★2011年2月12日(土)「片瀬江ノ島の潮の香りの中で社寺を巡るコース」
家々の屋根が雪に覆われた朝、小田急江ノ島線・片瀬江ノ島駅に滝澤・田幸・2ヶ月ぶりに参加の清水・村谷・山内の6名が集合した。
境川に架かる片瀬橋、橋中央のオブジェ 裸体像「雲の形」を愛で、打ち上げ場所を物色しながら洲鼻通りを江ノ電・江ノ島駅前、龍ノ口法難の地に建つ 寂光山 龍口寺 へ。時折小雪が舞うが傘は要らない。
本堂で本日の天候良化をお願いし、階段を上がり、五重塔を間近に見て、仏舎利塔のある高台からは富士山が望めるとのことだがこの天気では…と、省略。
門横の龍口刑場跡の碑文を読んで、湘南モノレール・湘南江の島駅前へ。
懸垂式のモノレールは、足元が地に着いていないためか不安な感じがするのは私だけ?
明治19年に龍口寺に専任の住職が置かれるまで龍口寺を守ってきた輪番(龍口山)八ヶ寺の一つ・龍の口刑場で処刑された人々を葬ったという 龍口山 常立寺へ。
本堂前の紅や白の枝垂れ梅が見頃を迎え、まわりにはカメラを構えてシャッターを押す人が数人。
元使塚の碑文を読んで退出。
何代目かの「西行戻り松」を愛で、「鎌倉殿 駒繋ぎの松」が参道にある輪番八ヶ寺の一つ・龍口山 本蓮寺へ。
手入れの行き届いた庭、境内を見学し、湘南モノレール・目白山下駅へ。
駅横の変哲もない里山が、龍口山といわれていたという「片瀬山公園」。
ここで食事にすることにし、大きなスダジイの下にシートを敷き、降雪を避けながら、乾杯。
早速、飲兵衛持ちよりの日本酒をブレンドして、熱燗づくり。
雲の合間から時折日差しが届くが、北風・最低気温1℃、最高気温4℃の今日は寒い、寒い。飲めない1人もたまらず熱燗を少々頂く。
持ち寄りのおかずをつまみながら、村谷が韓国麺を茹で、清水の四国土産の たこせんべいや三温糖飴、生姜飴などと一緒にカラダを暖めて、 西と17日(木)に中山道・武佐宿から3泊4日の行程で京都は三條大橋まで歩く清水&村谷から概要を聞き、
清水の近況を中心に報告会。 カラダが暖まって店じまい。
目白山下駅まで戻り、腰越小学校横から江ノ電が路面を走る商店街へ。
悪天にもかかわらず満席の4両編成の電車が行き、撮り鉄さんが線路に腹這いになってカメラを構えていた。
神戸川を渡ると腰越駅。船宿・秋田屋の前を通り、源義経が頼朝に鎌倉入りを許されず腰越の地に留められた際に、頼朝に心情を訴える腰越状を書いた寺・ 龍護山 満福寺 へ。
弁慶の腰掛け石や手玉石を見学し、弘法大師にお参りをした。
江ノ電の線路と国道134号線を渡って、八王子山台場跡のある、 元弘3年(1,333年)新田義貞が北条氏討伐のために鎌倉攻めをした際に 神社に戦勝を祈願、成就がなり、太刀と黄金を寄進し、社殿を再興したという、小動神社へ。
一番高いところにある見晴らし台に登ると、遠望はないが、腰越港と江ノ島が相模湾の波に洗われている景色を眺めているとすがすがしい気分になる。
海岸通りを腰越漁港前 船宿・飯岡丸、船宿・池田丸前を通り、腰越橋を渡って、サーフボードの浮かぶ片瀬東浜に降りる。
女子3名が裸足で準備体操をしていた。歩きにくい砂上を江ノ島大橋へ。
橋を渡り、海鮮料理屋、旅館や土産物屋が並ぶ通りの左側に行列の並ぶ店があるので何か?「タコせんべい」を実演販売していました。他の土産物屋にも透明袋に入った「タコせんべい」は売っているが、作りたてが食える魅力だろう。
エスカーには乗らず階段で 江島神社 へ。
今日の無事を謝し、ピンクの絵馬や2分咲きの河津桜や本土の眺めを楽しみ、ここを終着として片瀬江ノ島に戻り、洲鼻通りの「お好み焼き・もんじゃ焼・明石焼・鉄板焼の店 てんてん」に入る。
冷え切ったカラダに冷たいビールは避けて、焼酎のお湯割りと、明石焼やシラス・枝豆・牛スジ煮込み・ナス焼きなど軽いつまみでボトル2本を空け、温まり、小田急線の電車内で散会しました。
なお関東地方は、翌13日には晴天になりました。
このページのトップへ戻る
コース
小田急江ノ島線・片瀬江ノ島駅〜龍口寺〜常立寺〜片瀬山公園〜満福寺〜小動神社〜腰越橋〜片瀬東浜海岸〜江ノ島大橋〜江島神社〜片瀬江ノ島駅
<歩行時間 約3時間>
※「小田急自然ふれあい歩道・片瀬江ノ島駅コース」に準拠し、江島神社参拝を加えて歩きました。
…小田急のページは削除されましたが「meseta」さんのページに転載されていました。
※藤沢市、藤沢市観光協会の「いつでもおいでよ!藤沢市・湘南江ノ島」のページへ
※管理人が2006年5月に行った江ノ島の、写真が沢山のページへ
※江の島イラストマップ