旅程概要 田幸記  シェムリアップの地図   シェムリアップの地図

  お願い:
下線を引いた箇所をクリックすると、関連ページにリンクしますが、指差し印が出る場所が狭いのでご留意ください。


★11月12日(水)

  成田空港 第一ターミナル−4階 出発ロビーレストラン街の「マクドナルド」前、集合7:30
 滝澤・小林・田幸・森・中田・村谷・菊池(和)・鈴木(達)の8名

  成田空港発  9:30 ベトナム航空 VN301便

  ベトナム・ ホーチミン・タンソンニャット空港  着13:50(日本時間15:50)

  ホーチミン発 15:55 ベトナム航空 VN3821便

  カンボジア・シェムリアップ空港 着16:55(日本時間18:55)

  観光ビザ取得後、カンボジア入国

   …申請用紙は空港にありましたが、自宅でA4用紙にプリントアウトした空港取得用カンボジアビザ申請用紙を150mm×210mmに切って、パスポート用の35mm×45mmのメガネや帽子なしの写真を貼ったもの を持って行き、パスポートと30$を添えて提出しました。


        ※ 「カンボジア王国観光省」の日本語ページ

        ※ 「カンボジア情報サイト検索結果のページ 

        ※ お役立ちカンボジア情報が満載!現地発のマガジン&総合情報サイト「クロマー」

        ※ 「ジェトロ カンボジア」

  日本人ボランティア&観光客向け宿「IKI IKI Guest House」のスタッフがお出迎え。トゥクトゥク1台(3$)に2人乗車でシェムリアップ市街にある宿へ

  シェムリアップ、プノンペン、ホーチミンに咲いていたのは「南洋櫻花」か?「羊蹄甲」か? 「洋紫荊=バウヒニア=Bauhinia」の仲間のようです
   ⇒ 羊蹄甲の仲間の花、(「国立臺灣博物館の「羊蹄甲屬三兄弟」のページへ)    洋紫荊は香港旗(香港特別行政区区旗)の花です

    ベトナムの花々
    ⇒ベトナム盆栽もありました。…ホーチミン市の「統一会堂」などに盆栽が飾られていました

   夕食は、菊池さんの知人・シンソポールさんと 「K.T.V. 2.88$/1h (以下読めない)レストラン」にて

  「Iki Iki ゲストハウス」   泊菊池・鈴木、小林・田幸、滝澤・村谷、森・中田


★11月13日(木) アンコールワットの地図  アンコールワットの地図

     「21世紀のカンボジアを支援する会」  ふれあいの旅 に参加しました

  世界遺産・アンコールワット観光

  8:00〜 「ゴルフ・アンコールホテル」 〜 アンコール遺跡パス料金所 〜 「アンコール・トム」…バイヨン寺院がある 〜 「タ・プローム」
 日本人観光客向けレストラン 「Cafe Moi Moi」で昼食、食事中にスコールが降り・止み、土産物店「マダム サチコ アンコール クッキー」 併設の「カフェ プカプカ」で田幸たちがマンゴーかき氷を食し〜ゴルフ・アンコールホテルで休憩〜「アンコール・ワット」 第三回廊前でまたスコールに見まわれ待機後、中央回廊への斜度70度の急階段を登り下りしました 〜宿、休憩

         ⇒ ※ 「アンコール遺跡群ガイド」さんのページ 

         ⇒ ※ 動画サイト:You Tubeに「アンコールワット遺跡観光」がありました 

         ⇒ アンコールワット遺跡群を訪問した「のぶなが」さんのページ

         ⇒ 
「和田フォトギャラリー」さんの「カンボジア世界遺産」のページ


  アプサラダンス鑑賞(19:00〜 「Koulen U」 にて、ビュッフェのディナー付き)

         ⇒ ※ 動画サイト:You Tubeに「Koulen Uのアプサラダンス」がありました。 

         ⇒ ※ 「カンボジア伝統舞踊アプサラダンス」と『乳海攪拌』の記事がある大東文化大学のページ

  
「IKI IKI Guest House」


★11月14日(金)

   「ふれあいの旅」(募集案内のページ) に参加

  水上生活者の村訪問〜バスでプノンペンへ

 
 8:00〜ゴルフ・アンコールホテル〜 トンレサップ湖  ・湖に浮かぶ メイチュレイ村・メイチュレイ小学校、民家を訪問〜「Sofitel Angkor Restaurant」で昼食〜ほこり多き 国道=酷道)6号線 
(この道を路線バスに乗ってプノンペン〜シェムリアップを往復した「のぶなが」さんのページ)をひたすら走る、果物・蜘蛛(タランチュラ)やタガメなどの素揚げ?(「金森先生のカンボジア日記」さんのページ)飲料などの売店併設の途中休憩所2ヶ所〜 プノンペン  ・  セントラルマーケット
(「のぶなが」さんのページ) 近くの 「蘇利亞大餐廳」(「アジア見て歩記」さんのページ) で夕食〜宿 

  追記⇒※トンレサップ湖のメイチェレイ小学校を訪ねた絵もある 「世界ふしぎ発見! 蘇る伝説 アンコール王朝不滅の遺産」(TBS、2023年1月21日放送)

  追記⇒※トンレサップ湖のメチェリ村の小学校などに発電機を設置する 「世界の秘境で電気をつくる!THEゼロから発電マン」(テレビ東京、2023年2月5日放送)

          ⇒ ※メイチュレイ小学校訪問記事


  「ミッタピアップ ホテル (現 ミト ホテル)」


★11月15日(土) プノンペンの地図   プノンペンの地図

  午前、菊池さんの案内で
プノンペン・トゥクトゥク」(「たっちゃん」さんのページ)さんぽ

   セントラルマーケット 蘇利亜購物中心の1階
の超市・「Lucky Super」  今年6月30日にオープンした「イオン」が入っている 「イオンモール プノンペン」 で昼食〜宿

  午後、菊池さんの知人・
 浅水さん (の記事が掲載されているページ)の案内で チェンエク村のキリングフィールド  へ。 心痛む重い見学でした、合掌。
  浅水さんの記事が掲載されているのは「ひたちとアジア」の41号〜49号(追記:50号以降にも)の各号です

   ⇒ 動画サイト:You Tubeに 「カンボジア 負の遺産 キリングフィールド」  のページがありました。
   ※トゥールスレーン虐殺博物館には行きませんでした。

  宿で菊池さん・鈴木さんと合流し、浅水さんの案内で〜 王宮  シルバーパゴダ  トンレサップ川畔 散策〜 1年前、安倍首相が2013年11月16日に参った 「ワット・ウナロム」  (ワット・オウナロームモナステリー)の 中田厚仁さん  
石橋幸基さんの慰霊碑 に参り

  浅水さんご夫妻の案内で屋台(読めない)009」で夕食〜宿

  「ミタピアップ ホテル プノンペン(現 Mito Hotel Phnom Penh)」    泊


★11月16日(日)

  ふれあいの旅に参加

   児童養護施設 夢ホーム訪問 、 
少年サッカー大会 (「メコンの風に吹かれて」2014年12月17日 (水)の記事に掲載)  
  8:00〜「夢ホーム」交流、釣り、昼食〜ローロッス小学校で開催されているコンポンスプー県内の、タメイ小学校(優勝)・オーコーキ小学校・ローロッス小学校・アンブラサット小学校・アピヴァット小学校・ソムバゥット小学校・マムロカンタポン小学校・ソンブール小学校の8校によるサッカー試合観戦【開会式(13:30〜13:45)→試合(14:00〜17:00)→閉会式】〜 ミネベアや大気社などが進出しているプノンペン経済特区(360ha、東京ドーム約76個分の広さ) 〜宿

  ホテル近くの新蓮花餐廳旅店 東南亜美味小吃」で夕食

  
「Mittapheap Hotel(現 Mito Hotel)」


★11月17日(月)

  菊池・鈴木・小林さんたちはゴルフへ

  5名は プノンペン 市内さんぽ

   プノンペン国立博物館  トンレサップ川畔  オールドマーケット 「ナーガ橋」そばのグリーンベルト「自由広場」 〜 ワット・プノン  〜 「帝皇殿」で昼食〜  セントラルマーケット  釈迦頭 を買い食い 〜  蘇利亜購物中心 ・「 Lucky Super Market 」 黒胡椒・椰子砂糖などを買い〜宿、休憩

  夜、菊池さんの知人、唐木田さん・太田さんの案内で、「「點心皇」「DIM SUM EMPERORS」か?)中華レストラン」で夕食

  唐木田さん  唐木田さん   唐木田さん  太田さんのブログ  太田さんのツイッター 

  ※唐木田 徹(からきだ とおる)さんの読売新聞 第50000号 2015年4月5日 朝刊 記事より
   『スポーツBizワールド・ J アジアでの主な活動 ・ プラスワン 暑い地 熱い指導

