富士山がくっきりと雲の上に浮かんだ、JR南武線・矢川駅改札口に集合したのは、山岡・田幸・岡田・村谷の4名。
岡田が、本日のコースが詳しく載っている国立市発行の「くにたち歴史探訪」を、もって来てくれた。
先ずは、矢川の源流と思しき立川段丘崖下方面に向かい、南武線を西立川方面に進む。
東京都が都内で初めて昭和52年に指定した、矢川緑地保全地域に到着。
武蔵野の面影を残した雑木林と水生生物のための湿地帯や湧水の入り江が整備されたほっとする緑の空間が広がる。
折りしも、孫?を4人連れた元気なおばさんが、採取したアメリカザリガニと仏泥鰌を、元の泥の中に戻していた。
孵化したばかりの、おたまじゃくしが真っ黒な固まりになって泳いでいたが、あまり蛙の声がにぎやかに聞こえないそうで、生存競争の厳しさを感じた。
ただ、例年ならば水がたっぷり流れているはずの小川が、今年は5,6年ぶりに干上がっているとのことで、この夏の水不足が今から心配になった。
流れに沿って、遊歩道を南下すると矢川いこいの広場に着く。隣接するゲートボール場では、元気な じいさん数名が熱心に打球の稽古中。
われらは、流れを見下ろす東屋で飲み物休憩とする。
北風がまだ冷たいが、空は一面の青空だ。
本日、東京で桜の開花宣言がなされ、YSCの31日(土)の弘法山 山(散)歩が期待できそうだと、一同で、楽しみにする。
更に甲州街道を越えて進むと、畑と住宅地の途中で、山岡が農産物直売の看板を発見した。
お鷹の道散歩の時に真姿の池のそばで調達した新鮮野菜が好評だったことを思い出して、トラックから降りてきた農夫に尋ねたが、残念ながら隣家の主人だった。
矢川は、幅が1.5mほどの透明な流れが続き、道も足に優しい土が多く、楽しく歩くことができる。
少し先に、瀟洒な建物が並ぶ敷地に川が流れ込んでいる。滝乃川学園と表示はあるが、立ち入り禁止ではなさそうなのでそのまま進むと、畑沿いの遊歩道に出てきた。
中央自動車道に平行している府中用水と、矢川おんだしで合流した。
流れの山側に湧き水があり、真っ黒な鯉が何匹も重なるように泳いでいた。
昭和初期まではわさび田が見られたという、ママ下湧水の豊富な水量の名残だ。
矢川通りに出て、そのまま北上すると、運よくセブンイレブンがあったので、昼食の買出しをする。
そこから150mで、くにたち郷土文化館に着いた。
コロシアム風の立派な中庭があったが、事務局から丸見えなので、ここでの休憩はあきらめ、きらきらしたトイレを借用し、谷保地区の歴史を6分間のビデオで勉強し、14回目との紙の工芸展を鑑賞した。
昼食は、250mほど先の三田城跡・城山公園とすることとして出発。
鎌倉時代初期の豪族三田氏の城館跡や江戸時代の古民家が復元された広い公園だ。
池を見下ろす広々した東屋を独占し、まず、ビールで乾杯。
風が完璧に遮られ、日の光が燦燦と注いで実に気持ちが良い。
広げたツマミもたっぷりで思わず?予想通り?大休憩してしまった。
匂いを嗅ぎつけて、太った猫が3匹寄ってきたが何もやらない。
公園になっている谷保浄水場を過ぎ、天神橋で一旦流れと別れて、谷保天満宮に参拝する。
菅原道真の三男道武が父の像を彫って弔ったのが起こりで、扁額と狛犬が国の有形文化財に指定されており、亀戸天神や湯島天神とは異なり、荘厳な雰囲気が感じられる。
野暮天の語源になったそうだが、ちょっとイメージが合わない感じだ。
見事な梅林を抜けて、裏門から再び府中用水の支流に出る。NEC府中工場前で、流れが暗渠になるとともに、周囲が急に町並みに変貌する。
この先で流れが緑道に変身して二分され、分倍河原駅方面と府中市郷土の森へ別れてしまう。
ここで、山岡から緊急動議があり、次回以降の川・街歩きに備えて、サントリー武蔵野工場を下見する案が提示され、一同異論なく方向転換を決定した。
善?は急げと歩を早め、1キロ先の分倍河原駅バス停に到着。2時半の工場行きシャトルバスに乗り込み、3時からの工場見学に参加した。
案内嬢の的確な説明を熱心に聞いた後、待望のプレミアムモルツ&モルツを、つまみつきで各人3杯完飲し、再訪を約して再び分倍河原駅に戻る。
直帰する岡田と別れ、ビールに偏重した胃を中和するため、3名は駅前の「一文銭」で日本酒を追加投入しました。(村谷 記)
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コース
JR南武線・矢川駅〜矢川緑地〜ママ下湧水群〜城山公園・古民家園〜谷保天満宮〜府中用水〜NEC府中事業所〜JR、京王線・分倍河原駅=(シャトルバス)=サントリー武蔵野ビール工場=(シャトルバス)=JR南武線、京王線・分倍河原駅
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