さんぽ
★2017年1月7日(土)「日本橋七福神めぐり(小伝馬町駅〜水天宮駅)」
ホームへ
七草がゆでおせちの食べ疲れを補い、勇躍、東京メトロ日比谷線・
小伝馬町駅
地下2階改札前に集合したのは、菅野・滝澤・野呂・村谷の4人。
土曜日で混雑が予想されるものの、省略せずに
日本橋七福神
(「猫の足あと」さんのページ)
すべてを回ろうと確認し、地上に出ると快晴・弱風の絶好の散歩日和だ。
七福神には入っていないが折角なので
十思公園
に立ち寄る。幕末に
伝馬町牢屋敷
(「帝都を歩く」さんのページ)
に捕えられ、ここで処刑された吉田松陰終焉の地碑にお参りする。
享年30歳を確認し、夫々はるか昔の自分の姿を回想する。江戸の時を刻んだ石町の時の鐘を見上げつつ公園を半周し、隣接する大安楽寺にも参拝。
交差点を渡り、高齢男女グループや家族連れとともに人形町通りを東南に進む。
小路を一本入った先にある
椙森神社(恵比寿神)
に参る。
西暦940年に平将門に戦勝した藤原秀郷が白銀の狐を奉納したのが起源という。普段は人気がない静かな神社だが、参拝客で列ができていた。
我らは時間がかかるので御朱印なし。
日当たりがよい裏道伝いに金座通りに出て人形町交差点を渡る。四方はすべて高層ビル街に変貌していて、昭和30年代に当地に勤務経験があった3長老は昔日の感を覚えていた。
大門通りに右折して、二つ目の
末廣神社(毘沙門天)
に着く。
裏道沿いの小ぶりな社だが、列ができていて判り易い。西暦1596年以前に稲荷祠として鎮座された。
男性ガードマンが見事な仕切りで参拝のみと御朱印組に分けていて、スムーズにお参りができた。
そのまま東進し、西通りの緑道を横断、
笠間稲荷神社(寿老人)
に参る。
江戸末期の西暦1859年に笠間藩主牧野公が地元の日本三大稲荷の一つ笠間稲荷神社から江戸下屋敷に奉斎したという。
参拝者の列が表通りまではみ出したので、立派な衣冠束帯に身を固めた宮司さんが列を並べなおしていた。
境内では七福神詣りに必要な用具一式が並べられていて、次々に売れていた。
久松町交差点で清洲橋通りに右折、
明治座
を半周する。
1月度の出し物は由紀さおりだが、2月は三山ひろし・山内恵介などの若手歌手で、時代の流れを感じた。
浜町公園
(「1000円もって公園へ行こう!」さんのページ)
に入る。風がないので隅田川テラスまで上り、大きな木のテーブルを確保した。
持ち寄りのツマミをテーブルに並べて乾杯。新年も元気に街歩きができたことに感謝する。背中と顔に強い日差しが照り付けてきて、思わず一枚脱ぎ捨てる。
滝澤が熊本県のアンテナショップで調達してくれた五木村特産の豆腐の味噌漬けはじめ、魚菜類主体のヘルシー素材を堪能しながら年間年始の情報交換。
余った乾き物は次回への繰り越しとして出発。
明治座通りを抜けて
甘酒横丁
に入る。ビルが散見されるようにはなったが、昭和の香り豊かな商店が軒を重ねる。甘酒を売っている店があった。
東京3大鯛焼き
で名高い
柳屋
はいつもより長い行列ができている。
人形町通りを横断すると、右手の
玉ひで
では土曜日にもかかわらず親子丼目当ての行列があった。
日本橋小学校先で小路を右折し
小網神社(福禄寿)
に来ると、本日最長の列ができていたがためらわずに並ぶ。なかなか前に進まなかったのは、日本橋方面から最も近いことと、三列に列を並べなおす係りが不在のためだったようだ。
続いて五番目は
茶ノ木神社(布袋尊)
。
佐倉城主堀田家の上屋敷に祀られていたもので、周囲の土堤芝の上に丸く刈り込まれた茶ノ木が巡らされていたからこの名になった。
人形町通りを横断して大門通りに出て
松島神社(大国神)
。
鎌倉時代には海だった当地に浮かんでいた小島に、航海安全の燈火を掲げたのが起源という。
新大橋通りに出て締めは昨、昨年社殿が一新した
水天宮(宝生弁財天)
。
宝生流能楽に所縁の弁財天で、広い境内は願掛けの参拝客も交じり込み合ってはいたがスムーズに参拝を終えることができた。
裏道から新大橋通に戻ったすぐの、
日高屋水天宮前店
に入店、すぐに一番奥の6人席を確保した。
生ビール・レモンサワー・ホッピーと4人4様の飲み物に分かれて乾杯、定番の餃子などで新春初歩きを締めました。(村谷 記)
このページのトップへ戻る
コース
東京メトロ日比谷線・小伝馬町駅〜人形町通り〜椙森神社〜人形町交差点〜金座通り〜末廣神社〜笠間稲荷神社〜明治座横〜浜町公園〜明治座通り〜甘酒横丁〜大門通り〜松島神社〜茶ノ木神社〜甘酒横丁〜小網神社〜江戸橋(日本橋川)〜東京メトロ半蔵門線・水天宮駅
<歩行距離:4km±α、歩行時間:1時間30分±α>
※
人形町商店街「日本橋七福神めぐり」を参照して歩きました。
前のページへ
次のページへ
,
,
,