 日本サッカー協会は別の形で人材をアジアに送ってきた。Jリーグで主審51試合、副審251試合を担当した唐木田徹さん(57)は2008年、国際協力機構(JICA)を通じてカンボジアに赴任して以降、審判員やその指導者養成に従事している。
 「なぜレッドカード?」「主審の位置は?」ー。3月20日、プノンペンでの練習試合も熱心な指導が続いた。公式戦同様に練習試合でも、判断が正当か否かだけでなく、その前にプレーを予測し適切な位置取りをしたかを含めて評価し、技術向上を図る。赴任当初、太った審判が当然のように体力テストに落ちるなどレベルが低かった。検証に必要なビデオカメラ導入など環境整備や、きめ細かな指導で底上げしてきた。
 三浦友良のゴールを副審としてオフサイドにしたことがある。カズは人差し指を数度振ってみせた。試合後のビデオ確認ではカズの指摘通り誤審。超一流の感覚に感心した。そんな経験もあり、「審判は国のサッカーレベル向上に貢献できる」が信条。選手の潜在力を引き出す精度の高い判定を追求し、育成に熱が入る。
 (添付の写真「カンボジア人の審判を指導する唐木田さん」は省略)』

  ⇒ JFA「アジアのピッチから 〜JFA公認海外派遣指導者通信〜 第5回 唐木田徹 カンボジア審判ダイレクター」のページ 


 ※太田敬人(おおた たかひと)さんの読売新聞 2014年12月26日 朝刊 記事より
   『先駆者 カンボジア5季目へ
      サッカー日本人プロ1号 MF太田「評価」得て充実
 Jリーグがアジア各国との連携を深める中、カンボジアでプレーする日本人サッカー選手も年々増えている。同国で日本人第1号のプロ選手となったMF太田敬人(27)。先駆者は来季で5年目を迎える。
 首都プノンペン。土ぼこりが舞い、放し飼いの犬と鶏がうろつく未舗装の道を進むと、太田が今年所属したビルド・ブライト・ユナイテッドの練習施設がある。
 芝は所々はげ、凸凹も激しい。「日本の芝と比べれば『荒野』です」。それでも思いは熱い。「この環境で結果を出し、評価されることが、応援してくれる人への恩返しにもなる」
 富山の強豪、水橋高出身。
今年、全国高校選手権に6度目の出場を決めた母校で、出場機会に恵まれなかった。「誰にも評価されずに終わるのが嫌だった」。
卒業後は2年間、サッカー専門学校に通い、その後は社会人チームでプレーしつつ渡航費や生活費を貯蓄。2010年にタイ3部リーグ入りし翌年、カンボジアへ。
「日本人がいなければ評価されるかも」と可能性にかけた。
 月給は中堅チームで数万円が相場。パスが回ってこなかったり、ミスを厳しく批判されたりする外国人選手の悲哀も味わった。それでも、3チームに所属した4年を経て、選手やチームから相談を受けるようにもなった。初めて評価されたカンボジアで、プレーし続けるつもり。「日本人がプレーしやすい環境を、どうやって作れるかも考えたい」と話している。
(プノンペンで、小金沢智)

 ◆カンボジア・プロサッッカーリーグ
 
 1982年創設。1部は今年、プノンペンにある二つの競技場を共用し、12チームが各22試合実施した。
 「トライアジアプノンペン」「アルビレックス新潟プノンペン」の日系2チームも加盟。外国人の出場枠は最大3人。身体能力が重視されナイジェリア人が多かったが、日本人の技術や戦術理解度などが評価され、昨年は3人、今年は17人がプレーした。

  写真(略)の説明文 ⇒「カンボジアで日本人プロ1号となった太田。5季目に向けて練習を続けている(小金沢撮影)」』
  …太田敬人選手のツイートページにご本人の写真があります

  「ミタピアップ ホテル


★11月18日(火)

  田幸は朝さんぽで、黄色い貨物列車&タンク車が見える プノンペン駅   
 (構内は撮影禁止)⇒でも?撮ってきた「おおたけさん」のページ)とその周辺へ

  ホーチミン市 へ移動

  ホテル11:30〜
  カンボジア・プノンペン空港発 14:15 ベトナム航空 VN921便

  ベトナム・ホーチミン・タンソニャット空港着15:00(日本時間17:00)

 スケッチ トラベル (ホーチミン市内・近郊観光のページ) スタッフの出迎え、送迎車で宿へ

 「和食 どらえもん かか」   「和食 ドラエモン・カカ」 で夕食、ホテル周辺5分圏内でいずれも小さな店舗の 「サークル K」 を5店見っけました

  
 「ホーセンホテル Ho Sen Hotel」 


       ※ ベトナム旅行ガイド 「ベトナムナビ」

       ※ ベトナム総合情報サイト 「ベトジョー」


        ※ ベトナムへのアクセス情報サイト 「Vietnam Access」


★11月19日(水)
  ホーチミン市の地図   ホーチミン市の地図

        ホーチミン半日観光  スケッチトラベルにて

  8:30〜 ベトナム歴史博物館  〜 サイゴン大教会=聖母マリア教会(内部にも入れました)  (「アジア写真帳」さんのページ) 中央郵便局  〜  戦争証跡博物館  〜  統一会堂=旧・南ベトナム大統領官邸  〜  ベンタイン市場  〜宿、菊池さん・鈴木さんと合流

  「和食 はな」 で昼食

  午後、菊池さんの案内で ホーチミン 市内さんぽ

 
市民劇場=旧・オペラハウス  前の  清水・前田JVが施工中の地下鉄の工事現場  ⇒ 
(「徒然なるままに..バンコクやらホーチミンやら」さんのペー 〜 サイゴン大教会 聖母マリア像  前で アオザイ姿 の女子高生4名と写真に納まる〜 ホーチミン市人民委員会(「アジア写真帳」さんのページ) 前、グエンフエ通りが工事中のためホーチミンさんの像は拝観出来ず〜レロイ通り、ベンタイン市場近くの  刺繍画店 「 XQ SAI GON」 で目の保養〜ベンタイン市場で、値切って1Kg 30万ドン or 15$に、生乾きのドライマンゴーを買う

  その後18:30まで自由行動、〜田幸は、工事中のレロイ通りとグェン・フェ通りの角にあった 国営百貨店「タックス」に行くが2014年9月30日に閉店 したと。

  グェンフェ通り西側の工事現場の長〜い 長〜いフェンス沿い にサイゴン川川岸のトン・ドック・タン通りまで出て(-_-;)、ドンコイ通りに入り〜宿、休憩
  …追記: 2015年、工事完成後の “ホーチミンのオアシス的スポット「グエンフエ通り」"

  “ホーチミン市1区は渋滞だらけ”でした 

  ホーチミン夜景散策とサイゴン川ディナークルーズ スケッチトラベルにて

         ⇒ ※オリエント号( La Perle de l' Orient )に乗りました 
         ⇒ ※個人でオリエント号に乗ったとの記事がある「TONE BASS」さんのブログ 

  18:30〜バイクや車が疾走する信号も歩道橋もない 渡るのが怖い 川沿いの大通り=トン・ドック・タン通りを渡って(>_<) 乗船〜ライトアップされた 中央郵便局前 サイゴン大教会前 にも

  ホ セン ホテル Ho Sen Hotel



★11月20日(木)

   日帰りメコン川クルーズ  スケッチトラベルにて

 8:30〜  ミ トー  〜 メコン川クルーズ 、 ⇒  動画ページ   4travelでレポートした方のページ
 船内でココナッツジ ュースを飲み〜タイソン(トイソン)島上陸、蜂の巣のはちみつを舐め〜ココナッツキャンデー工場?作業場?を見学・試食・購入し〜果樹園でマンゴー・パパイア・ドラゴンフルーツ・竜眼・パイナップル・ザボンなどを試食、民族音楽隊の演奏あり〜手漕ぎボートでの水路クルーズ〜ビンチャン寺(永長寺)
(「hana-jewelry」さんのページ) 「メコン レスト ストップ」 象耳魚の唐揚とエビや野菜を、各自がライスペーパーで巻いてつくる 生春巻 、  風船餅(ライスボール)などの昼食〜ドンコイ通り・メイドインベトナムショップ・「Unique」 土産物店・「butterfly」 などで買い物〜宿に購入物を置いて〜「統一会堂」〜 「金龍水上木偶劇場」(「アジアに響く鐘の音」さんのページ) で下車 隣接の運動器具が豊富に設置されている 文化公園(タオダン公園) で一休み
 17:00〜17:50  水上人形劇鑑賞、「Golden Dragon Water Puppet Theatre」 にて 

 …菊池さんが ベトナム旅行会社「(APEX) Sketch Travel」 で午後5時開演の入場券(のみ)を事前購入しておいてくれました

          ⇔  カンボジア旅行「Sketch Travel Cambodia」 

        ⇒ ※ 動画サイト:You Tubeに「The Golden Dragon Water Puppet Theatre of Saigon」がありました。

  〜宿、菊池さん・鈴木さんと合流

  〜  「ベトナム料理 Huong Laiで夕食、 「Huong Lai」の公式ホームページ

 「 Ho Sen Hotel」 泊



★11月21日(金)

