★2011年10月8日(土)「歴史と文化の香りが漂う街 足利」
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爽やかな陽気が続くという3連休の初日、百石・小林・村谷・山内の4名は定刻までに足利市駅に集合したが、田幸と塚原は大宮駅の線路に立ち入った人がいたためとかで、宇都宮線の電車は10分遅れで久喜駅到着。
しかし、東武伊勢崎線・太田行きの電車は出発した直後。
次の館林行きでは足利まで行かない。その次の太田行きに乗って、電車は順調に走ったのに 40分遅れ。 m(_ _)m
見学ポイントを足利公園、織姫神社、ばんな寺、足利学校とすることにして、スタート。
澄んだ流れの渡良瀬川を中橋で渡り、渡良瀬橋まで芝生の河原を歩く。
ところどころに東日本大震災の爪あとと思われるブルーシートを屋根の上にのせた家も点在する町の道へ入る。
大邸宅や蔵があちこちに、キンモクセイ(金木犀、桂花)が香ってくる落ち着いた町並みの間を西へ進む。
八雲神社で本日の無事を祈り、古墳群のある足利公園に入り、高台の芝生で開宴。ビールでカンパイ!
前回から持ち越しのヘネシーや村谷持参のワインを楽しみながら、11日開催の百石・小林たちの同期20名でのゴルフ会などあれやこれやと歓談、程よくアルコールが回ってきてお開きとした。
北へ進み、産業振興と縁結びの神様・足利織姫神社の正面大鳥居から229段の石段を登り切れば本殿。
二の鳥居横には「八木節の故郷 足利」の石碑があり、ここで塚原は 「待っている」 とのことで、5名が朱塗りの社殿で参拝し、下界の景色を楽しんでいると、塚原が登ってきた。
階段を下り、北仲通りの落ち着いた町並みを進み、足利の大日さま・鑁阿(ばんな)寺へ。
どっしりと佇む山門前の 反り橋の上では子供たちが堀の水面にパン屑を投げていて、澄んだ水をたたえる堀には、大きな鯉やカルガモの群れが悠々と泳いでいた。
足利氏宅跡が財団法人日本城郭協会選定の 「日本百名城」 に指定されているとのことで、「日本百名城」巡りをしている塚原がスタンプ帳にスタンプを押してもらっていた。
国指定の重要文化財の本堂で今日の無事を謝し、イチョウの大樹が繁り七堂伽藍が立ち並ぶ境内を散策した。
敷石で綺麗に整備された参道・大門通りをちょっと南に下がり、東進すると、“めざせ!世界遺産!”足利学校。
入徳門をくぐり、受付で@400円を支払い「日本最古の学校 足利学校 入学証」を頂く。“帰りに「卒業証」を頂きたい”旨 申し出てみたが、“それは ない”と。 (*^^*)
受付わきのトイレ付き教室でビデオ学習し、学校門、杏壇門をくぐり、孔子廟。
真っ赤な実をたわわに付けたナツメ(棗)の大きな木などが植えられた南庭園を鑑賞し、庫裏で靴を脱いで方丈から北庭園を鑑賞し、書院で学習。
展示物で事前ビデオ学習の確認・復習、吉田松陰や高杉晋作がここを訪れたことなどを知る。
ちょっと物足りなかったのは、ここでどのような方が「論語」ほかどのようなことを教え、学んだ人物がその後どのように活躍したのか? 松下村塾のように華々しい人物たちはいなくても、教育の成果が知りたかった。…
衆寮(学生寮)、裏門を巡って退校。
中央通りにある、繊維のまち足利を紹介する「まちなか遊学館」で、モダンな柄と斬新な色使いの着物「足利銘仙」を鑑賞し、織り機や撚糸機を見学して、打ち上げ場所を探しながら足利市駅へ戻る。
駅南口前では適当な店が見あたらず、上り電車の時刻表を確認し、北口に行く。ナナメ右前方に飲み屋の看板が並ぶ「駅前名店街」ビルに村谷と山内が飛び込み、開店準備中「地酒の店 波留」のママを口説き、入店。
壁にはマリリンモンローの写真がびっしりと貼ってあって…
ビールでカンパイし、勧め上手に乗せられて飲兵衛たちは、美味しそうに並ぶ「十四代」や「森伊蔵」「魔王」はガマンし、銘柄はすっかり記憶にアリマセンが、宇都宮の酒→小山の酒→庄内の酒→焼津の酒と、乗車予定の電車を見送り、1本遅い電車に乗りました。
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コース
東武伊勢崎線・足利市駅〜足利公園〜織姫神社〜鑁阿(ばんな)寺〜足利学校〜足利市駅
<歩行距離4キロ+α、1時間+α>