★2021年9月17日(金)「東京下町八福神参り、前半(蔵前駅〜月島駅)」

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 村谷は台風来襲前の曇天を利用して、 東京下町八福神参り を行った。

 行程が長いので、今回は中間地点の蔵前からまずは南側を巡る。
全体を一気に回るのは少し長く、午後からの天候もやや不安なので二回に分けたもの。

 八福神の由来は不明ながら、中国にも同様の信仰があり、八の字が末広がりで縁起が良いことから、中央区と墨田区の著名な神社を巡るコースが自然発生的に出来上がったものと推定した。

 正午過ぎに都営地下鉄浅草線・
蔵前駅に到着し地上に出た。すこし霧雨がぱらついている。

 曇天微風の江戸通りを南下する。昼時とあって、道の両側は昼食を求めるサラリーマン・ウーマンの人たちが盛んに往来していた。

 蔵前警察署前交差点で蔵前橋通りを横断、すぐ先左手奥に第六天榊神社の大きな鳥居が見えた。

 東京八福神はご利益主体の神社巡りで、@第六天榊神社では健康長寿をお願いする。ワイシャツ姿のややメタボ体形(失礼、お仲間かも)の男性が熱心にお参りされていた。
続いて村谷が参拝して振り返ると、お参りを済ませて境内でペットボトルのお茶を飲んでいた。

 さらに江戸通りを南下し、JR総武線の高架を潜りぬけて浅草橋1丁目交差点で信号待ち。横にある串かつ でんがな浅草橋店 をのぞくと数組お客さんがいて、店頭に置かれた唐揚げ弁当も売れていたようだ。

 浅草橋神田川を横断する。川面には数隻の舟が停泊中。

 この先が二又に分かれていて、江戸通りと別れて左手の清杉通りを行く。この地下には
東日本橋駅の構内が広がっている。

 東日本橋交差点からは清洲橋通りに名前が変わる。相変わらず通りの両側の飲食店は繁盛していて、昼食を終えた人たちがカフェテラスで飲み物を堪能している。

 明治座の先から右折して、甘酒横丁に入った。ここでも昼休憩を楽しむ人たちと盛んにすれ違う。

 人形町通りを横断すると、右手は親子丼の有名店「玉ひで」の塀。まだ午後1時には10分もあるので、定番だった行列を期待したのだが、最後の一人が店に入っていくところだった。

 大正10年創業の京粕漬の魚久本店前を通過する。持ち帰り用の弁当がまだこの時間でも売れていた。

 甘酒横丁のどん詰まりにA「小網神社」の標識が出ていたので右折する。先客が3組あり、さすがに評判のパワースポットだ。強運厄除けのご利益がある。境内に設置された小ぶりな福禄寿をさすると、さらに効き目が増すらしい。特にお願い事がない村谷以外の参拝客は跪いてお参りしていた。

 新大橋通りまで出て左折する。いつも通過する銀杏神社=銀杏八幡宮&銀杏稲荷神社に初めて参拝した。

 道端にあったバス停のベンチで最初の休憩。チョコナッツを二かけら齧っていたら、バス待ちのお姉さまたちが座りたそうだったので席を譲った。

 人形町通りを横断してB水天宮に入る。もちろん安産子育ての神様で娘や孫たちとも来ている。拝殿前では初参りらしい若夫婦が、泣き止まない赤ちゃんを懸命になだめながら何とか写真を撮ろうと苦労していた。そのレンズに入らぬようお参りを済ませてから退出した。

 首都高速の箱崎JCTを潜ってすぐに右折し、箱崎湊橋通りを南下する。日本橋川に架かる湊橋のたもとに小さな案内板があった。かつて高尾稲荷があった場所だという。

 中国にまでその名が伝わったという美女だった三浦屋の二代目高尾太夫は、鳥取藩士の想い人がいたにもかかわらず仙台藩三代目伊達綱宗に体重と同じ重さの金3千両(6億円)を積まれて身請けされてしまった。その後も頑として意に従わず、綱宗の怒りをかい逆さづりにされ手打ちにされて、その遺体が流れ着いたこの場所に稲荷社が建てられた。歌舞伎では、市川猿之助のお家芸の一つで、「三浦屋騒動の場」として知られる。彼女は「仙台高尾」とか没年にちなみ「万治高尾」といわれる。その報いから、綱宗は幕府から蟄居を命ぜられ、有名なお家騒動が発生するのきっかけになったのだ。
 なお、高尾太夫の墓は現在、西巣鴨の西方寺と新吉原の春慶院にある。また、ここから少し東側に
高尾稲荷神社が設けられていて、毎年7月にはその霊をしのび地元町会が盛大にお祭りを行っている。

 亀島橋
日本橋川に突き当り、手前の八重洲通りへ右折する。

 中央大橋隅田川を横断する。人出が少ない橋の上では、モデルと思しき長身の若い男女2人が、お揃いのスポーツウエアを着て颯爽とポーズをとっていたが、村谷ではその名前は知る由もない。

 対岸の隅田川テラスを右折し、佃公園の先からC住吉神社に入った。交通安全祈願の神社なので、YSC散歩の無事をお願いした。時刻は午後1時半、まだ帰るには早い。

 徳川家康を主人公にでっち上げた村谷のつたない小説の舞台にしてしまった佃煮屋さんの木造三階建店舗は今だ健在だった。入り口のガラス戸に「働きたい方を求めています」との張り紙があったので、罪滅ぼしに応募してみようかと一瞬考えた。

 赤い橋が目立つ舟泊まりの周辺は、すっかり公園として整備されていて、手持無沙汰な老人たちが屯していた。

 月島の もんじゃストリートに足を延ばす。この時間でもそこそこの入りで、酒類の提供はなさそうなのにどこのお店も何組かのお客が入っていた。三番街にある肉屋に行ったが、もうレバーフライは売っていなかったので、清澄通りを門前仲町方面に引き返す。

 晴海運河に架かる相生橋のたもとにある
中の島公園で遅い昼休み。リラックスした服装で、冷えた缶チューハイとベビーチーズ&チョコナッツで大休憩。

 清澄通りを北上し、
門前仲町駅の上、永代通りを右折した。

 魚三酒場本店の入り口には「9月30日まで午後4時から8時まで営業しています」との張り紙がしてある。
解禁明けの10月1日(金)を楽しみに帰途についた。(村谷 記)

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