  アクティブホーチミン観光  スケッチトラベルにて

 ホテル8:30〜 ヤックラム寺院(覚林寺) ビンタイ市場 ティエンハウ廟(天后宮) 「Phuong Nam 漆工芸品店
〜工具やミリタリーグッズの店が多い ヤンシン市場
〜  シクロ乗車 〜  オールドマーケット で下車、 ベトナム焼酎 「Nep Moi」 を買う〜宿、菊池さん・鈴木さんと合流

 宿〜横断するのが怖い トン・ドック・タン通りを渡り(>_<) 〜 サイゴン川 河畔 〜トン・ドック・タン通りを渡り(>_<) 〜サイゴンのリトル・トウキョウ、日本食レストランが多いレタントン通り
〜ヘム(路地)に入って  「麺処 大ちゃん」で昼食、 「麺処 大ちゃん」のラーメンも食べられる斜め前の「松坂屋 で食した方と別れてのお食事…

 午後は自由行動、田幸は ドンコイ通り  の  ヴィンコム・センター  日本人ツアー立ち寄り店 「バタフライ」 ( ベトナムコーヒー  ・ お菓子などを買う) などのショップ覗き、さんぽ、ホテルで休養


 
「和食 はな」で夕食

  ホテル21:00〜 ホーチミン・タンソニャット空港


★11月22日(土)

  ホーチミン発 00:10(日本時間02:10)  ベトナム航空 VN300便

  日本時間   05:00〜05:30に朝食

  成田空港着  07:42 着地

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村谷のレポート

★11月12日(水)第一日目 ・ カンボジア滞在初日 ・ 成田からホーチミン経由シュムリアップへ

 滝澤・小林・田幸・森・中田・村谷の世界遺産研究会メンバー6人が、午前7時過ぎには新東京国際空港(成田)第一ターミナルビル4階にあるマクドナルド前に集合した。

 待ち合わせ時間の7時30分に、塩路兄のサッカー仲間で今回の旅を全面的に企画・手配していただいた菊池氏、鈴木氏(以下、K氏、S氏と記す)と合流する。

 旅の前半部分(カンボジア)は、両氏が所属されておられるNPO法人「21世紀のカンボジアを支援する会」が主催する「第28回カンボジアふれあいの旅」に一部同乗させていただく。

 我らも臨時?会員となって、現地でのボランティア活動に参画する関係で、同会が後援する「小学校対抗サッカー大会」の賞品であるサッカーボール・ラグビーボール・ユニフォームを夫々分担して、スーツケースに格納した。

 出発まで2時間近くあるので、チェックインまでの時間を銘々、朝食や買い物など有効に過ごす。
目敏い数名は、コンビニで見つけた日本製のカンビールを購入して、暫しのお別れだ。

 全員無事に9時30分発のベトナム航空301便に乗り込んだ。まだ、カンボジアへの直行定期便がないため、乗継地のホーチミンまで約4時間半の旅。村谷も飲み干す時間がないので酒瓶購入は自粛した。

 ほどなく、機内食。日本語のメニューがあり、日本食と洋食の2種類から選択だが、あまり内容に差がなかった。
味は癖がなくなかなか行ける。旅慣れた面々はビール&ワインなど複数の飲み物を確保する。
ビールはタイや台湾と同様に、すっきりして淡白な味だった。

 きりりとした女性客室乗務員6人(うち1人が日本人)が、隙がなく応対していた。
旅慣れたK氏&S氏によれば、かつてとは異なり、ベトナム航空もJALやタイ航空同様ナショナルキャリアフラッグに共通する年齢上昇傾向が顕著だそうだ。

 定刻通りにホーチミン市タン・ソン・ニャット国際空港に到着した。ハブ空港に相応しい規模だった。
タラップを降りると南国の日差しが直撃。手すりをつかむと熱で熱い。バスでターミナルに移動。
 乗り継ぎまで時間があったが、帰国時にも訪れるため、買い物はせずに、お土産候補の調査だけ。

 15時55分発のベトナム航空3821便に乗り込む。わずか1時間のフライト、入国に必要な書類を3枚も記入するので大忙し。お互いに協力して書き上げたところで、カンボジア・シュムリアップ国際空港に16時55分に到着。
 まだ陽が高い。バンコクとほぼ同じ緯度の為か、気候がよく似ている感じがした。

 5年前から毎年訪問しているK氏&S氏によれば、以前は日本国内のローカル空港並の設備だったが、急速に整備されてきたとのことだった。
 先ずは、東南アジアでは他ではミャンマーしか提出する必要がないビザ申請書を、パスポートと30ドル(この9月までは20ドル)とともに提出する。
ずらりと並んだ10名ほどの係員の間を通過し、査証が貼られたパスポートをあっさりと手渡された。
 白人男性が100ドル札を出して却下され、両替に戻されていた。税関書類等もさっさと提出するだけで済んだ。

 空港の玄関から出ると、手配済のトゥクトゥク4台がお待ちかねで、夫々2人ずつ乗車する。
浅草の人力車によく似た乗り物だが、周囲が良く見渡せて風が通って快適だ。料金は1.5ドル/人。

 大型バスや乗用車に抜かれながら、中心街に林立する大型ホテル群を通過して、中心街に入る。
まだ、数か所しかないという信号を渡って、対向車を巧みに躱しながら舗装されていないデコボコの小路を左折して、2日間お世話になるIKI IKIゲストハウスに無事に到着した。

 K氏&S氏が5年来お馴染みで、日本語も通じるのがありがたい。玄関の壁にはヤモリが数匹お出迎え。部屋は2人部屋、シャワー付きで1泊10ドル/人と格安だが、固めのベッドは全員に好評だった。村谷は例によって滝澤と相部屋だ。

 部屋で荷解きをしたのち1階玄関前に集合する。先ほどトゥクトゥクを先導してくれた、これまたK&S氏と昵懇でゲストハウスのオーナーと親しいというシーサーポーロ氏(村谷は「新さっぽろ」氏と呼んだ)の案内で、トゥクトゥクに分乗して交差点近くのカラオケハウス兼ビアホールに乗り込む。

 カラフルなネオンと大音量の現地音楽が待ち構えていて、奥に大小の個室が並んでいたがカラオケをしない我ら9人は、オープンスペースのホール中心部に席を取った。ここからが新さっぽろ氏の出番。我らの要望を適切に伝達し、勘定書きも1項目ずつ確認してくれた。
 中華的なかなかオイシイメニューを、次々に若い女性たちが届けてくれる。チップを少し出せば席についてくれるそうだが、カンボジア語しか通じないので断念。

 偶々頭上の照明が切れていて、天井から星空が良く見えてた。最近まで首都のプノンペンでもしばしば停電があったという電力事情を了解して、風流を楽しんだ。
 十分飲み食いしても一人10ドル弱だった。

 帰りは腹ごなしに全員で歩いた。でこぼこに舗装された歩道を新さっぽろ氏が宿まで案内してくれたので、不安はない。
途中で、明日必要なミネラルウオーターを大量に買い込む。
呑兵衛のS氏と村谷は、店内に置いてあった中国製のワインボトル1.5ドル(明かりが暗いためウイスキーと間違えた)を寝酒に買い込んでみた。
 シャワーを浴びた後飲んでみたが、結構いける味でした。

 クーラーをしっかり効かせて就寝しました。


★11月13日(木)第ニ日目 ・ カンボジア滞在2日目 ・ アンコール遺跡群鑑賞

 本日は終日、第28回カンボジアふれあいの旅のツアーグループと行動を共にするため、午前7時過ぎから「IKI IKIゲストハウス」の玄関横にある食堂で朝食を摂る。
 しっかりとボリュームがあるトーストに、目玉焼き+野菜サラダ+甘いコーヒー+マンゴー・バナナ・パイナップルの果物までついている。一人一泊一食付きで10ドルの料金を考えたら文句はない内容だ。
 サービスの紅茶までいただき、暑さに備えた。

 待ち合わせ時間の7時45分まで暇なので、周りをきょろきょろと見回す。
隣に当宿同様のゲストハウスが建設中だったが、鉄筋ならぬ竹筋コンクリート造りで、いかに地震や台風とは無縁の土地とはいいながら心配するのが我ら日本人。

 狭い路地の反対側は、塀で囲まれた小学校。早くも生徒たちが登校していて、校庭の掃除を行い、集めたゴミを焼いていた。
当地では、陽射しが特に強い11時から3時ごろまでは屋外での労働は行わないため、朝は6時前から朝食を摂って、お茶を飲んだりしている姿を街中でよく見かけた。

