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★2008年2月5日(火)「二ヶ領用水(上流部)」

 雲ひとつない青空と微風さざめく小田急線・向ヶ丘遊園駅南改札口に集合したのは、滝澤・百石・山岡・田幸・岡田・清水・村谷の7名。

 本日は、江戸初期に、灌漑・生活用水として多摩川から2箇所の堰を通じて引かれた二ヶ領用水の上流部を散策する。

 先ずは駅の
西側の踏切からスタート。流石に小田急線だ、渡りきらないうちに次の警報が鳴り出したので、小走りに通過。

 駅の北側は静かな住宅街が続く。豪壮な邸宅の日当たりの良い庭に、早くも紅梅が咲いていて、今週末の宝登山・蝋梅散歩に話が移った。

 目の良い岡田が、川面の煌めきが府中街道の陸橋に反射しているのを発見した。
二ヶ領用水の上河原線だ。
ここから流れを遡り、多摩川と合流する上河原堰堤までは約3キロの行程になる。

 目の前を地元民らしい中高年夫婦が、達者な足取りで歩いているので、お供をする。

 地元の豪農の名を冠した
小泉橋から、川面に降りられるのは有難い配慮だ。
水量は豊かで、
水草もよく生い茂り、丸々と太ったの群れが悠々と泳いでいた。
カルガモが高く跳び上がり、伊達に羽が生えているわけではないことを誇示している。

 流れは予想外に早く、川底には移動しないよう網に纏められた石が点在していた。
飛び石や岸を削った入江が整備されていて、水辺の保存にかけた川崎市の心意気が伝わる。
白鷺が一羽いたので、村谷が近づき何とか撮影に成功した。

 日差しが強く汗をかいたので上のジャンバーを脱ぐ。下水が殆ど流れ込んでいないので、空気が美味しい。

 先行していた地元の老カップルは、途中で大根を買い込み引き返してしまった。

 
橋本橋からは、道路に上がり、桜並木沿いの小道を進む。ベンチが3つあったので休憩とする。
清水が持参の温泉饅頭を配ってくれた。甘味が程よく元気を倍加する。
この付近のは、小ぶりで青少年グループのようだ。

 
稲田堤への分岐を過ぎ、JR南武線の踏み切りを渡る。沿線に住む山岡&岡田が、昔の床が木造だったころの車両を回想し、目の前を通り過ぎた新型車両を見て、月日の流れを実感していた。

 
ふだっこ橋の先で、三沢川と交差する。川と川がクロスする場所での いつもの疑問だが、両方の水がうまく流れていた。

 多摩川の堰堤手前には、鯉釣りの老人たちと、それを眺めながら七輪で熱燗をつけている老人たちが、不思議そうに我らを眺める。
バケツを覗くと、釣果もまずまずのようで、いい暇つぶしになるのだろう。

 
多摩川の土手に出た。風が殆どなく、気温も上がってきて気持ちが良い。

 昼近くなってきたので、
中野島駅入り口の信号を左折し、駅方面に買出しに出向く。すぐそこのサミットストアで思い思いのツマミと食料+アルコール類を購入し、再び土手に戻った。
護岸工事現場の先から広い河原に向う。草むらの方で、数人の警察官が何やら捜索中だったが、我らは胃袋の指示に従い、シートを広げて、昼食休憩の設営を完了する。

 先ずは乾杯、久々参加の岡田の近況から話の輪が広がる。
岡田夫人お手製のヘルシーなサラダが真っ先に売り切れた。
各人の飲み物は、ビール、日本酒、ワイン、杏酒とバライティに富んでいたため、清水が用意した紙コップで味を確かめあった。

 思わず長居、神輿を上げ、
世田谷通りから続く津久井道を、今度は多摩水道橋のそばで通過した。

 
小田急線の鉄橋では、複々線工事の最中で、巨大なクレーンがブロックを積上げるためのテスト中。業界通の山岡によれば、クレーン操作者はかなりの高給取りだそうだが、素人目にも熟練度が要求されることいが看て取れた。

