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★2007年6月26日(火)「野火止用水(中・下流部)」

 跡見学園女子大と十文字学園女子大に通学する女子学生が引っ切り無しに降りてくる、JR武蔵野線・新座駅改札口に集合したのは、百石・田幸・村谷の3名。
駅構内のコンビニで昼食類を調達し、出発した。

 
川越街道を800mほど東進し、野火止用水緑道入り口から右折、野火止公園に沿って南下する。朝方ぱらついていた雨はすっかり上って、樹齢数百年の木々に囲まれた柔らかな小道が心地よい。

 平林寺の北辺を500m東進し、
新座市役所に突き当たる。
隣接した
観光プラザで、野火止用水散策マップをもらったが、若手職員が多数勤務していて、まだ行革の余地あり?と、意見の一致を見た。

 平林寺出入り口の前に、戦前に“電力王”(または“電力の鬼”)と呼ばれた松永安左エ門翁が所有したという“
睡足軒の森”を発見、入場無料とあり早速入る。千坪ほどの庭園が、武蔵野の自然そのままに保存されていた。平林寺と併せて、国指定の天然記念物に指定されている。

 総門受付で300円の拝観料を支払い
平林寺の境内へ。
見事な茅葺の山門が優雅。梅、マンサク、山桜、フジ、コスモス、秋の紅葉と四季折々の花々が楽しめる、とのこと。
広大な境内を散策し、
タマアジサイを見つけた。

 川越藩主、松平伊豆守一族の墓所が延々と続く。老中筆頭として島原の乱を鎮圧したことでも知られているが、その際に命を落とした人々を慰める碑も建立されている。
また、この野火止用水は、玉川用水の3割分を飲料水として引いたものだが、これもまた伊豆守の力量によったため、別名を伊豆殿堀とも呼ぶなど、縁が深い。

 総門から出て、再び、用水路を目指す。
関越自動車道を越えて、市民総合体育館横から用水沿いになる。
取水口のある小平市中島町の西端、玉川上水から25kmで荒川に注いでいるが、この間の標高差がわずか90mとあって、大変な難工事だったそうで、思ったより流れの幅が狭く、水深も浅い。

 それにも拘らず、どの橋の下にも太ったが群れをなしていて、人の足音を聞きつけては寄ってくる。上流でやっと鮠?が見つかったが、以外の魚影はなく、流れの中で我が物顔だ。
また、カルガモ雛が3匹、小さな石の上で母鳥から餌を貰っているのを見つけた。

 12時になったので、昼食場所を探したが適地が見当たらず、史跡公園を出たところにあった畑の空き地にシートを広げた。

 先ずはビールで乾杯、甘露、甘露。気温はそれほど高くないが、湿度が高いのでおいしい。
つまみや弁当をのんびりと味わいながら、お互いの近況を披露しているうちに、時刻は午後1時。店を畳む。

 用水沿いの
水道道路は、格好のバイパスとして利用されていて、結構、交通量が多いが、所々に武蔵野の雑木林が保全地域として残っていて風情がある。
西武池袋線、小金井街道を横断し、押出橋から野火止通りになり、所沢街道を通過するとようやく車の往来が少なくなった。

 
東村山運動公園を経て、新青梅街道を渡る。
ここから上流部の散歩は省略し、右折、西武新宿線・
久米川駅にゴールイン。時刻は午後4時だった。

 駅前のロータリーの先に、「
サラリーマン酒場」の暖簾を発見し、早速飛び込む。
なんと1階は、サラリーマンOBたち30名ほどが、すでに飲んでいて満席 (*^^*)
で、ご指示により、2階の座敷に上がると、先客が3名。随分とのん兵衛が多い町だと、自分たちを棚に上げて座り込む。

 まずは、生ビールで乾杯。焼き鳥、ほやの刺身、春巻、白菜キムチなどで軽く打ち上げし、午後5時、帰途につきました。(村谷 記)

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 コース
  JR武蔵野線・新座駅〜野火止公園〜睡足軒〜平林寺〜伊豆殿橋〜(関越自動車道越える)〜本多緑道〜野火止用水史跡公園〜水道道路〜(西武池袋線渡る)〜押出橋〜下里本邑遺跡公園〜(所沢街道横断)〜(新所沢街道横断)〜東村山運動公園〜(新青梅街道横断)〜西武新宿線・久米川駅


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