 7時45分に小路を抜けたストリートで、昨夜はアンコール・ゴルフ・ホテルに宿泊したツアーグループと合流し、大型バスに乗車する。
 ガイドは現地人男子のトム氏と、旅行を重ねてカンボジアに住みついてしまったとういう日本人女性の2名体制。
案内と説明はトム氏が行う。

 先ずはシェムリアップ川にほぼ並行して走るチャールズ・デ・ゴール通りを北上し、アンコールパス購入所で本日見学する3カ所の史跡の共通入場券(20ドル)を購入する。
 通常はガイドさんが一括購入してくれるものだが、写真つき遺跡入場券作成の為各々が現金を窓口で支払い、その場で写真撮影⇒発行の形をとる。
かなり多くの窓口があるのだが、平日も関係なく大変な人出でごったがえしている。

 午前中は、アンコールトムとタ・プローム寺院を巡る。
アンコールワットを車で8分の3周して、アンコールトムに向かう。
 広い駐車場で下車し、チケットを確認されてから南大門に向かう。
橋の西側にプレアと呼ばれる神々の像、反対側には阿修羅の像が立ち並ぶ。

 門を入ると北大門まで一直線の路が続くが、休日の浅草・仲見世並みの大混雑。大半が欧米系の白人だが、中国系の賑やかな団体客の声が目立つ。
 トム氏の丁寧な説明をガイドブックで一つ一つ確認しながら進む。
村谷が印象に残ったのは、日本はじめ世界各国の援助による修復作業が今なお続いていることと、四面の塔に描かれた観音菩薩像だった。
そのお顔の一つが京 唄子似でした。

 北大門から車で北東側を4分の1周して、タ・プローム寺院へ到着。ガジュマル樹が遺跡の石をすっぽり覆っている箇所が多いのが他に見られない特徴だという。
樹木を除去すると遺跡が崩れてしまう惧れがあるので放置せざるを得ないという。
 狭い廊下をすれ違いながら鑑賞し、中庭で一休みした。陽射しが遮られている分だけ涼しくて助かる。

 昼食はやや市街地の レストラン・ Cafe Moi Moi 。
先ずは飲み物を注文する。村谷はこの旅で初めてレモンサワー(3.5ドル)を見つけて頼んだが、新鮮なレモンが冷たいショウチュウロックにぴったりで美味でした(その後も各地のレストランで探したが見当たらず)。
 料理も肉と野菜のバランスが良く、味もシンプルで食べやすい。
 突然、空が掻き曇ってきて、あっという間にスコールが襲来。
遅れて到着してきたツアーの一行は、駐車場から玄関までのわずかな距離でびしょ濡れ状態。
 村谷は初めて見たスコールを撮影した。

 昼食後は、2004年から 日本人・小島幸子さん が製造販売している 「ANGKOR COOKIES」 へ立ち寄る。現地人90人を雇用し、全て現地の素材で作っているアンコールワットを型どったクッキーの販売店兼甘味処だ。
利益の一部はカンボジアに還元しているという。
 教育と並んで大きな課題の雇用に貢献している日本人として、大いに尊敬されているという。
村谷はじめ全員が土産に数個づつ買い込む。
 マンゴーが大好きな田幸は、カフェ プカプカで涼みながらマンゴーアイスをしっかりと食していた。

 今朝、IKI IKIゲストハウスの朝食で一緒になった胡麻油の現地製造を目指す若手社長氏と同様に、現地に根差した活動を行っている日本人が非常に誇らしく思えた。

 アンコール・ゴルフ・ホテルに戻り、熱暑を避けての休息タイム。
このホテルに泊まっていない我らは、冷房の効いたロビーでのんびりと過ごす。

 夕焼けのアンコールワット鑑賞を目指して再出発。
午前中の仏教様式寺院とは異なり、ヒンドゥー思想の須弥山をモチーフに20年がかり造られたそうだ。
 カンボジアの歴史の中で最大版図を誇ったのは、ヒンドゥー教と仏教の共存を容認したジャヤヴァルマン7世の時代だったが、その後、ヒンドゥー教を排斥して分裂し、今日に至っているという。
 現在は仲良く遺跡が共存している。

 独特の姿である西参道から入る。道が二通りに分かれていて、修復前のでこぼこ姿を残している。
トム氏の判断で途中を省略して、いきなり第三回廊に向かう。
 また雨がパラパラと降ってきたので、中庭を小走りに横断して屋根の下に辿り着いた瞬間、またもや激しいスコールが襲来。狭い回廊は観光客で満杯。

 2度目のスコールが程なく上がったので、34m、急階段を行列に並んでから登る。
中央祠堂は5基の尖塔から成る神の山を象徴しているそうで、地上から塔頂まで65mあり、市内ではこれを超える建物が建てられないそうだ。

 15分の制限時間内で見学を終えて、行きはよいよい帰りは怖い。
斜度70度の急階段を手すりにつかまって恐る恐る下る。滝澤は平気で下山。

 後回しにしていた第二回廊に戻る。ここの十字回廊の柱には、アンコールワットをインドの祇園精舎と思い込んで1632年に訪れた森本右近太夫の墨書を見た。

 第一回廊には乳海攪拌をはじめとするインドの神話・古代叙事詩などをテーマに描いたレリーフが数多くあり、本物の精密さと量に圧倒された。

 外に出て、ちょっと出たり長く隠れたりする夕方の太陽を眺めながら湖の周りを散策していると、昨年ここを訪れた菅野大兄のお言葉通り、幼ない子供たちを先頭にどっと物売りの一団が襲来。
人の好い小林と買い物好きな森が一番人気だった。

 夕食は、余所のコースを巡った何度も訪シェムリアップしているベテラン組と併せて30人ほどが一緒に、シヴォタ通りの大型レストラン・Koulen Uでアプサラダンスショーを鑑賞しながらバイキング。

 アプサラダンスは15世紀にタイのアユタヤ王朝に征服された際に踊り子ごと奪われ衰退、タイ舞踊は発展。
19世紀に再興されたが、1975年から1979年の「ポルポト時代」にクメール・ルージュに弾圧され、約9割の舞踏家や楽師の命が絶たれてしまい、滅亡の危機に落ちいった。
 その後、1980年に王室や生き残った舞踏家たちにより王立芸術大学が再開され、復興途上にあるようだ。
 なお、踊り子の大半が内戦で親を失った孤児だそうだ。

 食事は非常にバライティに富んでいたが、特に印象に残るものはなかった。

 帰りがけにコンビニに立ち寄って、明日のミネラルウオーターと今夜の寝酒カンビール各々2本を購入し、宿に戻りました。

 フランスが発掘し、内戦等の混乱を経ながらも世界各国が修復に協力している代表的な世界遺産を実見することができました。


★11月14日(金)第三日目 ・ カンボジア滞在3日目 ・ シュムリアップからプノンペンへ

 本日も盛り沢山の行程の為、7時前から朝食を摂る。
食堂はオープンスペース、自分で扇風機のスイッチを入れて待つとすぐさま、トーストとコーヒーが出てきた。卵焼き&野菜炒め、果物のデザートまで真に手際が良い。

 K氏がまとめてチェックアウトを行い、荷物はトゥクトゥクで大通りまで運んでくれて重ねて感謝する。

 大型バスでツアー本体ご一行と合流し出発、車内は冷房が効いていて気持ちが良いが、2日続けて夜通し冷房をかけた影響で風邪をひいたらしい村谷は、冷気を避けて座る。

 雨季と乾季で水位が8m上下し、その大きさが伸縮するという、琵琶湖の3倍〜10倍広いトレンサップ湖は、カンボジアの農業や漁業に大きな恵みをもたらす母のような存在だ。
 船着き場に到着し、1人往復5ドルを支払って乗船する。全く揺れずに30分ほどで水上生活者村・メイチュレイ村に到着した。
この村では約200世帯が、船の上の住居に暮らし、ナマズや雷魚などを捕獲・養殖して生計を立てている。
 トンレサップ湖上で生活する人々総数は100万人とか。

 我等は、先ず、毎年当NPOが慰問している(移動式の台船の上にある)メイチュレイ小学校を訪れる。
貧困の為に教育機会に恵まれない子供たちが多数存在するのが,カンボジアの大きな課題の一つだが、それへのささやかな援助が今回の訪問目的でもある。

 大きな教室に生徒全員が集合した。女子生徒が全員制服を着用していたのでS氏に伺うと、今年からだという。
先ずは、NPOの根岸理事長から校長に、希望されていた大型のバッテリー2台を手渡す。

 国全体でも火力発電所が数基しかなく、小型のディーゼル発電が主力となっていて、隣国のタイやベトナムから電力を購入しているカンボイジアでは貴重品だ。湖上に電線を張ることは出来ないので、電気は各家?各船?ごとに対応。
 続いてメンバー諸氏から持参の文房具や手作りのアクセサリー、簡単な玩具などを沢山渡す。嬉しそうに受け取ってくれた。

