今年の梅雨最終日、村谷は曇天のJR常磐線・亀有駅から午後1時に出発した。
こち亀のモデルになったらしい北口交番(南口にも交番があるが、亀有公園は北口にある)前から線路沿いに東進する。
両脇の食堂は昼食を摂るお客さんで元気に営業中の様子が覗き見えた。
亀有駅東交差点で環七を横断し、すぐ先にある曹洞宗・見性寺に入り、本日の無事と疫病退散をお願いする。境内には貉(むじな)塚があり、常磐線が開通した明治時代に汽車に化けて線路上で遊んでいた貉が本物の汽車にはねられたという伝説が残る。
環七に並行する裏道を南下し、亀有香取神社に参拝する。お参りを済ませてから、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』を用いた亀有紹介パネルを見学する。
また、ケーキを売っているおしゃれなカフェも営業中だった。
環七を渡り返して、駅南口の ゆうろーど商店街に入り、大勢の買い物客とすれ違いながら南下すると、あちらこちらに様々なポーズの両さん像が立っているのが目に付いた。
いったん右折し亀有新道を南下し、旧水戸街道 (水戸佐倉道)に突き当たると目の前に一風変わった 一里塚があった。
中央に黄門様、左右に助さん格さんの似顔絵を描いた三本柱でできている。
千住宿で旧日光街道から分かれてから一里の地点を示している。
さらに南下し、水路沿いの狭い路地をくねくねと歩いてみる。めずらしい子供用のおやつ「たくせん」を売っている店が残っていた。
亀有2丁目交差点で環七を横断し、水戸街道に復帰した。いつのまにか頭上に久々の青空が出てきていて、かつて吉田・清水両兄と故小川兄たちと旧水戸街道を歩いた時も暑かったのを思い出した。
中川橋で中川を横断すると、地名が新宿に変わる。江戸時代には新宿の渡しがあり、水戸街道や佐倉街道を行き交う旅人や帝釈天詣での人々で賑わっていたという。
左岸の土手道を南下し、階段を下りて住宅街に入り、右手にある西念寺に参拝する。浄土宗の古刹で、鯖大師像もあることから漁業に所縁があるらしい。
この付近に新宿一里塚(佐倉街道)があって、バス停にその名が残っている。
現在の水戸街道と交わる地点で左折北上する。この静かな遊歩道がかつて佐倉街道。突き当たりの五差路が水戸街道との分岐点で、佐倉街道は松戸まで北上していた。
交差点の一角が大きな桜の木々に覆われた小公園になっていて、木の下にあるベンチではやや高齢の男女数人が昼下がりの会話を楽しんでいたのでそのまま通過。
すぐ横に地蔵菩薩石仏群があり、旅人の目印だった一本松(の子孫)が健在だ。
さらに水戸街道を東進し、浜街道踏切でJR新金線貨物線を渡る。
都営新宿団地横交差点を右折し、昼食休憩場所へ向かう。
金町1丁目交差点で現水戸街道を横断し、小さな流れが続く小岩用水緑道を南下する。地名はもう金町に変わっていた。
緑道と別れて右手の新宿交通公園に入った。広い園内は、あちらこちらに横断歩道が設けられていて、子供たちが交通ルールを学べるように作られている。
虫網を片手に走り回ったり、よちよち歩きの幼児と一緒のママさんが数組いたので、遠慮して一番奥のベンチに腰を下ろした。
背中のタオルと靴下を脱ぎ去り、胡坐をかいてから缶チューハイを開ける。うまい。本日のおつまみは趣向を変えてミニアンパン。
軽い甘みが疲れを吹き飛ばす。思わず30分近くも休んでしまった。
園外に出て路地をジグザグと北上し、金町2丁目交差点で水戸街道を横断する。
駅まで斜めに続く金町栄通り商店街を進むと小売りの商店に加えて大衆酒場が次々と出現、陽が落ちた後の盛況ぶりが想像できた。
京成金町線の踏切を渡ると、すぐ先がJR線・金町駅だった。
2時間弱の軽い散歩でした。(村谷 記)
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コース
JR常磐線・亀有駅〜見性寺〜亀有香取神社〜旧水戸街道一里標〜中川橋(中川を渡る)〜西念寺〜小岩用水緑道〜新宿交通公園〜JR常磐線など・金町駅
<歩行距離:5.5km±α、歩行時間:1時間30分±α>
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★2020年7月31日(金)「疫病退散祈願散歩、葛飾区その4旧水戸街道歩き(亀有駅〜金町駅)」