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【おすすめポイント】
 玉川上水の痕跡を辿り、甲州街道と青梅街道の分岐・追分から、大木戸、四谷あたりの旧跡を巡ります


【難易度】
 ★
交通至便。疲れたら中断し、調子が良ければもう少し歩き回りましょう。

★2009年9月19日(土)「歩きたくなるまち新宿 四谷コースの大部分

 今日も散歩日和、“雨の心配なく曇り”の予報のJR・新宿駅西口に滝澤・江湖・山岡・田幸・清水・村谷の6名が集合。
駅前には宵宮が今日、明日に例大祭が行われる十二社・熊野神社の祭礼飾りつけが行われていて、写真を1枚撮り、新宿区作成の「歩きたくなるまち新宿 四谷コース」の地図を頼りに、出発。

 
甲州街道に出て、工事が続く南口大陸橋を渡り、新南口の階段を下り、「ビクトリア」横、中山競馬開催日で早くも警備員が立ち並ぶ「ウインズ新宿」前の玉川上水の流れの上を明治通りへ。

 信号を渡って、まずは江戸三名鐘の一つという梵鐘「
時の鐘」がある 曹洞宗・天龍寺 に。なお、この寺の境内に渋谷川の源流があったとのこと。
今日の曇天継続をお願いし、それほど古くはないのだろうが、どっしりとした山門をバックに記念撮影。

 ※玉川上水、時の鐘や新宿4丁目(旭町)の記事のある「新宿さまよい歩き」さんのページへ

 ついでに新宿4丁目の
安宿街へ入る。小綺麗なビルの宿が多くなってきて これらの宿泊料金は4千円台、昔ながらの宿は2千円台で泊まれるようだ。
花園神社に合祀された
雷電(稲荷)神社のその旧地を示すために建てられたという小さな祠にも参拝し、新宿高校前から新宿御苑新宿門へ。
 ヒガンバナやハギが見ごろのようだが温室は建替え工事のため閉館(2011年完成予定)ということで入苑せず、インフォメーションセンターで展示されている写真を鑑賞して、辞去。

 
新宿通りを越え新宿2丁目のゲイ・タウン、静かな街を垣間見しながら北上し靖国通りに出て、内藤新宿の飯盛女たちの投げ込み寺であった浄土宗・成覚寺へ。
 飯盛女たちの供養碑である「
子供合埋碑」、玉川上水で心中した男女らの戒名?(太宰 治ペアのは見当たりませんでした)が彫られた「旭地蔵」の諸霊に南無阿弥陀仏を唱えました。

 ※ 成覚寺、子供合埋碑や旭地蔵の記事のあるページを紹介します。

 毎年2月8日に針供養法要が行われる隣の浄土宗・
正受院へ。  「綿のおばば」 と呼ばれる奪衣婆像にも念仏申し上げ、昭和17年に戦争による金属供出のため失われたはずの梵鐘がアメリカはアイオワ州立大学内海軍特別訓練隊で見つかり、昭和37年に正受院へ返還されたという梵鐘を感慨深く見学した。


 
※正受院は、松平容保の墓所でした、との記事があるページを紹介します。

 次は、信濃国高遠藩、内藤氏の菩提寺・ 新宿ミニ博物館・ 山ノ手七福神(布袋和尚) 浄土宗・
太宗寺へ。
江戸に入る6街道の入り口に安置された
 地蔵菩薩像  {江戸六地蔵(「猫の足あと」さんのページ)の一つ や 閻魔さま、奪衣婆の像 、雪の塊のように見える塩まみれの 塩かけ地蔵 に南無阿弥陀仏。
 清水が寺務所で「内藤新宿 太宗寺の文化財」と「新宿 山ノ手七福神 めぐり」のパンフを6部づつ頂いてきてくれた。


 ※太宗寺の記事のあるページを紹介します。

 
新宿御苑前駅の北側の通りを東へ、三遊亭円朝旧居跡花園公園に立ち寄り、新宿通りへ。
 玉川上水水番所(「(「気ままに江戸♪散歩・味・読書の記録」さんのページのあったところに建つ 水道碑記(「円満字二郎」さんのページ) と 四谷大木戸跡碑に立ち寄り、四谷4丁目角に一昨日釈放された酒井法子が所属していたサンミュージックの看板の付いたビルを眺めながら交差点を渡る。
ちょっと東進し、曹洞宗・
長善寺(笹寺)に立ち寄り。

