小春日和の
与野駅に滝澤・島田・百石・田幸・清水・村谷・山内の7名が集まった。
今日は、関東郡代・伊奈半十郎忠治が陣屋を置いた赤山と土屋陣屋を結んだ街道の一部を歩くとのこと。
与野駅東口商店街の八百屋さんで、赤山通り商店街の入り口を確認し、
駅東口交差点を渡り右折し、すぐに右斜め方向に道が続く
赤山通り商店街に入る。
商店街と言っても、商店がまばらにある住宅街だ。庭先の
ナツミカン・ミカン・柚子・キンカン・柿などのオレンジ色が青空に映える。
この時期に咲く冬桜の小さな桜花がかわいい。産業道路を渡ってすぐの
木崎小学校に人だかりが。正門には「
木崎ふれあいまつり」の立て看板。
昼食場所にと、あてにしていた大東北公園が見つからず、
大東小学校近くで通行中の児童連れの女性にお聞きすると、昼食場所として浦和大東郵便局そばの
大東東児童公園を教えて頂き、藤棚の傍らの無風の陽だまりにシートを広げ、落ち着く。
山内がお得意の白菜&豚バラ鍋を温め、村谷が砂肝野菜炒めを作り、ついでに田幸持参のハムを温めてくれ、滝澤が持ち寄りのお酒を絶妙の熱さ加減の熱燗へと調合する。
26日の高尾山紅葉狩り山歩時に参加者から繰り越し品として預かった数々のつまみを缶ビールと熱燗でいただいたが、今日の持参品の一部が12月3日の鎌倉アルプス山紅葉狩り山歩に繰り越しました。
小1時間の日向ぼっことアルコールで温まり歩行再開。
心地よい快音が聞こえてくる
三室バッティングセンター横を通り、
西宿バス停そばで
北宿通りを渡る。
街道、といっても新興住宅街と商売用とみられる植木畑の間のなんということのない道を進み、歴史を感じることができる
寛保の庚申塔に出会う。
青面金剛・二童子・四夜叉・三猿・二鶏・月日を浮き彫りにし、「
東は赤山道、西大宮道」と刻まれた」高さ2.5mの大きな塔だ。
国道463号線バイパスを越えると、東浦和駅が近くなってくるからか古い農家も残るが、新興住宅街が増えてくる。
4.5帖と3帖2間のこじんまりとした
旧高野家離座敷(浦和くらしの博物館民家園分館)に立ち寄り、ぬれ縁で小休憩。
ここは蘭方医・高野隆仙が住んでいて、高野長英が逃亡中にこの離れにかくまい、隆仙は捕えられ拷問を受けたが、決して師の行方を話さなかったとのこと。この拷問で受けた傷がもとで49歳で生涯を閉じました。と。
青空にすっくと咲く
皇帝ダリアの青い花を見上げ、少し、200mほど歩くと、長い瓦葺きの塀と門があった。
中山道浦和宿本陣唯一の遺構・大熊家表門だそうだ。
この門は、明治元年と3年に明治天皇が大宮氷川神社に行幸された際に行在所として使われた中山道浦和宿本陣の表門とのことだが、門の傍らに立つ教育委員会の説明板には、ここに移築された経緯は書かれていなかった。
東浦和駅に近づき区画整理で作られた道路や新しい家や店舗が増えてきて、
黄色く色付いた銀杏並木の続く駅前通りから見沼通りに入り、
天台宗・清奉寺(「猫の足あと」さんのページ)へ参る。
新規分譲中と思われる墓地の最奥に、石の柵で囲われ、正面には葵(あおい)の紋(もん)の付いた門扉が建っている。徳川家康と同じ頃に実在した
“見性院” という女性の墓。
見沼通りを東浦和駅に向かってちょっと進むと、両サイドを道路に取られ、竹林に覆われた
大間木氷川神社。
本日の好天と無事を感謝申し上げました。
この小さな本殿が、あの参道が2km以上もある
武蔵国一宮の大宮氷川神社の本殿だったとは驚きだった。
⇒
大間木氷川神社の記事がある「彩の国見沼たんぼ」さんのページへ
駅前通りへ出て、
東浦和駅到着。打ち上げ場所をあちこち探しましたが、営業時間が合わずに直帰しました。
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コース
JR京浜東北線・与野駅〜赤山通り商店街〜寛保の庚申塔〜旧高野家離座敷〜大熊家表門〜清奉寺〜大間木氷川神社〜JR武蔵野線・東浦和駅
<歩行時間 2時間>
※さきたま出版会「埼玉ふるさと散歩・伊奈忠治が築いた赤山街道を歩く」を短縮して歩きました。
…」出版物で、ネット上に該当ページは見当たりません。
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