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★2020年5月30日(土)「江東区内親水公園緑道散歩 その3 大横川(本所吾妻橋駅〜大横川〜木場駅)」

 <疫病退散祈願の為の親水緑道公園歩き 江東区第4回大横川(本所吾妻橋駅〜大横川〜木場駅)>

 本日の村谷は、大横川散歩を目指して、都営浅草線・
本所吾妻橋駅を午前11時過ぎに出発した。

 地上に出ると清澄通りの吾妻橋交番前交差点。弁当を売る販売員のお嬢さんやお兄さんの声があちらこちらから聞こえる。
メニューは和洋食・中華に交じりエスニック系が健闘していた。

 通りを東進し、業平橋から川面に降り立った。北十間川からの分岐点はすぐ北側の東武橋だが省略して南下する。
江戸時代には横十間川と並ぶ主要水路の一つで川幅も引けをとらない。木場付近まで南下した後、直角に西進して隅田川に注いでいる。このうち、業平橋から首都高速7号線が頭上を走る堅川との合流点までの間が、親水公園として特に整備されている。

 遊歩道部分と公園・親水池部分がきちんと分離されているので、自転車の乗り入れが制限されていて家族連れが安心して遊べる。
広々した草むらの木陰では、早くも昼食を広げている家族連れが目立つ。運動施設を使う人や、ジョギング、ベビーカーも多い。

 釣り堀はパラソルや麦わら帽子で身を固めた常連らしい高齢男性たちで3分程度の入りだった。

 今は
アジサイの季節だが、春にはずっと下流まで左岸中心に桜並木が華やかにピンクの花びらを競う。今は遊歩道にちょうど良い日傘になっている。

 春日通りを潜り抜けた先からは水草が生い茂った幅広い水路が出現し、小さな玉網を持った子どもたちが歓声を上げながら行き来している。
「お父さん、エビをとったよ」という男の子。ザリガニの名前を知らないようだった。

 報恩寺橋で蔵前橋通りを潜り抜ける。頭上を往来する車の流れはすっかり回復したようだ。

 長崎橋でいったん地上に上がり、津軽稲荷神社に参り疫病退散祈願した。目の前を走る北斎通りの右手にはかつて津軽藩の下屋敷があったことに由来するという。
2016年11月に開館したすみだ北斎美術館も屋敷の一角に位置している。

 JR総武線と京葉道路を横断すると、親水公園はテニスコートなどの運動場に変わるため、ぱたんと人出がなくなった。

 堅川の川筋と背中合わせになっている広い砂のグラウンドの端に、屋根付きのベンチが左右にあったので、空いていた右側をお借りして休憩。
正午を回ったところで暑い盛りだったが、日陰と川風で汗が一気に引く。缶チューハイとバナナチップスをつまみにいつものペースで小30分。
 この間に出会ったのは、ベビーカーを横に一息入れる若いお母さんと、一服しにきた高齢男性1人のみだった。

 首都高速7号小松川線を潜り抜けた先からは様相が一変する。親水公園部分はなくなって、両岸は遊歩道だけの「水辺の散歩道」が始まる。
足元はクッションの効いた砂地で、頭上は樹齢十分の桜並木がずっと続いている。すれ違う人がいそうもないのでマスクを外した。
 2本の桜の木をハンモックでつなぎ読書に耽る男性がいて感心した。それ以外は、陶器製のベンチに腰を下ろして喫煙中の高齢男性と都合二人だけだった。

 小名木川に突き当たり、いったん大門通りに迂回する。新扇橋の袂に猿江船番所跡の看板が立っている。中川船番所の補完的な役割を果たしていて、荷改めに加えて小名木川を通行する船舶から徴収した船賃や通行料の管理も行っていたという。

 さらに散歩道を南下し、仙台堀川に突き当たり、石住橋で迂回した。

 その先は川面が通行できないので、
豊住公園、大門通りを南進し、沢海橋に戻った。

 ここから先は大きく西に曲がって隅田川に至るのだが、本日はここまでとして永代通りを横断して洲崎神社に参拝を済ませ、午後1時半に
木場駅にゴールインしました。(村谷 記)

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 コース
  
都営浅草線・本所吾妻橋駅〜業平橋〜大横川〜長崎橋〜津軽稲荷神社〜猿江船番所跡〜豊住公園〜洲崎神社〜東京メトロ東西線・木場駅
     <歩行距離:5.5km±α、歩行時間:1時間30分±α>

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