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 今年最後の?真夏日との予報が出たシルバーウイーク後半初日・秋分の日、村谷は浅草名所七福神巡りを行った。

 七福神とはいいながら、九つの寺社を巡るのが特徴で、古来、「九」は一桁の数字の中では最高で、究極を極めるという意味があるとされる。
各自社とも江戸時代から幅広く信仰されている有名処であり、一回りで約7キロメートルと手ごろな距離でもある。
 今回は後半二つの吉原神社 (弁財天)鷲神社(寿老人)は先週訪問したばかりなので天候も踏まえて割愛した。

 午前11時半、東京メトロ銀座線・
稲荷町駅改札口を出て地上に上がる。予報通りの快晴で、気温も高い。
浅草通りを東進し、1本目の左衛門橋通りを左折して住宅街に入る。今回は幅広い幹線道路を極力選ばず、暑さと蜜を回避する方針。
 当地松が谷は寺社が多い町として知られている。右手に赤い幟が見えた。
福禄寿を祀る矢先稲荷神社。寛永19年(1642)に三代将軍家光が京都に習い三十三間堂を設立して「通し矢」を行った際、とうどその矢先にあたったのが、当神社の名前の由来という。元禄の大火や関東大震災、東京大空襲などたびたび被害にあったが、住民からの信仰が厚く再建されてきた。

 参拝を終えて少し北上、かっぱ橋本通りへ右折する。真正面が東京スカイツリー。進むにつれて人出がどんどん増えてくる。
かっぱ橋道具街を横断する。通りの両側にあるお店はどこも混んでいた。開店してまもない「どぜう飯田屋」にもお客が次々に入っていく。

 六区入り口交差点で国際通りを横断する。今回はやや人出が少ないと思われる「奥山おまいりまち」を選んだ。路地からのぞける飲食店ではもうお酒が飲めるようだ。
木馬館大衆劇場では昼の部を観劇する人たちが入っていく。
大黒天が祀られている浅草寺の境内に入る。
 浴衣や着物姿の若い女性の姿が圧倒的に目立つ。隣に同じく和服姿の男性をつれたカップルも多い。
西側の階段から本堂に入る。大きな賽銭箱の前に5列もの行列ができているのも久しぶり。

 お参りを済ませて東側の階段を下り、隣接する浅草神社
(恵比須様) に来ると、いつものことながら人出が一気に減少したものの、珍しく短いお参りの列ができていた。

 裏道沿いに馬道通りに出て言問通りを横断し、YSCご愛用のコンビニでほうじ茶のペットボトルを購入した。裏通りをくねくね曲がりながら進む。すれ違う人はなく、完全な日陰道なのでマスクを外してお茶を飲みながら進む。

 江戸通りを横断して、池波正太郎生誕の地碑脇から待乳山聖天宮に入った。
毘沙門天が祀られていて、身体を丈夫にし家庭円満をもたらす大根や商売繁盛と財宝を表す巾着が奉納されることで知られる。境内には若い女性が各2人と若い男女が其々3組お参りしていた。

 次の今戸神社へも裏道を選択して広い境内に入ると、
福禄寿よりも縁結びのご利益にあずかるべく、若い女性たちがあちらこちらに。その中でもひときわ個性的な着物姿のまだ未成年と思しき女性が、母親らしい女性が持つカメラの前でポーズをとっていて、参拝者から注目を集めていた。

 村谷は、金属製の椅子に座って最初の休憩。本日開店したばかりのコンビニで買い求めたリスカ(株)の「しっとりチョコ(80g108円)」がほうじ茶にぴったりだった。

 次も隅田川沿いの通りを避けて、一本裏側の今戸通りを選択した。日差しがすっかり遮られてすれ違う人もほとんどいない。

 橋場不動院に入った。開運厄除けの
布袋尊が祀られている。先客が一組いてちょうど入れ違いだった。

 右手に白髭橋が見えてきて、明治通りを横断した正面が
寿老人を祀る石浜神社。広い境内の一角には昨年12月21日にオープンした茶屋「石濱茶寮 楽」が営業中。何組かお客が入っていた。参拝を終えたのが午後1時過ぎだった。本日はここで打ち止め。
どこかに「都鳥の碑」があるはずだが、社務所が開いていないのでわからず退出した。

 隅田川の土手に上がり、白髭橋で対岸に渡る。昼休憩は高層マンション・リバーサイド隅田の川沿いにある
高速道路下の小公園
先客はあったが何とか空いていたベンチを確保し、いつもの服装にくつろいであから冷えた缶チューハイをぐびり。しっとりチョコ・チーズ・バナナをつまみに大休憩した。

 帰途はバスで明治通りを南下し、
亀戸駅に出た。駅裏の店では「お酒を提供しています」というネオンが点滅していた。(村谷 記)

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★2021年9月23日(祝&木)「浅草名所七福神巡り(稲荷町駅〜白髭橋)」