★2018年1月10日(水)「東海七福神めぐり(品川駅〜大森駅)」
<1月10日(水)東海七福神めぐり(品川駅〜大森駅)>
快晴の品川駅、京浜急行電鉄の1階改札付近に、滝澤・野呂・田幸・山岡・村谷の5人が集合した。風が強まるという予報だが、まだ街道筋でもそれほどの気配は感じられない。
先ずは正月恒例の箱根駅伝中継でおなじみの第一京浜を西進し、八ツ山橋で駅伝コースとはいったんお別れし、京急の踏切を横断して旧東海道・品川宿に入った。街道筋の両側の建物が絶好の風よけになっていて、燦燦と照り付ける日差しが心地よい。
元旦から15日までの間は東海七福神(「歩いてみたブログ」さんのページ)の幟が立てられていて、お目当ての寺社が探しやすくなっているのはありがたい。
最初の訪問先は寿老人・一心寺(「猫の足あと」さんのページ)以下同じ。江戸末期の開設と東海七福神では最も新しいが、黒船来航など騒然とした中で、江戸の裏鬼門に当たる品川宿を守護する目的で創建されたお寺だという。本尊は不動明王で成田山の幕が飾られていて、昨年末に村谷が参拝した時と比べると華やかな装いになっていた。
2番目は街道の反対側にある布袋孫・養源寺。丑寅年生まれの守り本尊だという。境内には我らと同様だが、山岡の推定によれば平均年齢が10歳超一団の参拝客が詰め掛けていた
裏道に沿って再び第一京浜に出て、北品川3丁目の交差点を渡り、大黒天・品川神社に参拝する。今回の七福神の中では飛びぬけた由緒があり、源頼朝・太田道灌・徳川家康との所縁がある神社だ。葵の御紋があちらこちらに表示されていた。短いながらも本日唯一のアップダウンコースで、第一京浜からの急階段と富士塚を上り下りしたので絶好の足慣らしになった。
北品川2丁目交差点から山手通りに右折し、角のコンビニでつまみ調整の買い物を行う。
道なりに旧東海道に復帰して西進、目黒川に突き当たり本日4番目の恵比須・荏原神社に参拝する。目黒川に架かる真っ赤な欄干で有名な神社。入り口に聳えた寒緋桜は早くも蕾が紅く膨らんでいた。
川沿いには小公園がいくつかあるが、海風をよけて西進し、三方を建物に囲まれた街道松の広場を昼食場所に選んで着座した。
先ずは今年も元気で歩き始めることができたことに乾杯。
各々趣向を凝らしたつまみを、滝澤手練の熱燗で心ゆくまで堪能する。
街道筋傍の広場とあって、立ち寄り?冷やかし?うらやましい?来客が多い。
顧客担当には隙がない山岡が如才なく応対してくれた。中の一人が当地町会の会長さんで、広場の利用者でもマナーがよくない人がいるが、皆さんはきちんとしていて素晴らしいとの言葉をいただいたので、広場内のごみを一掃してから退出した。
小型犬を2匹連れたやや大型の女性が二度も声をかけてくれたので、昼食の仲間にお誘いしようかと迷ったが、犬の分まで食料がないのでこれまた山岡が見事に対応した。
青物横丁駅に通じるジュネーヴ平和通りを横断しすると、左手には村谷も昨年末に買い物をした安売りで有名な鮮魚店・魚富士が出現する。さかな通の田幸がみてもなかなかの品ぞろえだが、あいにく器を持参していないので通過。
続いて5番目の毘沙門天・品川寺に着く。名前に恥じない当宿場を代表するお寺で、江戸六地蔵の第一番としても知られる名刹だ。
お参りを済ませてさらに進む。右手にある品川宿随一ともいわれる そば懐石 立会川 吉田屋の駐車場には高級車が停車していた。
なみだ橋で立会川に突き当たったので商店街を駅方面に右折して、坂本龍馬像にお参りした。激動の幕末ではきっと用地を駆け回っていたのだろう。
橋を渡り裏門から6番目の福禄寿・天祖諏訪神社に参拝した。先行していた同好の一団もややお疲れ気味の様子だった。
さらに南下し、八百屋お七などが処刑された鈴ヶ森刑場跡で、再び第一京浜に合流して西進、京急大森海岸駅横の歩道橋を横断すると程なく、本日7番目の弁財天・鈴森八幡宮 磐井神社に到着した。幾度もの戦火にもかかわらず古式を残すという。
本日は一切手抜きをせずに、昭和七年に品川が大東京に編入されたのを起源として初詣された東海七福神を無事参拝できましたので、参加したわれら一同の「七難即滅七福即生」(「七福神の家」さんのページ)を確認することができました。(村谷 記)
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コース
JR、京浜急行・品川駅〜第一京浜〜八ツ山橋〜旧東海道品川宿〜一心寺〜養願寺〜北品川3丁目交差点(第一京浜を横断)〜品川神社〜旧東海道に戻る〜荏原神社〜目黒川を横断〜街道松の広場〜ジュネーブ通りを横断〜品川寺〜立会川駅前の坂本龍馬像〜泪橋(立会川を横断)〜天祖諏訪神社〜磐井神社〜JR・大森駅
<歩行距離:7km±α、歩行時間:1時間50分±α>
※「しながわ観光協会・東海七福神」などを参照し、品川駅から歩きました。
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