 すぐ先左手の小石川パークタワー敷地内に、弁財天(若い女性の顔を持った宇賀神)が設置されている池=極楽水がある。YSC散歩でも何度か訪問済みで、竹やぶの中に設置されている木のベンチ二つは、昼食の男女各1人が使用中。

 池を確認してからさらに坂道を下り、左手の小ぶりなお寺・宗慶寺寿老人にお参りした。門前には、徳川家康の愛妾の一人で大奥を支配した茶阿局の菩提寺と、大きく記載されていた。72歳まで生きた晩年に、彼女が産んだ松平忠輝が家康の死後に二代秀忠により謀反の疑いで死を命ぜられたという悲劇が伝わっている。

 吹上坂を上り返し、信号を左折すると、進学校として名高い学芸大附属竹早小・中学校の敷地が続く。
それが途切れた先の右手に布袋尊を祀る真珠院があった。家康の母の実家・水野家のために創建されたものだ。

 左手には広大な敷地の寺院が出現、室町期創建の古刹で、のちに家康が母・於大の方を葬った際に、伝通院と改名した。何度も訪れているので今回は参拝を省略。

 すぐ前が大黒天を祀る福聚院。敷地はすべて幼稚園児の遊び場になっていて、表に園児が飛びださないように入り口は高い扉で閉ざされている。門前に「お参りの方はお入りください」との掲示があったので、扉近くで園児たちの面倒を見ていた綺麗な保母さんに開けてもらい、ドッジボールに熱中している園児たちを避けながら、何とか参拝を済ませた。

 伝通院の前から淑徳学園前の坂道を下り、えんま通りへと右折し、しばらく歩き こんにゃく閻魔でも有名な毘沙門天を祀る源覚寺 到着、参拝。

 水道橋方面に歩き、春日通りを渡って、文京区シビックセンター前を斜めに右折し、礫川公園に入ったのが午後1時過ぎ。
この先には手ごろな休憩場所がなさそうなので、空いていた木のベンチを借りて昼休みとした。いつのも楽な服装に変え、冷たい缶チューハイを一口、汗が引っ込んだ。30分余の休憩の後、出発。

 東京ドームシティ の敷地内にあるはずの福禄寿は、足ふみのトロッコ「コロッコ」の線路わきで見つけた。

 距離は短いが坂道が多くて運動になる
八福神を制覇し、水道橋駅から帰途についた。(村谷 記)

                     このページのトップへ戻る


                      前のページへ  次のページへ
.
.
.
.
.
.

★2021年9月29日(水)「小石川七福神巡り(茗荷谷駅〜水道橋駅)」