 子供たちは全員船で家から通っていて、見事な手つきで櫓を漕ぐ。
教室 内には夫々浄水器が設置されていたが、これも同NPOの寄付だそうだ。

 教室の外壁には英語で、支援物資は直接生徒たちに手渡しすることなく、代表者に一括してほしいとの注意書きがあった。 
船に戻って校長の案内で、いくつかの民家を訪問する。

 パソコンや浄水器などがある家では、ちょうど昼食の支度中だったが、厨房では雷魚のフライなどが作られていた。
 浄水器のない家も残っていて、昔ながらに湖の水をそのまま飲んでいるという。
帰途の船の上からは、ソーラーパネルや衛星放送のアンテナがある家々が時折見受けられた。
 また、土産物店もあり、往復2時間程度の間に、我ら同様に村を訪れる船と10隻以上遭遇し、この村も劇的に変わっていく予感がした次第。

 昼食はシュムリアップ市内に戻って、Sofitel Angkorレストラン。昨夜の大型レストランと同様の造りで、夜はショーを行っているようだったが、平日の昼間とあって我らグループで貸切。
中華中心のたっぷりすぎるメニューが次々と出てくる。午後からの長丁場のバス移動に備えて、たっぷりと食し、ビールも飲んで12ドル。

 シュムリアップからカンボジアの首都・プノンペンまでは300Km強の行程、国道6号線をひたすら南下する(貸し切りバス代は一人あたり、何と10ドル)。
 原則として舗装道路のはずだが雨季あけの季節、工事中の箇所も多く、ところどころ未舗装の為、バスが大きくバウンドするので注意が必要だ。

 先ずは、トレンサップ湖の東側に並行して、地平線まで続く大水田地帯を走る。
道の両側にある灌漑には、必ず蓮が必ず植えられていて、マーケットでのハスの実の陳列を想起させた。時折出現する草原ではやせた牛が寂しげに草を食んでいる。

 コンポントムの郊外にあるターミナルで最初の休憩。広い休憩所ではコオロギ他の昆虫はじめ食べ物やお土産などが沢山売られていたが、村谷はクーラーに入っていたカンビールを見つけて1ドルで購入、日陰の風通しの良い場所で喉を潤す。

 次のコンポンチャム州の休憩地では、新鮮なバナナの大きな1房が50セントで売られていて人気になっていた。
スコーピオンスパイダー、その他様々な昆虫の佃煮?素揚げ?らしいものが山盛りにされていたが、売り子の姿がなかった。

 夕闇が迫ってきて漸くプノンペン市内に入る。トレンサップ川を大きな橋で渡ると、そこは首都だけあって大きな建物があちらこちらに目立つ。道の両側にはバイク販売店が軒を並べていた。

 バスでそのまま、セントラルマーケット近くの夕食場所、蘇利亜大餐店に到着。
長駆の移動をたっぷりの中華とビールで癒し、これから4泊お世話になる Mittapheap Hotel にチェックインしました。

 今回は通常のホテルで、部屋割りは前回同様、村谷は朝まで起きない滝澤と同宿です。

 今夜は、寝る前に冷房を切ってから床に入りました。


★11月15日(土)第四日目 ・ カンボジア滞在4日目 ・ プノンペン観光

 本日は、ふれあいの旅のメイン組と別れて、S氏&K氏の案内で、我ら8人は市内観光に出かけた。

 朝食は、ホテルのバイキング。カンボジアの味には大分馴染んできていて、中華もあるメニューを各々堪能してきているようだった。

 先ずは徒歩約10分、セントラルマーケットへ移動する。
首都とはいいながら、信号機が十分に普及しておらず、左右をよく見て、走ってくる車の間を縫って横断する勇気が必要だ。
 お手本を示してもらい、「止まらず、走らず、戻らず」の精神で、運転手の目を見つめて渡ることが肝要だと教わったが、やはり引っ切り無しにやってくるオートバイの群れには簡単には慣れそうもない。
 …ベトナムではもっと大変だったので、当地での慣れは役に立った。 

 各々タイでの経験があるので、生々しい豚の頭やニワトリ、大きな魚などが丸のまま売られている市場の風景にはあまり違和感はなかった。
この場所が、プノンペンの交通の要衝であり、ホテルからも徒歩圏内であることをしっかりと確認した。

 すぐ近くのソリアショッピングセンター(蘇利亜購物中心)1階の「ラッキースーパーマーケット」を覗き、セントラルマーケットに隣接するバスセンターを通過し、ロシア通りに出て、K氏&S氏がお馴染みのトゥクトゥクのお兄さんたちの常駐場所に行き、折り良く出会えて交渉、今年6月にできたばかりのイオンモール経由ホテルまで往復1台5ドルで合意。早速、4人×2台をチャーターする。

 特に現地駐在の日本人家族たちに大好評のイオンモールは、規模も中身も日本と全く変らない。
発足当初は冷房が人気の的で混雑したそうだが、今は普通に空いていた。
 本日の昼食は、1階のフードコートと決めて、各々買い出しに分かれる。食事は日本食の弁当や、麺類、パンなどさまざまだったが、全員が60セントのカンビール付き。
滝澤&村谷のコンビは、しっかりとインド産の焼酎(4ドル)を購入していた。
 広い座席はちらほら状態で、平均月収3万円の当地では普及には時間がかかりそうだった。
なお、トイレは簡易ウオシュレットが設置されていて、村谷が試してみたが問題なし。

 待っていてくれたトゥクトゥクで一旦ホテルに戻り、現地人並みに昼休み(飲み休み?)を取ってから、K氏&S氏の友人で、当地滞在5年目、カンボジア人の夫人と可愛い娘さんがいる、教育ボランティアの浅水氏(A氏)に同行していただき、小型のバンでキリングフィールドに出かける。
 車で1時間近く移動し、人口の2割以上を虐殺したとされる場所の一つ、チェンエク村のキリングフィールドの見学は重い気分に陥った。
その実態は隠蔽されていたとは言いながら、ベトナム以外は日本・中国・欧米諸国が全て当時のポルポト政権を支持した事実とは真摯に向き合わなければならないと村谷は感じた次第。
 団体客は一切見当たらなかったが、欧米人の多さが目立った。

 一旦、ホテルに戻って、S氏&K氏と合流し、少し華麗すぎるカンボジア王宮とシルバーパゴダなどを見学する。
夕食までにはまだ早すぎるので、王宮前で車には一旦待機してもらい、A氏のご案内でプノンペンで一番人気の景色だというトレンサップ川沿いの散策を楽しむ。
 ちょっと北に進み、古刹ワット・ウナロムの中田厚仁さんと石山幸基さんの慰霊碑に参り、線香をそなえた。

 薄暗くなると涼しくなる川風を楽しむアベックが、京都の鴨川のように並ぶそうだが、まだ明るい。
川畔で中年の女性が七輪で炭を熾してスルメを焼いていたり、屋台のゆでた唐黍が非常に魅力的だったが、まもなく屋台でのごちそうが待っているので指をくわえて我慢する。

 漸く暗くなってきたので、A氏が行き付けの人気屋台に出かける。キャリアウーマンの奥様と親戚の娘さんのベビーシッター+3歳の娘さんが、バイクで合流して宴会?開始。

 氷で冷やしたカンビールで乾杯、奥様が我々のわがままな注文をカンボジア語で伝えて次々にメニューが並ぶ。南国でもこの時間の街中の風は心地よく、カンビールは次々に空いてしまい、冷やすのが間に合わない。
同年齢の孫がいる滝澤&村谷が娘さんを抱き上げたが健気にも嫌がらず笑顔を見せてくれて嬉しい。

 ポル・ポト時代の クメール・ルージュによる知識人虐殺で、教員層の絶対的な不足が未だに大きな後遺症を残しているが、一方で優れた暗記力を高く評価するA氏の熱弁に感動しながら、いつの間にか時間が過ぎた。
随分飲み食いしたようだったが、8ドル/人とは驚きの値段だった。

 A氏ご家族と別れて、車でホテルにご帰還。
シャワーを浴びた後、滝澤&村谷は昼間購入したインド産の焼酎の味を確認してから就寝した。

 テレビのNHKチャンネルからは、衆議院解散確定的とのニュースが聞こえて来ました。


★11月16日(日)第五日目 ・ カンボジア滞在5日目 ・ プノンペンでのボランティア活動

 本日は終日、NPO法人の皆さんと一緒にボランティア活動に参加する。
ホテルでバイキングの食事を終えて、午前8時にマイクロバスで出発した。

 8名に加えて、S氏&K氏の知人で、現在は郊外にある経済特区に進出したミネベアで働いていて、日本語が堪能な好青年が同行してくれた。

 日曜日で会社が休みのはずだが、国道が随分渋滞している。原因は、途中にあるプノンペン空港へ入る道が立体交差になっていないため、出入りがある都度、信号待ちをするからだった。
日本の感覚ではそんなに難しい工事とは思えないが、インフラ未整備の一端を見た感じがした。

