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 ゴールデンウイーク最終日、やっと当初予報どおりの好天となった。
 東武伊勢崎線・
北越谷駅改札口に集合したのは、清野・滝澤・百石・江湖・田幸・酒井・村谷の7名。
改札前のコンビニで、昼食用の買い物を済ませてから東口駅前広場に出た。

 準急や急行が停車しない駅(失礼)にもかかわらず、ロータリーの周囲は、埼玉りそな銀行はじめ、面々が現役当時にお世話になった金融機関の支店が勢ぞろいしていてびっくりする。
  
 線路沿いに北上し、まずは
梅林公園に到着する。今でこそ宅地化で狭くなったということだが、品種の名札がつけられた公園は、なかなか歩き出がある。早熟?の木々には、青い梅の実がたわわにぶらさがっていた。
  
 公園を散策・横断し、
元荒川の川辺に出た。
澄んだ流れと、心地よいそよ風、足に優しい土の道で一同、歩が進む。
左手に巨大な木々の森が出現、黒田ご夫妻が誰にも邪魔させることなく、会話を交わされた
宮内庁埼玉鴨場だ。
中の様子は全くうかがい知れないが、金網越しに見える竹林には、食べごろの筍が垣間見えた。

 車が乗り入れられる広場の先に、へら竿を振る釣り師たちがいたので、立ち止まって釣果を窺う。
たまたま一人がハゼに似た魚を釣り上げたが、外道とのことで直ちにリリースしていた。
清野・田幸両名とも沖釣り専科でこの分野には…。

 
北越谷第五公園に到着し、一息入れる。この暑さのためか、洋弓場は空っぽ、広場でゲートボールの練習をしている老人が2名いるだけだった。

 再び河岸に出る。この先の東武線の鉄橋までの約3kmは、樹齢50年ほどの将に盛りの
桜並木が続く。

   ※元荒川堤の桜の写真検索ページへ。 

 右岸には、広大な文教大学のキャンバスが広がる。
元荒川が大きく蛇行した先に手ごろな緑地があったので、
桜の大樹の木陰にシートを広げて昼食とする。
先ずは、ビール&日本酒&ウーロン茶で乾杯、やはり旨い。
清野の四国旅行土産の鰹はじめ盛り沢山のツマミを堪能しながら、神戸淡路大震災、田や畑の工作の苦労話、海外旅行まで話題は尽きない。
まだ3分の2以上の行程が残っているので12時過ぎにみこしを上げる。

 
大沢橋の鉄橋で、東武線を潜り、日光街道を越えると葛西用水との交差点に出る。除塵装置が珍しいが、サイフォンの原理で元荒川の下を潜り対岸に出ている。
川歩き好きのわれらには、ニヶ領用水などでお馴染みの仕組みだ。

 
久伊豆神社の参道に入ると、急に人並みがあふれ出てくる。屋台も立ち並んでいて、本日が休日だったと実感する。
天保8年(1837年)植樹の
フジは意外に小ぶりだったが、整然と咲き揃っていた。
沢山の亀が甲羅干ししている池のほとりで休憩する。
気温は疾うに25度を越えている感じだ。
境内には江東地区から埼玉東部にかけての名所を描いた安藤広重の浮世絵や、明治と現代を比較した写真が展示されていたが、あまり当時と変わってはいなかった。

 境内の横
道から新方川(にいがたがわ)を目指す。街道沿いのホームセンターでトイレ休憩するが、買い物客で一杯だった。

 そよ風の通る川べりの木陰で一息つき、
日本庭園 花田苑へ。
区画整理の一環で、市が作ったものらしいが、相当に費用がかかった筈と余計な詮索をした。
入場料は1日100円、出入り自由、と割安だが、整備された日本庭園と
季節の花々が見事で、散策には打ってつけだ。
太った池の鯉に昼食の残りのツマミを投げると、水音を立てて寄ってきた。
樹齢が1000年?とされる
棚は久伊豆神社を見た直後だけに寂しいが、池とのコントラストは勝っているかもしれない。

 午後3時を回ったので越谷駅へ向かう。
広い歩道は、越谷市の財政状況の豊かさの顕れだろうと話ながら越谷市立病院前から、広い直線道路に入る。

 村谷が開店準備中の
居酒屋を発見し、多数の利で開店時間を30分繰り上げてもらい無事入店。
 生ビールにヘルシーなつまみと、ホッピー+いいちこ で反省会を行い、
越谷駅から帰途についた。(村谷 記)


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 コース
  東武日光線・北越谷駅〜(20分)〜宮内庁埼玉鴨場〜(5分)〜梅林公園〜<以下、元荒川>〜(15分)〜北越谷第五公園〜(35分)〜大沢橋鉄橋〜(15分)〜宮前橋〜(5分)〜久伊豆神社〜(15分)〜<以下、葛西用水>〜(10分)〜大吉調節池〜<以下、新方川>(20分)〜花田苑〜(20分)〜東武日光線・越谷駅
  <合計歩行距離 約12Km、歩行約3時間半>


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★2008年5月6日(祝&火)「元荒川・中流部」

元荒川
 ↓

葛西用水
  ↓

花田苑

さんぽ