村谷の七福神シリーズの今回は、昭和52年創始と七福神めぐり自体の歴史は短いが、各寺社の由緒はなかなか深い下谷七福神を選択した。
正午に東京メトロ日比谷線・三ノ輪駅に到着した。地上に出ると国際通りが昭和通り合流し、さらに明治通りが交差する大関横丁交差点。角にあるマクドナルドには長い行列ができていた。JR常磐線を超えた先にはジョイフル三ノ輪商店街があり、魅力的なおかずが待っていて少し迷ったものの、午後の天候が万全とは言えないので寄り道は断念して出発。
国際通りの二本東寄りの道を南下する。
すぐ右手にある寿永寺に参拝する。寛永七年(一六三〇)に二代将軍秀忠の正室お江与方の菩提を弔うため、寿永法尼という人が庵室を営んだのが起源。動物慰霊のための放生会を行ったこともあり、布袋尊を祀る。本堂は鉄の扉が閉ざされていたので、布袋尊にお参りして退出した。
幸いにもすれ違う人がほとんどいないので、マスクをしまい込んだ。
右手に赤い幟が見えてきて、飛不動尊正宝院に参る。参道の両側にはずらりと飛不動の幟が続く。享禄三年(一五六〇)創建の修験場で、住職が奈良の大峰山に修行中、ご本尊が一夜で飛び戻ったのが名の由来という。その縁で航空安全の守護神ともされる。ここには参拝客が数人いた。
細い道を斜め南西に進み、西徳寺前交差点で国際通りを横断した。
広大な敷地に豪華な伽藍が立つ西徳寺には十七代目と十八代目の中村勘三郎の墓がある。
地名が竜泉と変わり、西進すると、右手に弁天院公園が出現、奥に弁財天を祀る弁天院のこぶりなお堂があり、参拝。寛永7年(一六二四)に不忍池にある弁天堂と同時に建立された姉妹弁財天。お堂を覗き込んだが、暗くて中はよく見えない。今は少しだけ残る弁天池は、近隣に居住していた樋口一葉作 「たけくらべ」 にも描かれていてかつては8千平方メートルの広さがあったのだが、大正12年に発生した関東大震災の焼土やがれき処理のため埋め立てられたという。
公園にあるベンチの一つを確保して、チョコレート休憩。
保冷バッグがら首筋冷却用タオルを取り出し装着して出発。
昭和通りに出て、マスクを装着して左折する。
東京メトロ日比谷線・入谷駅前で右折、金美館通りを西進する。
右手の小野照崎神社に立ち寄った。広い境内には3組が先着していて、お守りの購入や、お祝事などの相談中らしい。小野 篁ゆかりの神社で学業や技芸のご利益があるという。仕事がなくて生活苦に陥っていた渥美 清が日参し、その後「男はつらいよ」の仕事が入り、一気にブレイクしたことでも知られる。
境内にある国指定文化財「下谷坂本富士塚」は6月30日と7月1日以外は登れないので、塀の外から眺めた。村谷のお目当ては、境内にある囲碁の名棋士・藤沢秀行名誉棋聖(第1期〜第6期まで連続)を敬愛する弟子たちが捧げた記念碑で「強烈な努力」の文字が、その息吹を今も伝えている。なお、当神社は東京下町八福神の一つでもあり、近いうちには再訪する予定。
道を挟んだ反対側にある毘沙門天・法昌寺に参拝する。対照的に無人だった。由利徹、赤塚不二夫、山本晋也らが発起人となり、コメディアンたこ八郎を祀った「たこ八郎地蔵」があることで知られる。
金杉通りに出て左折し、弘法大師作と伝わる三面大黒天像が安置されている英信寺に参拝した。ここも人影がなかった。
根岸1丁目交差点で言問通りを横断し左折、六番目の入谷鬼子母神に参拝した。毎年7月6,7,8日には「朝顔まつり」が行われるのだが、2年連続で中止となった。今年、花屋さんが用意した朝顔は一鉢100円で販売されたそうだ。
言問通りを西に折り返す。地名が根岸に変わり、ラブホテルの看板が急に目立ってきた。電柱の上側に小さく「元三島神社」と書かれた矢印の看板を見逃さずに、小路へ左折し寿老人の元三島神社に到着した。七つの寺社の中では最も歴史が古く、弘安の役(一二八一)で活躍した河野通有が愛媛県大三島の大山祇神社に必勝祈願し、戦勝して帰陣後お告げを得て上野公園に分霊を勧請したのが起源という。今はホテル街に埋もれていて、往時は望めない。
午後1時過ぎ、鶯谷駅近くの陸橋近くにある鶯谷公園に入り昼休憩とする。藤棚下の木製ベンチが狙いだったが、近隣の高齢男女の喫煙室になっていて一向に空く気配がない。
やむなくそこからなるべく遠い石段の上にシートを広げて着座した。いつものくつろぎ態勢になり、缶チューハイを一息、最高の瞬間だ。ミックスナッツ、ベビーチーズ、バナナ、チョコレートをすべて平らげてから腰を上げる。本日はまだ、一万歩には達していないので、上野方面まで延長することとした。
鶯谷駅真横の歩道橋で、JR線をまたぎ超えて線路沿いに出た。まだ新しい駐車場があり、歩道が設置されていたので通行させてもらう。停車していたのは2台だった。右手には寛永寺輪王殿の広大な敷地が望める。
両大師橋を横断し、さらに線路沿いに進む。上野公園の様子が見えるが、土曜日とは思えないほど人出が少なかった。
東京文化会館の特徴的な建物が見えてきた。村谷が高校の修学旅行で初めて上京した時、上野駅で列車を降りて最初に目に入った時の夕方の静かな光景を思い出した。そのまま本郷の旅館に向かったのだった。
上野公園口改札を行き交う人の流れも、それほど多くはない。
その先、線路沿いの長い坂道を下っていくと、右手にあった建物群は一新されていて、何も見覚えがない。
信号を横断してアメ横に入る。ここも土曜日にしては盛り上がりは今ひとつで、呼び込みのおじさんやお姉さんの声がむなしく響く。チョコレートの叩き売りで知られた志村商店前にもお客が見えない。道端にはいくつもの飲食店が席を設けていて、どこでも堂々とアルコール類を提供していた。ふらふらと立ち寄りそうになったが、一人ではその気になれず通過。
ブックオフで少しクールダウンしてから御徒町駅から帰途に就いた。(村谷 記)
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★2021年8月21日(土)「下谷七福神めぐり(三ノ輪駅〜鶯谷駅)+上野散策」