 途中、並走しているバイクが奇妙、男が後ろに回した左手でなにかを押さえながら運転、そのうしろに点滴器具を高く掲げた女、その間に幼子がいる!(森が撮影)

     

 母が疲れると走行は継続したまま父の左手へ点滴器具を渡し、父はそれを掲げながらの3人乗り片手運転だ。
日本なら、ベッドに横たわって受ける点滴を、走行中のバイク上でアクロバチックに行っている!
親の子を思う姿に感動。
  …病院のベッドで点滴を受けるとベッド代がかかるので、節約のためバイクで自宅に帰る方が多いのだそうです。
   点滴が終わったら、自分で点滴針を抜くそうです。(テレビ東京、2015年12月28日放送「世界ナゼそこに?日本人」の メアス博子さんがシェムリアップで経営する児童養護施設 を取材した番組内での解説です)

 街道沿いのパンとケーキなどを売っている大きなお店の前で、差し入れを購入しているツアーの皆さんと合流し、児童養護施設・夢ホームへ向かう。
 親がいない、いても面倒を見ることができない小学生から高校生までの15人が暮らしている。
2009年に開設し、毎年高校卒業と同時に独立しているという。

 職員5人の人件費を含めた全ての運営費用は、21世紀のカンボジアを支援する会の会費などで賄われている。
但し、設立にあたっては根岸理事長が土地の購入資金を提供し、さらに年々敷地内に建設されている建屋は会員の寄付金によるものと伺って、まさに頭が下がる思いだ。

 男女別に住居棟が分かれていて、10人の男子は相部屋、5人の女子は個室。
ここからの通学は自転車かバイク。また、就職時の技術取得のために研修棟があり、日本から専門家が訪れて板金や塗装、旋盤などの技術指導を定期的に行ってて、そのためのゲストハウスも設置されていた。

 昼食が出来上がるまでの間、回りにマンゴー、バナナ、パパイアなどの果実のなる草木が植えられた広い芝生の庭でサッカーに興じたり、大きな池でおかずにもなる魚釣りに興じたが、前者はS氏&K氏が、後者は田幸がリーダー。

 子供たちが総出で大きな木の木陰にテーブルを配置してくれ、料理と飲み物を並べて昼食スタート。
若い女性の調理人が作ってくれたメニューは、たっぷりと鶏肉が入ったココナツ味のカレーがメイン。
大人には、よく冷えたビールが付いた。
 爽やかな空気の中、 広々した芝生の上で、元気いっぱいの子供たちと食すカレーの味は格別だった。
 糖質抑制中の村谷も、本日は特別にお替りした。子供たちの皿を見ると、皆、ライスが大盛りだった。
会員から米30Kgを差し入れたが、1か月でなくなるそうだ。

 来年3月の会メンバーの再訪までの名残りを惜しみ、子供たちが総出で見送ってくれて、次の会場に移動する。

 第7回小学校対抗サッカー大会会場のローロッ小学校にある草むらのグラウンドに到着して、テントの下の観客席に腰を下ろす。
コンポンスプー県内の8チームが参加し既に午前中から試合が行われており、我等は準決勝、3位決定戦および決勝戦の4試合を観戦した。強い日差しの下ではサングラスやミネラルウオーターの頻繁な補給が欠かせない。会場脇では冷菓も売られていたが、間もなく売り切れたようだ。

 試合は石ころだらけのグラウンドで、全員がはだしという悪コンディションで行われたが、大変な熱戦続きで我らも魅了された。会からは何回もスパイクを寄付しているのだが、親が直ぐに売って生活資金にする(日本製のスパイクは人気が高いそうだ)ので、公平を期すため裸足に統一したとのこと。

 プレー内容は素人の村谷がみてもレベルが高く、しかも真剣で、同行してきた選手の家族からの応援にも力が入っていた。
決勝戦では昨年の優勝チーム・タメイ小学校が実力の違いを見せて連覇したが、我等はユニフォームが揃えられず昨年の参加賞のTシャツに手書きの背番号を書いて臨んだ準優勝チームを揃って応援した。

 賞品は日本から夫々手分けして持参したユニフォームやサッカーボール、参加賞には皆さんから提供していただいた文房具が用意され、試合中に我らが手分けして整理し、各々分担して手渡して無事に大会を終了した。

 工事途中の経済特区をミネベア勤務の青年に入り口近辺だけ案内してもらった。
まだ空き地がほとんどだったが、電気代の高さを税金の減免で補う仕組みを利用して、急速に工場等の建物が建設されていくものと期待されている。
我らは、大気社カンボジアの一軒おいた隣りにあったコンビニに立ち寄り、1時間以上の帰途を紛らすための買い物、数名はカンビールを購入した。 

 ホテルに帰り着き遅めの夕食に出かけた。遠出するのが面倒なので、ホテル近くの中華料理店・蓮花餐廳 東南亜美味小吃に入った。
値段が安い割においしく感じたのは、昼間のボランティア活動の賜物だったようだ。

 部屋に入りぐっすりと休みました。


★11月17日(月)第六日目 ・ カンボジア滞在6日目 ・ プノンペン市内散策 

 本日は、この旅で初めての自由行動日だ。 
朝食後、事前の研究を積んだ田幸の案内で、ゴルフに出かけたS氏・K氏&小林以外の5人で出発する。

 最初の目的地は、昨夕訪れた王宮に隣接する国立博物館。
地図を片手に、平日の朝、賑やかな車とバイクが行き交う交差点を、右折、左折しながら進む。自動車はカムリ、バイクは圧倒的にホンダが多い。信号なしの道を横断するのにも随分慣れてきた。

 1905年に開設されたという博物館の建物はクメール様式で、アンコールワット遺跡などから出土した数々の展示物が陳列されいる。
入場料3ドル/人を支払い入館する。
 5ドルで日本語のできる男性ガイドさんをお願いしたので、非常に懇切な説明を1時間ほど伺い、カンボジアの歴史や展示物について理解できた。
 鑑賞を終え、広々とした中庭で休憩していると、一角で白人チームが展示物を荷造り中。近々北京で開催される展覧会に出展するためだった。
先ほど像がない台座だけの展示物がいくつもあった理由が判明した。お蔭で真近で貴重な遺跡の一部を見ることができた。

 園外に出て、昨夜も散策したトレンサップ川の河畔をそぞろ歩く。
国王陛下の大きな写真が飾られていたが、水上生活者村の小学校の教室や、ホテルのロビーにも前シアヌーク国王夫妻とともに必ず写真が掲げられていたことを思い出す。

 河畔を北上して、オールドマーケット前の交差点に到達。目の前にあった両替所で、村谷が円をドルに交換、1万円=8,400ドルは前と変わらない。
 入ったマーケットは想像していた通り地元民専用の豊富な品ぞろえだが、先があるので何も買わずに外に出て、大きなグリーンベルト(自由広場)の陽射しがあたらない芝生の上で水飲み休憩。

 次に、小高い丘の上にあるワット・プノムに向かう。欧米人のグループと入れ違いに階段を登る。外国人のみ1ドルという英文の表示に従って入場する。
大勢のカンボジア人の信者さんが、熱心にお参りしていたのはタイや台湾と共通する風景だった。

 ペン婦人という富豪が寄進した寺院で、丘(プノン)の上に建つ。これが首都プノンペンの名の由来だという。
境内には鳥かごに大勢のスズメに似た鳥が飼われて?いて、1ドル支払えば1羽放鳥してくれると。先祖の霊魂との使者の役割を果たしてくれるらしい。

 正午近くになっていたので、セントラルマーケット手前の建物の2階にある中華料理店・帝皇殿 点心皇に入った。バーカウンターもある中級店?で、各々好みの品を個性を発揮して注文する。
 村谷は具沢山の焼きそばと、少し奮発してハイネケンビール。
カウンター内にいた色白でドレスを纏った若い女性がその都度ビールを注いでくれた。

 焼きそばは質量ともに満足で、10ドル支払ったおつりはチップ。出がけの階段下で、ランチ目当てらしいサラリーマン男性3人組と入れ替わった。

 食後は自由散策・自由時間とし、村谷は腹ごなしに広々したセントラルマーケットをゆっくりと見学し、ホテルに戻る。
夕方まで、シャワーを浴び、カンビール片手に、日本語放送を見ながらのんびりと過ごした。

 夕刻は、ゴルフ組と合流して、8人が2名ずつトゥクトゥクに分乗して、現地人御用達と思われる中華店に着き、S氏&K氏とのサッカー仲間の唐木田氏および太田氏と合流する。

 唐木田氏の夫人がカンボジア人のネイリストであるため、我らの注文を正確に伝えてくれた。
メインはタイスキ風鍋物で、野菜やキノコ、各種肉類がどっさり、ビールを次々にお替りしたが、値段は驚きの安さだった。

