★2018年4月10日(火) 「小石川七福神めぐり(茗荷谷駅〜水道橋駅)」
<4月10日(火)小石川七福神巡り(茗荷谷駅〜水道橋駅)>
快晴、微風の東京メトロ丸の内線・茗荷谷駅春日通方面改札前に滝澤・田幸・村谷の3名が集まった。
次々に改札から出てくる女子高生や女子大生に圧倒されながら、少しは眼福を得てから小石川七福神巡り(「猫の足あと」さんのページ)に出発。
江戸時代は茗荷の名産地だったらしい名残の茗荷坂を下ると、駅で集合していた同行の士&女士十数名が先行していた。
林泉寺に西門から入る。他の寺でもお目にかかった縛られ地蔵がおでましだが、3人ともすぐには急ぐお願い事がないので、修復中の仮本堂に参拝してから退出する。
坂道を下り隣接する深光寺(恵比寿)に入り、滝澤と村谷が恵比須様を挟んで撮影。
本堂左手には滝澤馬琴のお墓があって、没年78歳は当時としては長寿だが、同姓の滝澤には感慨があるようだった。
坂道を下り、東京メトロ丸の内線の線路を潜り抜け、真正面にある伝明寺に参拝する。「藤寺」の名にふさわしく、すでに藤の花が開花していて、八重桜とのコラボレーションを楽しむ。
寺の左手の藤坂=富士坂を上り、春日通りに出た。この坂の上からは江戸時代や明治・大正期には、当然に富士山が臨めたはず。
少し茗荷谷駅方面に戻り、徳雲寺(弁財天)に参拝する。弁財天の姿が「男性の顔の人頭蛇身」(「歩いてみたブログ」さんのページ)のユーモラスなスタンプ印で見られる。
都内でも有数の桜の名所・播磨坂へ出た。残念ながら葉桜だったが、鎌倉の段葛と同じく、車道から分離された遊歩道を下ることができる。
播磨坂桜並木交差点を右折して、吹上坂を左折し、マンション・小石川パークタワーの敷地の公開緑地内に江戸期の名水として知られた「極楽水」の井戸が残っていたので立ち寄ると小さな弁天様が立っていた。
隣接する宗慶寺(寿老人)には木彫像の寿老人が祀られている。
昼近いので、村谷が予定していた小石川4丁目児童遊園で、軽めの昼食タイムとする。YSC散歩の花見の総括から始まり、来月の台北旅行や7月恒例の信越クラブ、11月のタイ旅行などの話題ででいつもの通り1時間の大休憩。
続く真珠院(布袋尊)には徳川家康の生母・於台の方の生家である水野家の墓があり、ライザップとは無縁な布袋尊をに参りし、お互いの健康長寿を祈った。
すぐ前の伝通院は、他を圧する造作で於台の方の菩提寺にふさわしい。見事な枝垂れ桜は少し遅かった。
続いて、境内がすべて幼稚園の遊び場になっている福聚院(大黒天)に行くと、折よく園児の下園時間だったので門が開いていた。前回は参拝できなかった分を含めてお参りして退出する。
日差しが強くなってきて、善光寺坂を少し汗をかきながら下る。
左手の小高い場所にある沢蔵司(たくぞうす)稲荷に参拝し、小休憩。
善光寺に参って、小石川3丁目交差点で仙川通りに右折、右手のこんにゃくゑんま・源覚寺(毘沙門天)に入り、毘沙門天にご対面。平日ながら次々と若い男女が、一人または二人づれでお参りに訪れてきて、熱心にお願い事をしていた。
さらに南進し、左手の文京シビックセンター25階の展望室で、都内各地の名所を遠望していると、先ほどから何回も遭遇している同年配の七福神めぐりのグループが追い付いてきたので、先にエレベーターで地上に戻る。
最期の福禄寿は東京ドーム22番ゲートそばの総合案内所の、案内嬢から教えていただき、年寄りには怖すぎるアトラクションを望む一角にあった。
東京ドームシティ・ジオポリスゾーンにあった錦秋稲荷神社にも参り、外苑通りを渡り、総武線を潜り抜けて、水道橋駅西口近くのダンダダン餃子・水道橋店に入店し、肉汁餃子と山盛りキャベツをつまみに黒ホッピーセットで軽く締めました。(村谷 記)
管理人付記:田幸は歩き足りないので、遅咲きの駿河台匂桜を訪ねて 太田姫稲荷神社 と 駿河台道灌道に行ってみました。桜花は散りかけていました。東京ドームで行われた巨人 vs DeNA戦、巨人は4連敗となりました。
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コース
東京メトロ丸の内線・茗荷谷駅〜茗荷坂〜林泉寺〜深光寺〜伝明寺〜藤坂〜徳運寺〜春日通り〜播磨坂〜播磨坂桜並木交差点〜極楽水跡(緑地)〜宗慶寺〜小石川4丁目児童遊園〜吹上坂〜真珠院〜伝通院〜福聚院〜善光寺坂〜沢蔵司稲荷〜善光寺〜こんにゃくえんま・源覚寺〜千川通り〜文京区シビックセンター展望ラウンジ〜東京ドーム22番ゲート前広場・総合案内所〜東京ドームシティ・ジオポリスゾーン・錦秋稲荷神社〜水道橋駅
<歩行距離:5.5km±α、歩行時間:2時間±α>
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