昨日の中越大地震による上越新幹線の不通を知らせるアナウンスの流れる日の朝、さわやかな秋晴れの東京駅八重洲南口から筑波山行きのJRバスに乗ったのは、吉田・滝澤・田幸・村谷の4名。
筑波山を望みつつ常磐道を順調に進む。
俳人・一茶が両国橋の上から「春立や 見古したれど 筑波山」と詠んだとか。
筑波山バス停に到着し、小用の後、タクシーで筑波神社前へ。
ここで、車で来られた村上兄の出迎えを受け、合流。筑波神社に詣で、ケーブルカー沿いに登り始める。
関東平野の東北のはずれに立ち上がっている筑波山、ひたすら登りのみの登山道。筑波神社の境内とあって、杉や檜の大木が多い。
小倉百人一首にある、陽成院が光孝天皇の皇女、綏子内親王(すいしないしんのう)に贈った歌『筑波嶺の 峰より落つる みなの川 恋いぞつもりて 淵となりぬる』の解説板などがところどころに立てられてる。村上兄が俳句を吟じることに関連して、「筑波の道」を思い出し、調べましてみました。
『 俳句って何?
「俳句」という名称は、明治20年代に正岡子規が使い始めたそうです。それまでは、連句の「発句」といわれていました。 「古事記」(712年)には、また、日本武尊が御火焼翁と交わした次の問答がありますが、これは片歌(5・7・7) の問答歌といわれ連歌の始まりとされています。このことから、連歌のこ
とを「筑波の道」ともいうそうです。(http://www.ksky.ne.jp/~hibari/a1zatugaku.htmlさんの記事から)
「新治筑波を過ぎて 幾夜か寝つる」
「日々並べて 夜には九夜 日には十日を」
正岡子規と言えば 「赤蜻蛉 筑波に雲も なかりけり」の句がありましたね。
1時間ほどでケーブルカー上の御幸ヶ原の広場に到着、展望台と ガマの油やカエルの置物小物などを店頭に並べた売店兼食堂が立ち並んでいる。
靄っていて、見通しはそれほど良くないが、霞ヶ浦や牛久沼が光り、刈り取りの終わった水田やゴルフ場がのどかに見える。
男体山山頂を参詣往復し、御幸ヶ原でレジャーシートを広げ昼食。
女体山へ向かう道は人・人・人で高尾山状態、女体山山頂はこぼれ落ちそうな人だかり。
さいたま市のスイミングクラブ130名の団体+個人・家族客などロープウェイ側、つつじヶ丘から登ってくる対向者の群れと譲り合いながら細く斜度のきつい岩の道を下り、弁慶七戻り石でトコロテンなどをいただきながら小休止。
ひたすら下りのみの登山道を筑波神社前まで快調に下りました。
村上車でバスの本数が多い筑波センターまで送っていただき、ガラガラの東京駅行きに乗車、1時間10分ほどで東京駅日本橋口到着、解散。登りと下りのメリハリのある山でした(^_-)-☆
村上兄の本日の作品を発表します(*^_^*)
「筑波嶺に ハイカー群れて 秋さかり」
「秋の陽に 百名山碑 かがやけり」
「秋の空 一人で占めて 筑波の嶺」
「秋空に 大仏岩の 聳え立ち」
「女体山 眼下に秋の 平野かな」
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(当初の予定)コース
東京駅八重洲南口(筑波山行高速バス、約100分)=筑波山バス停〜(筑波神社行きバスに乗り換え)=(約10分)=筑波神社下車。
帰りのバス発時間を確認して、筑波神社前登山口バス停〜(90分)〜御幸ヶ原〜(15分)〜男体山〜(15分)〜御幸ヶ原・昼食〜(15分)〜女体山〜(30分)〜弁慶七戻り石〜(50分)〜筑波神社前バス停、バスにて帰路。
<歩行時間 約3時間半>
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女体山頂からロープウェイを望む
筑波・女体山頂・百名山の碑
★2004年10月24日(日)「筑波山」