 同地の事情に詳しい両氏から、現地のサッカー事情はもちろん、政治情勢、雇用や教育が抱えた課題、対日感情などを詳しく伺い、長時間の歓談ができました。

  今夜も寝酒を摂ってから就寝しました。


★11月18日(火)第七日目 ・ ベトナム滞在初日 ・ プノンペンからベトナム・ホーチミン市へ移動

 6日間のカンボジア滞在を終えて、ベトナム南部・ホーチミン市へ移動する。
カレーも選択した朝食を終えて、朝の散歩もこなした一同は、ロビーで帰国するツアーの皆さんとお別れし、11時30分に頼んでおいた小型のバスでプノンペン空港に向かう。

 全く渋滞もなく1時間足らずで空港に到着した。
出発時刻の14時15分までには時間があるので、夫々空港内の施設で軽食を摂った。
 村谷は滝澤・小林とともにマクドナルドに入店し、国内では食したことがないビックハンバーガーをこれまた久しぶりのコカ・コーラで完食した。

 VN921便は定刻通りに出発、45分の飛行時間はあっという間だった。申告する持ち込み品はないので、税関提出書類も入出国カードも必要ないのがありがたい。パスポートとEチケットを提示してベトナム入国。

 12日(水)のトランジットで見覚えのあるタンソニャット空港を出ると、スケッチ・トラベルの出迎えの車が待っていた。
洗練された大都会の風景の中に、道路いっぱいに溢れるばかりに車やバイクが行き交う中、これから3泊する「Hosen Hotel」に到着。
 今までと同様の部屋割りで一先ずチェックインした。周辺にはサークルKが何箇店もあり、寝酒用のビールの調達には問題ない。
ただ、カンボジアのホテルで見られた日本語放送が、リーズナブルなホテルのためか部屋のテレビでは見られなかった。

 カンボジアではドル一辺倒(ただし、つり銭は現地のリエル)だったが、当地では国策でドン使用が薦められているため、サイゴンの銀座通り=ドンコイ通りに出て、円をドンに両替した。
 
 夕食は、今回の旅では初めての日本食、当地に詳しいS氏&K氏の案内で、和食・どらえもん かか に入店。
2階の座敷部屋に落ち着く。
 ここでは衛星放送が視聴できるので政局などのニュースを見ながら食べた、呑んだ。
当然ながら、値段に比例して設備が整っていました。

 糖質制限中の村谷は、焼酎ベースの飲み物にして、やはり美味しい日本食を久々に堪能して、徒歩数分のホテルに帰館しました。


★11月19日(水)第八日目 ・ ベトナム滞在2日目 ・ ホーチミン市内観光とサイゴン川ディナークルーズ

 本日は市内観光とディナークルーズが控えているため、朝食から気合を入れてかかった。
フロント奥の食堂は、メニューが豊富で、特に果物が日替わりで数種類食べられるのがよかった。


  
挿入【ホーチーミン ホーセンホテル 朝食時の一小間】
      
中田 「このマンゴーは色が赤いねー」
       森  「種類が違うんじゃないの。沖縄で食べたマンゴーはもっと黄色だったけどなー」
      見かねた田幸が寄ってきて「それはパパイヤ! マンゴーじゃないの!」 
(森 記)

 ホーチミン初めての6人は、ガイドの達(ダット)さんの案内で8時半出発、午前中に有名どころを駆け足で巡る(入館料込みで30ドル/人)。

 最初に訪れたのは歴史博物館。前史時代から20世紀半ばまで幅広い展示物が見られたが、入館してすぐの大きなホーチミンの銅像が設置された部屋のテーマが、日本との交流を示すもので占められていたのには驚かされた。
短期テーマの展示室で、最近日本のODAで地下鉄工事が始まったためだろうか?

 続いて聖母マリア教会(サイゴン大教会)。コロニアル建築の尖塔と、内部から見たステンドグラスが美しい。午前11時から午後3時までは閉館のため、朝早い出発がよかったようだ。

 次は中央郵便局。アーチ状の高い天井が、ローマのテルミニ駅に似ている気がした。村谷は、コインセットを購入した。
実際にはコインは使われず、紙幣しか流通していないそうだが、その紙幣もベトナムでは原料がなく、オーストラリアに全面的に制作を依頼しているという。

 ガイドから気が弱い人は遠慮してもよいといわれた戦争証跡博物館を訪問。広い庭園には米軍からの戦車や航空機など戦利品が所狭しと置かれている。
入口を入ったところに、赤旗やベ平連など日本でのベトナム反戦活動を詳しく伝える展示物が続く。
 
 2階を中心に、200万人強の犠牲者や、枯葉剤による被害状況などを詳しく示した資料が展示されていて、戦争には勝利者が存在しないという思いを新たにした。

 続いて、旧南ベトナム大統領府だった統一会堂。サイゴン陥落時に脱出用に使用されたヘリポートなどを見学した。部屋ごとに色分けされた会議室・応接室が豪華な調度品とよくバランスが取れていた。ただ、エレベーターがないので、4階に上がるまでに一汗かく。

 午前中の最後は、何でも揃っているといわれるベンタイン市場。料金表示が不十分で、ボッタクリとスリに注意して利用するよう、ガイドから警告があったが、夫々後日、無事に買い物ができた。

 観光終了後ホテルでS氏&K氏と合流し、昼食に出かけた。
近くの 和食 はな の店先で呼び込まれて2階の座敷へ。8人8通りの注文を見事に捌いて、ドルとドンに分かれた支払いをぴったり清算したチーママ?にすっかり感心して、再訪を約束。

 先ずは、迷子になったらここに戻りなさいという市民劇場(旧・オペラハウス)を確認する。目の前には日越両国旗が掲示された大きな地下鉄工事の告知板がどんと立ちはだかる。
 グエンフエ通りはサイゴン川近くまで通行不能のため、市街地の東西通行は大きく迂回せざるを得ない。

 ルネサンス様式のオレンジ色の人民委員会庁舎に行き、あわせてホーチミン像を拝見するつもりだったが、工事の関係から見られなかった。
代わりに向かい側のファッションビルの1階で、長身かつ色白のベトナム人モデル嬢が撮影中だったので目の保養。

 K氏一押しの刺繍絵専門店・「XQ SAIGON」でも目の保養をしたのち、夕刻まで自由行動。

 村谷は国営百貨店を探したが、9月末に閉店したと判明したので、「ファミリーマート」でアイスクリームを食してホテルに戻った。

 夕食はベトナム料理と夜景を満喫するサイゴン川リバークルーズ(35ドル/人)。
午後6時半、日本人の女性ガイドさんがバスでお出迎え、乗車。

 サイゴン川沿いの船着き場に行くには、信号のない大通り、結構なスピードで飛ばす車とバイクの洪水(流石の田幸も昼間、通行を断念したとのこと)を、ガイドさんに置いて行かれないように「止まらず、走らず、戻らず」の精神で、懸命に渡りきった。

 美しさに定評あるサイゴンのきらびやかな夜景と、ベトナムの伝統舞踊を楽しみながらの食事はきわめて快適だった。何よりも涼やかな川風が最高のご褒美だ。
 帰途は桟橋側にバスが停車したため、道路を横断せずに乗車できてやれやれ。

 帰りがけに、ライトアップされた中央郵便局、サイゴン大教会前にも立ち寄ったが、マリア像のある小公園の縁石に若者たちが座って歓談していました。

 行程の最後にあった“夜景のきれいなバーで一杯”は、静かな雰囲気のところを想像していたが、大音響の音楽が聞こえてきたので、覗いただけでパス。

 今日も随分歩いたので、安らかに就寝できました。

★11月20日(木)第九日目 ・ ベトナム滞在3日目 ・ メコン川クルーズ、水上人形劇鑑賞

 午前8時半に女性ガイドさんがお出迎え。6人でマイクロバスに乗車し、出発。
 中国人とのハーフだという陽気なガイドさんで、日本語も堪能だ。ベトナムでの平均月収は3万円程度だが、日本語ができると倍くらい稼げるので、熱心に勉強する人が少なくないという。

 先ずは日帰りで駆け足のメコンクルーズの始まりだ(55ドル/人)。
1時間強でミトーに着き、6人では十分すぎるくらいの船で、中洲に向かう。
 ベイブリッジとよく似た橋を潜る。船頭さんが鉈で豪快に叩き割ってくれた椰子の汁を味わったが、淡白な甘さがとても美味しい。

 中洲に着き、ガイドさんの案内でこのツアーではここだけだという蜂の巣から直に蜂蜜をなめさせてもらう。これまた美味で1瓶5ドルと安い。
料理上手の滝澤が早速購入した。ロイヤルゼリーも遠慮なく何回も試食した。

 次は椰子糖(飴)工場?作業場?を見学する。ヤシの樹液を煮詰めて砂糖にするという、とてもわかりやすい工程だった。
  原汁椰子糖
の記事がある「花茶館」さんのページ) 、pure coconut candy と名付けられた入れ歯が取れそうになるほど粘りのあるキャラメルなどをたっぷり買い込んでから移動。
購入した物は後ほど船つき場で受け取れるので、手ぶらで散歩。

