真っ青な空の下、少し風が強いJR山手線・駒込駅北口改札前に、田幸・百石・山岡・村谷の4人が集合した。
本郷通りを横断してすぐ正面にある大國神社に参拝し、まずは本日の道中無事をお願いした。
駒込橋で山手線を横断し、右手にある六義園を目指す。
桜と紅葉の時期にのみ開いている北門は閉まっているので、南側の正門から入場した。
300円の入場料は、65歳以上の1人が150円、65歳以上かつ大人の休日クラブ会員の3人が120円とは嬉しい。
門内すぐ右手に当園の開設の趣旨が書かれていて、徳川5代将軍綱吉の側近として有名だった大老・柳沢吉保が、和歌の造詣が深く長年憧れてはいたものの訪れることができなかった紀州(和歌山県)の名勝・和歌の浦を模して、元禄15年1792)に自ら設計・指示して造った回遊式築山潜水庭園だったと初めて知った次第。
戦時中の昭和17年(1942)に国の特別名勝に指定されている。
有名な枝垂れ桜は花が咲いてなくても見事な風情だ。
松の木の雪吊りがすっかり完成されていて冬の風情が感じられる。
池の中の(錦)鯉は、体形&体重ともに貫禄十分。キンクロハジロなどの渡り鳥は広大な池の面積に比してまだ少ない。
四方を塀に囲まれたロケーションのため、まったく風がなく日差しが燦燦と照り付けていて暑いくらいだ。
園内には数組の観光客がいたが、われら以外の会話はすべて日本語ではなかった。
出入り口にある注意書きも英語と日本語のダブル標記でした。
園外に出て本郷通りを南下し、不忍通りとの交差点を渡った先の左手にあるコンビニでつまみ調整の買い物を済ませて、続く住宅街の中にある富士前公園に入った。
平日の午前中とあって誰もいない園の一角でシートを広げる。
まずは、雲一つない青空と無風のお天気に感謝して乾杯。
続いてコンロ担当の村谷がつまみの一部を炙り、ヌル燗を提供する。
残り僅かな1年の回顧?反省?をしたのち、来る新年への思いをそれぞれ披歴していたら、正午の鐘とともに幼児と母親がどっと繰り出してきて話の続きは有耶無耶になってしまった。
先週の月曜日に参拝したばかりの富岡八幡宮での事件など話題は尽きなかったが、ヘルシーなつまみもなくなってしまったのでお開きにして出発。
隣接する富士神社に、急な階段を登って参拝する。
江戸期からの見事な富士塚の上にある神社として崇敬されているが、一同は初訪だった。
本郷通りにて戻って南下、左手の榎本武揚の墓や二宮尊徳の墓碑がある著名な吉祥寺に立ち寄る。
明暦の大火で当寺に避難した八百屋お七がこの寺にいた美僧に恋をして火付けをした話は有名。
現在人気の町・武蔵野市吉祥寺の由来もこのお寺だ。
数々ある当地のお寺の中でも最大級の規模を誇り、境内正面を縦断する銀杏並木もなかなか見事だ。
東京メトロ・本駒込駅周辺は寺町として知られているが、寺院が多すぎるので江戸五色不動の一つ目赤不動 ・ 南谷寺と、定泉寺を選択しお参りした。
定泉寺は江戸三十三観音(「猫の足あと」さんのページ) の第9番でもあり、村谷は11月に続き二度目のお参り。
向ヶ丘1丁目交差点を左折し、左手にある高層建築の日本医科大学先の根津神社に入る。
ツツジの最盛期とは異なり静かな境内を摂末社の乙女稲荷神社の赤い鳥居群をゆっくりと通過して、ここも外人さんが多い本殿前で参拝する。
不忍通りに出て南下、左折し、へび道を下って上野公園の不忍池に出て、池畔のベンチで最後の休憩をとったのがちょうど午後2時だった。
所要のある山岡と別れた三人は、(京成)上野駅前の中央通りを渡ってアメ横に入る。ここも大変な人出だったがだいぶ日本語が優勢のようでやれやれ。
JRの線路下を潜り抜け、一本東側の通りを南下し、日高屋上野店に入店し、餃子&ニラレバ炒めをホッピーなどを食して、本日の散歩を締めました。(村谷 記)
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コース
JR山手線、京浜東北線、東京メトロ南北線・駒込駅北口〜本郷通り〜駒込橋交差点を右折〜六義園〜不忍通り〜富士前公園〜富士神社〜富士神社交差点(本郷通り)〜吉祥寺〜目赤不動〜向ヶ丘1丁目交差点〜日本医科大学前〜根津神社〜不忍池〜アメ横〜JR山手線など・御徒町駅
(歩行距離:6km±α、歩行時間:1時間30分±α)
※1,2のoh!散歩隊「根津から六義園、駒込へ」を参考に歩きました。 ←ページが削除されたようです。
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★2017年12月12日(火)「城北地区の寺社と公園巡り(駒込駅〜御徒町駅)」