 ※長善寺(笹寺)の記事のあるページを紹介します。

 丸正本店前から四谷3丁目交差点、屋上にヘリコプターを載せた 消防博物館 のある四谷消防署へと横断歩道を渡っていると、おじさまに声をかけられ、「12時に
入り口右側の外壁に仕込んである人形の楽団の演奏(「You Tube」)?があるから見ていらっしゃい」と。
時計を見ると、3分前なので、お勧めに従って見学する。このおじさまは元四谷消防署長さんとのことでした。

 消防の歴史と装備を学習し、交差点を渡り返し左門町は於岩稲荷田宮神社へ。商売繁盛、芸能の成功、交通安全、入学試験にも功徳があるらしいので、とりあえず交通安全をお願いし、同じ路地の斜め向いにある於岩稲荷陽運寺にも参拝。

 ※於岩稲荷田宮神社の記事のあるページを紹介します。


 お腹が空いてきたので、闇坂を下り、
若葉公園へ。蝉が抜けた穴々の上にシートを広げ開店、乾杯。各自の近況や、16日の鳩山由紀夫民主党内閣誕生などを話題に小1時間の大休憩。

 
闇坂ここも「くらやみざか」)を上り、寺の並ぶ四谷寺町から四谷 十八ヶ町総鎮守、荘厳な社殿の
 須賀神社 へ参る。

 ※闇坂(くらやみざか)の記事のあるページを紹介します。

 北へちょっと下り、
東福寺坂(天王坂)をちょっと登った右側、塙保己一の墓のある真言宗・愛染院へ。

 ※愛染院の記事のあるページを紹介します。


 坂を下まで戻って、東進、左折、観音坂を登り、道標に従って服部半蔵と 家康の長男ながら織田信長に切腹させられた岡崎三郎信康の墓のある浄土宗・西念寺へ。2基の墓前でも南無阿弥陀仏。

 ※西念寺の記事のあるページを紹介します。


 四谷見附橋へは行かず、新宿通りを越え、三栄通りから
 新宿歴史博物館 前へ。
入館せず、新宿歴史博物館前に置かれている1991年に掛け替えられた四谷見附橋の古い欄干前でハイ、キムチ。

 ※新宿歴史博物館の展示物の写真と記事のあるページを紹介します。

 津の守坂へ出ると、自衛隊のアンテナ群が間近に聳えている。
外苑東通りを越え、本日休館の
釣り文化資料館前へ。

 ※釣り文化資料館のホームページへ

 今日は、西向天神・大聖院・抜弁天(厳島神社)・鬼王神社方面行きは省略し、花園神社に向うこととし、暗坂(
ここも「くらやみざか」)を下って靖国通りに出て、小泉八雲旧居跡の成女学園から禿坂(かむろざか)を登り、左手に再開発途上の富久町を見て東京医科大学前を通過し、明治通りの花園饅頭前を経て、花園神社(=大鳥神社=雷電神社)到着。今日の散歩の無事のお礼を申し上げた。

 ※花園神社の記事のあるページを紹介します。

 昼間のゴールデン街を抜けて、1970年3月26日まで、新宿駅前から飯田橋・水道橋・秋葉原経由岩本町まで走っていた都電13番線の線路跡、 四季の路 を通り、思い出にひたり、打ち上げも思い出横丁(「しょんべん横丁」)がふさわしいと、大ガードをくぐる。
ヤキトリやラーメンの匂いに誘われ、中通りへ入る。

 カウンターではない、皆で囲める椅子席のある店ということで、綺麗になったトイレそばの 「
小松」 の2階に落ち着く。 
まずは、ビールで乾杯。
 枝豆、美味各種やきとり、漬物をつまんで、このあと神宮球場へ増田兄とヤクルトVS巨人戦を観戦に行く滝澤や、明日は吉田兄たちと土浦駅から石岡駅まで水戸街道のうちの約15kmを歩くという村谷のため?日本酒や焼酎を少々追加して急な階段を無事に下り、解散しました。

 ※思い出横丁のある「新宿西口商店街」のホームページへ

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 コース
  JR山手線など・新宿駅〜天龍寺〜正受院〜太宗寺〜新宿御苑〜笹寺〜お岩稲荷〜須賀神社〜新宿歴史博物館前〜釣り文化資料館前〜花園神社〜新宿駅
  <合計歩行時間 約2時間半>

                            前のページへ  次のページへ

 ※参考にさせていただいた、「四谷タウンへようこそ」さんのページへ

 ※新宿区・新宿観光振興協会 作成・配布のパンフレット 「歩きたくなるまち 新宿 四谷」に準拠し、歩きました。
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