 続いて、衣類などを売る売店が軒を連ねる店先を進む。
ガイドさんは、2人いるという子供さんの衣類を買い込んだが、我等は眺めるだけ。

 バナナ・マンゴー・パパイヤ・ココナツ・龍眼・ジャックフルーツなどが植えられた果樹園の一角にある休憩所で、一休み。
民族楽器を携えた合唱団が観光客の前で演奏し、チップをもらっている。我らも、色いろなフルーツの味を比べながらの音楽鑑賞。

 果樹園の間の狭い道を通り抜けて、順番待ちの行列ができるほどの人が訪れている船着き場に到着した。
狭い水路を前後2人の船頭が漕ぐボートに3人ずつ乗って、狭い水路をクルージングする。
対面してくるボートとぶつかりながらすれ違うのは迫力があった。一切、動力が付いていないため船頭さんは汗だくだ。
 水路は両側の木々が頭上をすっぽりと覆ってくれているため、涼しくて乗客はきわめて快適で申し訳ないくらいだ。  

 上陸すると先ほどの大型船がお出迎え。2、3隻の船を伝って乗船する。
ミトーに戻り、ビンチャン寺見学。
大きな真っ白い布袋尊像が鎮座している派手目なお寺でした。
 境内でベトナム女子3人連れから小林に、一緒に写真を撮って欲しいと声をかけられ、カメラに一緒におさまっていた。
白髪、布袋様のようなやさしい日本人のおじいちゃんがモテキでした。

 やや遅めの昼食に向かう。皇太子殿下も昼食を摂られたという大きなレストラン・「Mekong Rest Stop」に入店した。目玉は生春巻きで、女性店員さんが実演してくれたのを真似て、夫々自分でエビや野菜を巻いて食べる仕組みになっていた。
具がたっぷりあるので何回もお替り。ビールにもぴったりだった。
 名物の象耳魚のから揚げも美味だったが、大きすぎて残してしまった。
 入口の売店に昨年、菅野大兄がアンコール旅の帰りに仕入れてきてくれたベトナム焼酎・ネップモイがあった。
小瓶を9ドルで売っていたが、ガイドさんから観光地で買うのは止めて、オールドマーケットなど市内で買うことを勧められた。

 市内に戻ってガイドさんお勧めのメイドインベトナムショップ・「Unique」や隣接の土産物店・「Butterfly」でお買いものタイム。
バックや布製品から家庭用品まで揃っていて、とくに象牙製の箸やスプーンの品ぞろえが豊富で、買い物好きの約1人が熱心に品定め。既に昨日、ベンタイン市場で土産品を購入済みの面々はその間、手持無沙汰で2階でお茶とお菓子を食して待った。

 荷物を置きにホテルに戻り、K氏の手配でチケットを買って頂いた、午後5時開演の伝統芸能・水上人形劇鑑賞の為、バスで「Golden Dragon Water Puppet Theatre」まで送ってもらう。
 開演まで隣にある公園で涼もうと、緑濃い文化公園に入る。
園内に運動遊具が点在していたので、ここで一週間ほどの運動不足を補った。

 4時45分に劇場に移動し、一番乗りで最前列の席を確保した。
1時間の人形劇は17部から構成されており、民族楽器の演奏に合わせたスピーディかつコミカルな内容で、言葉が分からなくとも理解できました。

 劇場から夕闇の街を、道路の横断には気をつけながらのそぞろ歩きでホテルに戻り、S氏&K氏と合流し、実質最後の夕食は、S氏の推薦で、本格的ベトナムレストラン・「Huong Lai」で、素朴ながら奥深いベトナム家庭料理をハイネケンやワインで堪能しました。
 次々と来店客が絶えず、また是非とも行ってみたいと感じました。
 なお、この店は「社会的に恵まれないベトナムの若者達に新たな人生のチャンスを与えたい―ベトナム家庭料理を外国人にもっと知ってほしい―というふたつの想い」で、日本人店主がオープンさせ、孤児院や貧困家庭出身の若者たちを雇用し、職業訓練や自立支援を目的としていて、ここにも立派な日本人の姿を見つけることができた次第。

 明日の帰国に備えて荷造りを行ってから就寝しました。


★11月21日(金)第十日目 ・ ベトナム滞在4日目 ・ アクティブホーチミン+最後の自由行動

 すっかり慣れたホテルの朝食を早目に平らげて、村谷は単独で散歩に出かける。
 サイゴン川に沿った横断の難所・トンドゥックタン通りも、早朝の為交通量が少なく無事にに渡れた。
渡りかえしてそのまま北上し、今回は立ち寄れなかったトンドゥックタン博物館や東京三菱銀行支店前を通過、道なりに左折してレタントン通り、ハイパーチュン通りを経てホテルに戻った。

 午前中は、アクティブホーチミンツアー(30ドル/人)に6人が参加する。
 8時半にマイクロバスがお出迎え、男性ガイドのチャン・タイン・ハイさんが見事な日本語で挨拶した。日系企業に長年勤めていたそうで、これまでで一番達者だ。

 先ずはヤックラム寺院。3年間の僧侶の修業経験があるハイさんの参拝の手つきを真似た。
続いて、天后宮。それほど大きな建物ではないが、長い歴史を感じさせる風格がある。

 更にPhuong Nam漆工芸店。絵画と見紛うばかりの見事な品々もあり目を奪われたが、高すぎて買えない。

 ミリタリーグッズやマニアックな工具等を売るヤンシン市場を見学した後、マイクロバスからシクロに乗り換えてホテルに戻る趣向。
人力車を自転車で押す仕組みになっていて、直接対向してくる自動車やバイクと向き合うためちょっとしたスリルがある。小林はホテルに帰る途中で交通事故を目撃したとのこと。

 村谷は田幸とともにオールド・マーケットに行ってもらって下車、ガイドさんに教わった酒屋街で大瓶のベトナム焼酎・ネップ・モイを格安で購入し、歩いて帰館した。

 S氏&K氏と合流し、昼食に出かける。今朝、村谷が散歩したのと同じコースを辿って、日本食堂が多いレタント通りの裏手にある麺処・大ちゃんでラーメンを食した。その後は自由行動、

 村谷はドンコイ通りのヴィンコムセンターでイオンショップを見つけて、残った1万6500ドン(約70円)で唐辛子入り食塩を購入した(その後のYSC散歩で使用して好評です)。

 夕食は、全員一致で 和食の「 はな」。 今回もてきぱきと料理と飲み物を運んでくれた。村谷は赤ワインと鍋焼きうどん。ちょうどドルを使い切りました。

 食事のあとは、荷造りを済ませて空港へのバスを待つのみ。
いろいろな土産を購入したが、ベンタイン市場で珍しく値札がついていて、ガイドブックにも紹介されていた刺繍小物2種類が、大変好評でした。
 少数民族柄の財布(5万ドン)と、絹地の着替え入れ(3万ドン)は嵩張らず、カラフルなデザインでお勧めです。

  ⇒  「ベトナムお土産図鑑」のページ    「ベトナムのお土産〜定番編」のページ 
  ⇒  「ベトナムのコンビニで買えるお土産 BEST10」のページ 


★11月22日(土)最終の第十一日目 ・ ホーチミン〜成田

 昨夜21時にマイクロバスがお出迎え。
0時10分(日本時間2時10分)ホーチミン・タンソニャット空港発のVN300便に滞りなく搭乗した。

 ひと眠りして、日本時間5時過ぎ お馴染み?になった機内食を、ベトナムビールと赤ワインで平らげて寝なおし。

 定刻の午前8時より少し早く、成田空港に到着し、近々の再会を約束して、三々五々に帰宅しました。

 計画立案からすべての手配と街歩きガイドまで行っていただきました菊池兄と、要所要所で適切なアドバイスをしていただきました鈴木兄のお二人には、大変お世話になりまして、心からお礼申し上げます。

 また、残念ながらご参加は見送られましたが、このような楽しい企画にお誘いいただきました塩路兄にも、厚くお礼申し上げます。(村谷 記)


  
今回は菊池さま・鈴木さまの旅に同行させていただきました。
  なにからなにまで大変お世話になりありがとうございました。

  ただただ、塩路兄・小澤兄が参加できなくなったこと、誠に残念でした。


  今回もまた、天候に恵まれた海外旅行ができました。

  なお、小林・田幸・中田・村谷が風邪ぎみで帰国しました。  12/23/34サンアロハ

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2014年11月12日(水)〜22日(土)「カンボジア・ボランティア+ベトナム・ホーチミン」

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 ※カンボジアフェスティバルが毎年? 5月3日〜4日あたりに、代々木公園で開催されます。

 ※ベトナムフェスティバルも毎年?6月第一(土)(日)あたりに代々木公園で行われます。

 ※2015年11月30日〜12月4日に、ベトナム・ハノイ&世界遺産・ハロン湾に行きました。


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