さんぽ

★2018年10月13日(土)「秋津の史跡探訪(秋津駅から周遊)」

ホームへ
 秋津駅南口の改札前に滝澤・百石・山岡・田幸・村谷・山内の6名が集合した。
新秋津駅からの途上、打ち上げ適所を見つけてきたとの山岡の報告を受けて出発。
 
 東村山市ふるさと歴史館作成の「歴史のさんぽみち 秋津神社・地蔵堂コース」のマップが大雑把で外来者には、道案内の役をなさない。
ので、山内が地図検索アプリでスマホに向かって「秋津神社」と問いかけるとルート検索地図が表示された。
 山岡オススメの店で「午後2時頃来るよ」と言い残し、道案内に従い秋津中通りの商店街の中ほどで右折、新秋津駅北側の陸橋で武蔵野線線路をまたぎ越えて左折し、秋津神社に参る。
 
 今日は夕方まで曇天、夜には小雨もとの予報なので天候のことはお願いせず、本日の無事を願った。
次にスマホに向かって「氷川神社」と呼びかけると候補が山ほど出たようで、秋津の氷川神社に確定し、生産緑地や住宅の庭に植えられたカキの実やミカンの実が色づいている風景を楽しみながら氷川神社到着。
気温降下が急なこの頃、風邪気味のわが身の安寧を願った。
 
 次は「イッセキロクジゾウ」で音声検索すると、一発で一石六地蔵へのルートが表示されたようだ。
区画整理をしないうちに宅地化が進んでしまった?かつては農道だったと思われる道をたどる。
 
 ところどころにサトイモ・ダイコン・ニンジン・キャベツ・ブロッコリーなどが植わった畑もある肥沼姓の多い住宅街をそぞろ歩き、六角石柱の各面に、蓮座にのった地蔵立像が浮彫りにされている一石六地蔵が建つ地蔵堂(地域共同)墓地に入る。
 立ち並んだ墓石にも肥沼姓が多かった。
 
 昼食は清い流れの柳瀬川の河原で、と、秋津橋のほとりにある「光あまねしの碑(五光碑)」に行く。
  …草野心平氏は昭和38年から秋津に住み、あたりを自然のままという意味の「五光」と命名しました。その後、秋津橋のたもとに氏の筆により「光あまねし」の木柱が立てられましたがその墨痕も薄くなったため、昭和56年11月に地域の人々により、石の記念碑が立てられました。
 
 「光あまねしの碑」の横、3本のケヤキの大樹の下にテーブル付き8人掛けのベンチがあったので、ここで昼食とする。
山岡がムロアジのクサヤの干物を持ってきてくれたので、滝澤がちょっと離れたベンチの上で焼いて、ぬる燗を調合してくれて、
持ち寄りの肉製品、練り物、シシャモは村谷が炙ってくれた。
 クサヤ嫌いの3名はシシャモを頂き、クサヤ好きの3名は強烈な匂いを物ともせず日本酒にピッタリのアテとして美味しく頂いた。
 
 箱根駅伝予選会で明大や中大が勝ち上がったこと、プロ野球クライマックス戦ファーストステージが今日から開幕。
監督交代の話から原 辰徳巨人監督復帰・再々登板“内定”の是非など、話はあれこれ。
 
 すべてを平らげて、ちょっと上流の柳瀬橋、柳瀬川歩道橋のたもとに、いくつかの石仏が祀られているので、訪れた。
そのうちの馬頭観音は、1781年(安永10)のもので、大切な輸送力であった馬を供養し、道行く人々の安全を祈ったもので、1707年(宝永4)の立派な庚申塔も並んでいました。
 
 と、百石に通りがかりの中年女性から声をかけられ、「ゴールを豊島屋酒造の酒蔵になさったら」とのアドバイスがあり、百石は興味を示したが、
村谷が「どのくらいの距離?」と聞くと「私の母校の中学校の先、1.8kmほど」との答え。村谷から「秋津駅から遠くなるので、却下」。
 
 秋津駅への道を訊くと、ほぼ 来た道を戻るとのことで、スマホの指示に従い、「光あまねしの碑」の横、氷川神社の前から秋津中通りに出て、新秋津駅を通過し、サイゼリヤが入ったビルの1階にある「やきとん あさちゃん クロスコート秋津店」に入り、最奥の¨Reserve”の札が載ったテーブルに落ち着き、生ビールやホッピー+焼酎で乾杯。
 
 やきとん各種にトマトなどと、本格芋焼酎「薩摩 こく紫」1本で軽く〆ました。

                     このページのトップへ戻る

 コース
  
西武池袋線・秋津駅南口〜秋津神社〜氷川神社〜一石六地蔵〜光あまねしの碑〜馬頭観音〜庚申塔〜秋津駅(〜新秋津駅)
     <歩行距離:4.5km±α、歩行時間:1時間150分±α>

   東村山市・歴史のさんぽみち「秋津神社・地蔵堂コース」を参照して歩きました。

                      前のページへ  次のページへ