<9月25日(水)〜28日(金)生涯最高地点の奥穂高岳(3190m)登頂>

 山友達の松戸兄・山内兄と共に、予てより念願だった奥穂高岳に、無事に登頂することができました。
小生の地力では到底、手が届かない急峻な岩山でしたが、松戸兄の周到な計画、年間でも珍しい絶好の気象条件に加えて、下りが不得手な 小生をまさに手取り足取りしていただいた両兄のお陰と感謝申し上げます。

【9月26日(木)=上高地バスセンター〜涸沢ヒュッテ=】

 前夜(25日)午後10時30分発のさわやか信州号に、松戸・村谷・山内の3名が揃って乗車した。松戸が3列シートグリーンカーの1列席を予約してくれたお陰で、リクライニングを思い切り倒して、快適に睡眠体制に入れた。
 出発から15分で早くも消灯時間だが、飲兵衛2名は第2ビルB2のコンビニで仕入れておいたカップ酒の力を借りて眠りにつく。

 26日(木)の午前5時15分、
上高地バスターミナルに到着したが、広い駐車場にはパラパラとしか停車していない。上空は薄い曇り空だった。
 ベンチを占領して村谷が持参のバーナーで湯を沸かす。松戸が用意してくれたスープを溶かし、まずは朝食タイム。レバニラ炒めやおにぎりなどメニューはバラバラ。

 今後3日間の行程を再確認し、午前6時に出発する。
河童橋(標高1500m)に一番乗りして記念撮影。上空には早くも青空が出てきた。
 
明神・徳沢の各小屋で休憩を取って、9時半前には横尾山荘(1620m)に予定通り到着した。     
ここまで11キロの行程と120mの標高差を消化し、残りは涸沢ヒュッテまで6キロの山道だ。

 予報の曇り空が何時の間にかすっかり青空になっていた。靴の紐を締めなおして10時前に出発。
横尾谷に沿って緩やかな山道を1時間ほど歩くと本谷橋
途中で数組の下山客とすれ違ったが、女性が圧倒的に多かった。少しぐらぐらする吊橋を渡って、広い川原で早めの昼食とする。
 今日から2泊する
涸沢ヒュッテは5時朝食・17時夕食なので、今のうちにペース変更が必要だ。
横尾山荘で沸かしておいた湯で、味噌汁を作る。暖かな汁物がひんやりした谷川の冷気を吹き飛ばしてくれる。

 たっぷりと休憩を取ってから、出発。何度かガレ場をトラースし、樹林帯を抜けるとようやく、遥か頭上に涸沢ヒュッテの小屋が見えてきた。標高2100mを超えた辺りから急な石段道が続く。
  2002年9月14日に宮下兄・田幸兄と登ったパノラマコース と合流すると、
涸沢ヒュッテ(2309m)。
松戸の早めの予約と連泊の効果で、3人部屋を独占(1泊2食で9500円)、これまた前回の蒲団1枚に2名で寝た時とは様変わり。
ウイークデーに行動できる有難さを痛感する。

 汗びっしょりの服をすっかり着替えて寛ぐ。外へ出ると思ったほど寒くなく、上空は100%青空になっていた。
夕食までは3時間近くもあるので、失われた水分の補給に努める。小屋の蛇口から溢れる山の水が非常に美味しい。
飲兵衛2名は持参の黒糖焼酎やバーボンを、これまた魔法瓶で持参の氷と合わせ呑む。小屋の中が暖かいためか、よく効く。

 夕食は大食堂。8分程度の宿泊者のためか、空席があった。
メニューはアジフライと豚の生姜焼きをメインに豊富だ。2名は地酒のカップ酒を追加。リーダーは明日に備えて18時に就寝。残る2名は談話室で1時間ほど作戦会議を行ってから床に就いた。   


【9月27日(金)=涸沢ヒュッテ〜ザイテングラート〜穂高岳山荘〜奥穂高岳を往復=】

 ふかふかの毛布で暑いくらいの快適な眠りを終えて、午前4時過ぎに起床。昨夜のアルコールも残っておらず快適だ。
5時から朝食。鮭の塩焼き・卵焼き・焼き海苔等の典型的な朝食メニュー。
 上空は滅多にないという、まさに雲ひとつない青空。眼前の国内最大級の屏風岩の上空もぴかぴか輝いている。

