<5月6日(火&祝)杉並の公園・川歩き(荻窪駅〜吉祥寺駅)>
荻窪駅東改札前に、百石・田幸・村谷・山内の4人が集合した。終日雨模様の予報のため協議、山内が事前に調べていてくれた善福寺川公園の屋根付き あずまやのベンチで昼食休憩と予定を変更し、北口から出発する。
ロータリー西側には、戦後の商店街が1981年に共同ビルに建て替えられたタウンセブンがある。晴天ならば屋上から富士山が一望出来るものの、生憎のお天気なので通過し線路沿いに西進する。
環状八号線が近づいてきた右手にある長い参道に入る。1,100年前に建立された旧上荻窪村の鎮守で、女御輿で知られた荻窪白山神社に参拝。とりあえず雨がもう少し落ち着いてくれるようお願いした。
右手から出て、荻窪白山神社北交差点で環八を横断し、住宅街を西進する。落ち着いた佇まいの家々が続き、ニオイバンマツリ (匂い蕃 茉莉)・バラ・ジャスミン(茉莉 花)などの花がきれいに咲いた庭が続く。
薬缶坂へ右折し、八丁交差点で青梅街道を横断、さらに北上する。こちらの家々でも花に飾られた庭が点在。桃井二丁目交差点を左折、桃井第一小学校の先から当初昼食場所に予定していた桃井原っぱ公園に入った。
戦時中はゼロ戦等のエンジンを設計・製造していた中島飛行機の跡地で、移転後は日産自動車の工場があった場所。戦後は、日本初のロケットとして、糸川英夫博士の手で開発されたペンシルロケットの製造場所。日本のロケット発祥の地だ。
200mにわたりケヤキ並木が続くプロムナードと 桃井三丁目緑地横を南下し、再び青梅街道に出て右折。
桃井四丁目交差点で左折し善福寺川に向かう。雨が小止みになりありがたい。
鬱蒼とした緑に囲まれた善福寺公園に入った。足元に気を付けながら上流に向かい、ボート乗り場近くにあるお目当ての大屋根に覆われたベンチに到着した。園内は無人、足元にシートを広げ、軽いつまみを並べた。まずは乾杯、安心して飲める場所を調べてくれた山内に感謝。
ツマミは軽めながら飲み物はいつも通り。今週末の土曜日に控えた友和会総会兼懇親会の話題から始り、久保(一)兄 急逝の後に緊急登板された山内の労を労った。
その後、不確実な経済情勢の展望などいつもの通りの一時間強の談論が続いた。途中から現れた幼児二人をブランコで遊ばせているご両親にご苦労様とエールを送る。
御輿を上げて、池の上に鯉のぼり 、 カワウ が飛び、黄菖蒲咲く池畔をさらに上流に向かい、善福寺川の水源の一つ・遅野井の滝に着いた。源頼朝もこの池を訪れたという言い伝えが残る歴史的な場所。千年近くも流れが維持されているのには驚かされた。
なお、カワセミの姿は確認できませんでした。
予定より西側まで来たので、ゴールを西荻窪駅から変更、久々に吉祥寺駅に向かうこととした。
杉並区・練馬区・武蔵野市の3区市境を経て、宮本小路 〜 弁天通りを南下して20分ほどで、近場でGW最後の休日を過ごそうという若者たちでにぎわう吉祥寺駅北口にゴールイン。
ハーモニカ横丁の 朝日通りにあった居酒屋「剛家(ごうや)」に入り、美味しいアテ少々・アルコール少々?で打ち上げました。(村谷 記)
コース
JR中央線など・荻窪駅北口〜タウンセブン〜北上し青梅街道に出て左折〜荻窪駅前交差点を左折〜荻窪白山神社〜環状八号線を横断〜薬缶坂へ右折北上〜八丁交差点(青梅街道を横断)〜桃井二丁目交差点を左折〜桃井原っぱ公園(ゼロ戦エンジンの設計・製造の地、ロケット発祥の地)〜プロムナードの並木〜善福寺公園〜宮本小路〜五日市街道を横断〜弁天通り〜JR中央線など・吉祥寺駅
<歩行距離:3km±α、歩行時間:1時間±α>
*杉並区役所みどり公園課『すぎなみ景観ある区マップ』の
「西荻窪・上井草編」 および 「善福寺・西荻北編」 を参照し、その一部+αを歩きました。
このページのトップへ戻る
前のページへ 次のページへ
.
.
.
.
.
.
★2025年5月6日(火・祝)「荻窪の史跡・寺社と公園巡り(荻窪駅〜吉祥寺駅)」