★2009年12月22日(火)「江戸下町、日本橋・深川コース(大手町〜門前仲町)」
<師走の日本橋〜浜町〜森下〜深川散歩>
雲ひとつない青空の下、大改装工事中の東京駅・丸の内北口改札口前に集合したのは、菅野・和栗・関根・滝澤・左近・山岡・田幸・村谷の8名。
先ずは中央線の高架に沿って北上し、朝日生命本社ビル前で永代通りを横断し、常盤公園に入る。江戸城の大手門だった常盤橋門が、渋沢栄一の手によって保存されている。8人が横並びになってもまだまだ余る程の大きさだ。
日本橋川にかかるアールデコ調の親柱が残るアーチ橋・常盤橋を渡り、日銀 旧館を横目に見ながら、迷い子のしるべ石標が袂にある一石橋を通過。
田幸・村谷が現役当時に度々通った旧埼玉銀行や旧東京銀行を過ぎると、日本国道元標がある日本橋。イナセな法被を纏った男性が、由来などを説明中。
滝澤&村谷は京都まで503kmの表示を見て、吉田&清水との4人連れでの東海道歩きを思い出す。
反対側の日本橋魚市場発祥の地碑を見て野村證券本社前を東上し、江戸橋横の歩道橋を横断した先には、郵便発祥の地碑が続いて出現する。
後輩3名が勤務中のM証券の看板を横目に、証券取引所が氏子総代を務める兜神社に参拝して、商売繁盛ならぬ本日の無事を祈願する。
明治11年に取引所開設の際創立したものだが、源義家や俵藤太などの伝説が伝えられている。
すぐ先が鎧橋。小網町と茅場町を結ぶ渡し舟が明治5年まで就航していたそうだ。
名の由来は、奥州攻めに向かう源義家が暴風雨にあい、当時海だったこの場所に鎧を投げ入れて竜神に祈って無事わたったそうだ。現在の橋は、昭和32年に完成したゲルバー桁橋で、都内最古の鉄橋になる。
対岸が旧鎧橋ビル。ここに勤務経験のある諸姉・諸兄は、感慨深げに見上げていた。
昼休みに屋上で楽しんでいたバレーボールが、度々日本橋川に落ちたことがあったとか。
うなぎの喜代川の匂いをかぎながら新大橋通りを左折して、小綱神社手前から右折、魚久本店前を11時30分に通過すると、親子丼・玉ひで前には既に行列ができていた。
人形町通りを左折すると、旧人形町ビル。明治2年まで江戸幕府の蠣殻銀座があった場所だが、今は居酒屋・北海道が1階に陣取っている。
折り返して水天宮に参拝し、孫や曾孫の安産を祈願する。
交差点脇で本日リニューアルオープンのチラシを配っていたファミリーマートで、昼食の買い足しを行い、甘酒横丁に出る。
鯛焼きの柳屋は12時半開店のため見送り、酒屋でアルコールを追加。
恒例の忠臣蔵を上演中の明治座横を通過し、12時ちょうどに浜町公園に到着した。
昼食中のOLやおじさんたちに遠慮して、奥にある もやたちの池横の草むらに、関根が調達した特大のシート2枚を広げて、昼食大休憩に突入した。
和栗・関根お手製や左近夫人差し入れなどのツマミをどんと広げて先ずは乾杯。
照りつける日差しは春先のように暖かく、冷たいビールが心地よい。関根がポットで持参した熱燗や、滝澤&村谷がバーナーで沸かしたお湯で割ったウイスキーで、話が更に弾み、持参したカップめんは手付かずになった。
神輿を上げて隅田川テラスに出ると、陽気に誘われた散歩中の人々がひっきりなし。
関東大震災時に奇跡的に残った新大橋をわたると森下。
荒川と隅田川に挟まれたすみだ界隈には小さな博物館が多くあるが、そのうちの一つ、森下駅北側にある折箱博物館・木具輪に入館し(無料です)、手の込んだ職人芸の数々に感心させられる。
清澄通りを南下し、元祖カレーパンのカトレア脇から隅田川へ向かう。
観覧料100円を支払って 芭蕉記念館 に入り、当地で暮らした俳聖の足跡を勉強し、その健脚ぶりにも感心するばかり。
裏手から万年橋袂の分館に出て、芭蕉稲荷に立つ銅像の前で、ひっきりなしに船が行き来していたであろう小名木川と隅田川を眺めて偲んだ。
清澄庭園には入園せず、清澄公園から仙台堀川に出て、首都高速深川線を潜り、富岡八幡宮から深川不動尊に参拝。
そこで待ち合わせていた鈴木(彰)と合流し、午後3時半、 門前仲町・魚三酒場 前に並ぶ。
4時の開店と同時に4階座敷に一番乗り。あっという間に満員になり、驚きながらも、カンパチ、牡蠣、あさり掻き揚げ、クサヤなどなど どんと注文したつまみを、ビール&大徳利で平らげて、この1年間を振りかえって締めた次第。(村谷 記)
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コース
JRなど・東京駅〜常盤橋〜日本銀行前〜日本橋魚河岸跡〜鎧橋〜水天宮〜甘酒横丁〜浜町公園〜新大橋〜芭蕉記念館〜小名木川〜清澄公園〜富岡八幡宮〜深川不動尊〜東京メトロなど・門前仲町駅
<合計歩行距離 約7Km 歩行時間約2時間半>
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