★2007年9月17日(月・祝)「絹の道から片倉城址公園」
すっかりお洒落な街に変貌していた京王相模原線・南大沢駅改札口に集合したのは、菅野・滝澤・山岡・田幸・渡辺・清水・村谷の7名。
先ずは、駅前のイトーヨーカ堂で、昼食の買出しを行う。
花々に彩られた通路に沿って、首都大学東京へ向う。
平成3年に東京都立大学が目黒区・世田谷区から移転し、その後他の3大学を再編・統合して、平成5年4月に開校したもの。平日は、キャンパス内の見学も可能。
校舎に沿って、歩道橋を渡り、集合住宅地を進む。売り出し中の三階建ての豪華な邸宅を、ため息交じりで眺める。
階段を上がり、柚木街道に出る。道沿いにある交番が、住居を併設した店舗管理なのは珍しい。
谷戸入り口の交差点の左側には、明治11年に整備された茅葺農家の小泉家住宅があるが、家の内部には入れないため見送った。
嫁入り橋で大栗川を渡り、永泉寺へ向う。江戸幕府から寺領10石を受けた曹洞宗のお寺で、本堂は生糸商人八木下要右衛門邸を移したとされる豪華な造りだ。本日の道中無事を祈った。
坂を上ると、右手に刈り入れ真近い田んぼが出現。青空に古風な案山子が3人?立っていた。
いよいよ、絹の道資料館に到着。八王子市教育委員会の管理で、入場は無料ながら、八木下邸跡とかで立派な建物だ。
平成2年3月開館の入母屋屋根造りで、中には、日本の絹の歴史がわかる展示物で溢れている。
ちょうど12時になったので、館内の東屋で昼食にする。
風通しの良い8人掛けの席を確保して、先ずは乾杯。
持ち寄ったつまみと、お互いの近況報告で話は尽きない。
気がつくと1時近くなっていたので神輿を上げる。
この先から約1キロが、昔のままの絹の道が残されていて、文化庁から「歴史の道100選」に指定されている。
大塚山公園まで絶好のハイキングコースとなっていて、反対側から10数名の中高年ハイカーがやってきた。
京王線の各駅から、多摩美術大学経由のバス便が便利のようだった。
本日の最高点、大塚山公園で休憩する。下界の真夏日が嘘のような、涼しさ。ずっと居たいが、再び出発。奥多摩の山々が遠望できる階段をどんどん下りて行くと、西武の大団地に降り立った。
16号線のバイパスを跨いで、東急団地の坂道を降りて行く。
左手に日本文化大学のキャンパス、右手にJR線・片倉駅を見ながら進み、国道16号線に出て、片倉城址公園に入る。
日ごろ散歩コースとしている山岡の案内で、園内を隈なく巡る。
池の辺では、カワセミ狙いで三脚付のカメラを構えた二人組、北村西望 縁の彫刻のまえのベンチで昼寝するおじさんたち、二の丸跡の草原でキャッチボールしている母息子連れなどなど。
われらも冷気で疲労を回復し、いざ打ち上げに。
北野街道交差点傍の「ラーメン屋 ゆきむら亭」に突入。
生ビールが体中に沁みこんでゆく。
頼んだ餃子と野菜サラダ、トッピング用の若布・焼きねぎ・シナチクも絶品で、盛り上がった次第。(村谷 記)
清水兄の本日の作品を発表します(*^_^*)
◆集合場所の南大沢駅には旧都立大学とおしゃれなアウトレッドがありました。
「変貌す 南大沢 首都大学」
◆「絹の道資料館」のそばから絹の道が残されていました。
「古に 人馬行き交う 絹の道」
◆八王子の鑓水は絹の商人発祥地
「絹開く 鑓水商人 栄華跡」
◆片倉城址公園には八王子在住の彫刻家の作品15体がありました。
「彫刻で 城址公園 花添える」
◆猛烈な残暑のお終いはこれが一番!
「絹の道 歩いた後は ビール閉め」
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コース
京王相模原線・南大沢駅〜首都大学東京〜(小泉家屋敷 省略しました)〜絹の道資料館〜絹の道〜大塚山公園〜片倉城址公園〜京王高尾線・京王片倉駅
<歩行距離 約7km+α>
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