 6時に出発。先ずはまだ青々とした涸沢カールを左手に、石畳のパノラマコースを登っていく。石畳道を登りきった
見晴台で休憩。早くも行動食を摂り、これからの難所に備える。
日差しが強すぎて汗がどっと出る。
 続いて巨大な岩場・
ザイテングラートがお待ちかね。滑落事故も起きたという場所なので、慎重に休み休み通過する。クサリ・ハシゴがある上、角度も急だった。

 3時間ほどで、
穂高岳山荘(2983m)に到着した。正面には 昨2012年9月25日に松戸と登った常念岳 が余すところなくその優美な山稜を現している。
 再び行動食でスタミナを蓄えた後、最大の難所、
奥穂高岳頂上(3190m)まで、約1キロの岩場に挑戦。
クサリや梯子が連なり、時にはオーバーハングを越えて1時間強、何とか
頂上にゴールイン。
真正面には槍ヶ岳(3180m)、直ぐ隣に立山連峰、東には八ヶ岳、富士山、甲斐駒ケ岳、北岳等々、360度の絶景が広がる。
山頂直ぐ下にある
穂高神社嶺社にここまでのお礼と下山の無事を祈願して下山開始。

 登りの何倍もの緊張感を維持して、松戸から一歩一歩指示を受けて、ようやく
穂高岳小屋にたどり着き、ほっと一息。
涸沢小屋から持ってきた弁当を腹に収めてようやく人心地がついた。

 午後1時過ぎに下山開始、
ザイテングラートを慎重に降りきると、朝方は青々していたカールが上半分はもう紅葉が始まっていた
雲が発生して、我々を追いかけるように下ってきたので、下りの競争となる。
 涸沢小屋への分岐を選択し、色づき始めた樹林帯を通過、3時に小屋に着いて一息入れ、続々と建つテントの横を通過して、
涸沢ヒュッテにゴールインした。
      
 先ずは戸外のベンチで、生ビールで乾杯し、絶好のコンディションに恵まれた、無事の登頂成功を祝した。
夕食は休み前の金曜日とあって一部交代制。
ハンバーグと鮭フライがメインで、ボリュームたっぷり。
 2名は昨夜と同様に、カップ酒つき。引き続き談話室に移動して、残ったツマミとアルコールを平らげて就寝した。


【9月28日(金)=涸沢ヒュッテ〜横尾山荘〜上高地バスセンター〜(バス)新宿=】

 疲れが残っていたためか、午前4時半起床。上空は本日も青空だが、少し雲が出ている。
5時からの朝食は、ツアー客が入ったため交代制だった。

 ゆっくりと身支度してから、6時半に下山開始。飲兵衛2名は、チェーサーとして美味だった山水を各1リットル詰め込んだ。
岩肌には霜が降りていてきらきらと輝いている。土曜日とあって、何組もの登山グループとすれ違うため、少し時間がっかったが9時半には
横尾山荘に着いた。
往きに預けておいた着替えを受け取って、再び
徳沢・明神で休憩を取って、12時半に河童橋へ戻った。

 休日で込み合う人並みをかき分けて、対岸に渡り、五千尺ロッジの先にある
上高地アルペンホテルに入る。
上高地でただ2箇所の立ち寄り入浴可能な施設として、登山客の一部に知られており、浴槽が広い(入浴料は500円)。
久々の風呂で汗と疲れの一部を洗い流して寛ぐ。
 窓からは前穂高岳の山並みが一望できた。
食堂に移り、蕎麦定食で遅めの昼食。生ビール付だ。

 
バスセンターから15時発の新宿行きに乗車、週末の渋滞にかかったものの21時前には新宿西口に到着しました。
非常に厳しい登山でしたが、全員無事に帰還できたことを感謝しながら、散会しました。


               このページのトップに戻る

    ※ 松戸兄のブログに今回の奥穂高岳登山がアップされました。ここをクリックして下さい。 

                    前のページへ    次のページへ.
.
.
.
.

やま

★2013年9月26日(木)〜28日(土)「奥穂高岳」

ホームへ

富士山 ↓