本日はゲリラ豪雨の確率は低いとの天気予報だったので、村谷は久々に日本橋七福神巡りを行った。
正午過ぎに東京メトロ東西線・銀座線、都営浅草線・日本橋駅から地上に出て、昭和通りを横断して東進する。兜町の証券街を抜けて、鎧橋で 日本橋川を渡った。
かつて先輩諸姉たちが昼休みに屋上でバレーボールを楽しんだという旧安田生命本社だった場所に建つ小網町安田ビルを鋭角に曲がって、日本橋川沿いを西進する。
交差手先にある小網神社にまず参拝した。YSC恒例の年始散歩では、パワースポット人気に押されて長い行列ができるため、毎回遥拝せざるを得なかった。本日は先着していた参拝客は数人だけだったので、悠々と福禄寿にお参りすることができた。
良い匂いに誘われて、ウナギの喜代川の前に来ていた。うな丼のランチメニューは3種類あり、菊3,800円、竹4,400円、松4,950円、きも吸い330円だった。
蛎殻町交差点まで出てしまったので、そのまま新大橋通りを北上する。
普段と違うコースなので少し迷ったが、左手に茶ノ木神社を発見。布袋尊にお参りした。地名が入った法被を羽織った男性が、賽銭箱から回収中。これまで気が付かなかったが、すぐ横に社務所があった。ちょうどよい日陰になっていて、風も程よく吹いていたので、境内の石段の端をお借りしてチョコレートとお茶の小休憩。隣でも若いサラリーマンらしい男性が、同じ姿勢で休憩中。
再び新大橋通りに戻り、水天宮前交差点で人形町通りを横断する。
前を行く若い女性の後について水天宮の社殿に沿った日陰を利用して、境内に入った。
ここも二人の女性参拝客が、熱い日差しにめげず熱心にお参りしていた。少し日陰で待ったのち、宝生弁財天にお参りした。ビル内にあるお願い事をするための待機用となっている冷房が効いた待合室は、近隣のサラリーマン・ウーマンの絶好の休憩所になっているらしく、ほぼ満席だった。
地上に降り立って南側の裏道を抜けて、再び新大橋通りを横断し、大門通りに入る。すぐ先右手にある松島神社で 大国神にお参りする。ようやく一人切りかと思ったら、すぐ後ろに若い男性が続いていた。この暑さなのに、どこでも誰かがお参りしているのは感心した次第。
甘酒横丁に突き当り右折する。曲がり角にある人気の居酒屋「笹新」は、ランチ営業中。横町に面した正面入り口が「出口」になっていて、入り口は大門通りに面した通用口で、「2人以下」との制約付き。昼食激戦区の人形町ではなかなか厳しそうで、健闘を祈るだけだ。
緑道を渡った先からは、明治座通りに名前が変わる。
浜町公園前交差点で清洲橋通りを横断し、浜町公園に入る。まもなく午後1時なので、ランチを楽しむ人たちが減っているはずだ。
とりあえず一番南側にある清正公寺にお参りする。ここは無人だった。ふと前を見ると、頭上が竹の葦簾(よしず)張りでしっかりと覆われたベンチが3台並んでいて、1台が使用中。一つ間を空けて着座した。ベンチの幅や長さもたっぷりで、風通しも申し分ない。早速、昼休み用の服装に変えて、首には冷やしておいたタオルを巻き、定番のつまみを広げた。
缶チューハイがうまい。すぐに空いていた真ん中の席にも若い女性が着席。人気の休憩場所らしかった。
あまりにも居心地が良いので30分間をはるかにオーバー。いつのまにか周りには誰もいなくなった。
公園内を北上し、金座通りに突き当り、そのまま左折。久松町交差手で清洲橋通りを横断してから、左手の小路に入る。
笠間稲荷神社で 寿老人に、末廣神社で 毘沙門天にお参りした。両神社ともに先着の参拝客がいた。
小路伝いに人形町交差点に到着した。もう一つ椙森神社 (恵比須神) が残っているが、本日は気温33℃と好天過ぎるので省略し、帰途に就いた。
まだお盆休みの時期の昼時散歩だったが、お店はどこもそこそこの入りと持ち帰り客の姿が見られた。
次回以降も、近場から順番に都内の七福神巡りを続けていく予定。(村谷 記)
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管理人追記:本日、19日の国内の新型コロナ新規感染確認者数は過去最多の 25,156人。 重症者数も過去最多の1,765人、 死亡者数26人。18日の自宅療養者数96,709人
東京都では、木曜日で過去最多の 5,534人、 うち10歳未満 316人、10代 540人、 20代1,674人、3 0代 1,106人、40代 911人、 50代 621人、 60代 182人、70歳以上は 184人、 重症者は 274人、死亡者 4人。
東京都の、18日の自宅療養者数 22,226人、宿泊療養者数 1,807人、入院・療養等調整中の方 12,349人、入院者数は 3,815人。
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★2021年8月19日(木)「日本橋七福神巡り(日本橋駅〜人形町駅)」