 サイクリングに好適なため、我々を始終自転車が追い越していく。
河口まで22キロほどの表示があり、ガス橋で中断している多摩川上りを思い出す。

 
宿河原堰堤にもう一つの二ヶ領用水取り入れ口がある。
すぐ横の
 二ヶ領せせらぎ館 には、多摩川の源流から河口までの巨大な流域地図が床に描かれており、水槽には魚が泳ぎ、楽しい場所だ(入場無料)。

 ゆっくり勉強した後、
二ヶ領用水の宿河原線を下る。
またも川面に下りることができて、素晴しい環境が整えられているのに再び感心する。

 途中、
川崎市緑化センターへ立ち寄り、シクラメン温室で、採種・種植から開花までの鉢を見学させて頂き、小休止。

 我らと平行して道を散歩中の幼稚園児たちが、頻りに余所見するため引率の若い先生に注意されていた。

 
東名高速道の真下で、この地を書いた徒然草115段の石碑を発見する。周到に岩波文庫の「徒然草」を持参していた岡田に、その物語を解説してもらった。

 用水にかかった木道は、一旦
久地駅で途切れたが、南部沿線道路を渡ると直ぐに、再会した。

 
平瀬川との合流地点で、本日の目玉である久地円筒分水に到着した。
慶長16年(1611年)開通以来、流域の4箇所の水争いが絶えなかったが、昭和16年に丸いコンクリート製の円筒の仕切りを造り、流域面積に応じて水量を分配する仕組みができたという。

 400年間の悩みを解決したことで、国の重要文化財に指定されている。
なお、平瀬川の地下を潜り抜けた水が、サイフォンの原理で再び地上に出てくるという解説図があり、疑問が解けた。

 午後3時を回り、日が翳ってきたので当初予定の武蔵小杉駅ゴールから、溝の口駅をゴールとすることに修正?した。
川崎堀に沿って南下し、駅入り口の交差点に到着する。左方向に清水が5年半も勤務した、懐かしい溝の口ビルが、改築されて立派に佇んでいた。

 3時半過ぎ、今やすっかりターミナル駅に変貌した溝の口駅に到着。
駅前・食彩館ビル4階の、
居酒屋・二重丸(◎)に入店、4時からの営業だが、入店許可を取り付け、とりあえず、お通しとビールを出して貰い、乾杯。
ヘルシーなツマミを中心に、また一頻り話が弾む。

 一旦、解散したものの、5時を回っていたので、南武線際の滝澤がお馴染みの焼き鳥屋に行くが、立ち食い部門は未開店につき、立ち食い部門も開店している
串焼き・いろはを梯子して帰途についた。

 本日も好天と楽しい仲間に恵まれた良い一日でした。(村谷 記)


清水兄の本日の作品を発表します(*^_^*)
 ◆二ヶ領用水は慶長年間に水と知恵で完成しました。
  「多摩川と 知恵を活かした 用水路」

 ◆農業用水から親水を目指し、鯉がたくさんいます。
  「用水路 今や親水 鯉元気」

 ◆多摩川の河岸では有意義な宴会でした。
  「河岸での 飲む食べ美味し 健康日」

 ◆驚きました!久地円筒分水の仕組みに・・・
  「サイフォンの 応用みごと 水を分け」

 ◆最後は私が5年半勤務した溝の口で解散しました。
 そこには当時のままの立飲み屋が頑張ってました。

  「立飲みで 親しみ倍加 我が会社」

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 コース
  小田急線・向ヶ丘遊園駅〜橋本橋〜上河原堰堤〜宿河原堰堤〜川崎市緑化センター〜久地円筒分水〜東急田園都市線・溝の口駅、JR南武線・武蔵溝ノ口駅
      <合計歩行距離 10Km、2時間半>


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