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<10月10日(火)夏日の旧江古田川散策(練馬駅〜沼袋駅)>

 快晴の西武池袋線・
練馬駅中央改札口前に集合したのは、小林・百石・田幸・村谷・山内の5人。
地上に降り立って千川通りを横断、西進する。昭和時代の鄙びた練馬駅を知る面々は、都内でも人気の通勤エリアに変貌した駅前の様子に、昔日を重ねてみる。

 豊玉北六交差点で目白通りを斜めに横断し、二つ目の細道に入る。

 旧千川用水(現千川通り)から、中新井川に引き入れた分水跡が、細い小道になっている。昭和40年に周辺の宅地化に伴い暗渠化された。

 本日歩く道筋は、「練馬すずしろの散歩道」と命名されていて、練馬名産の大根(すずしろ)を運ぶ水運として活用されていた。

 少し南の左手にある学田(がくでん)公園に立ち寄る。敷地1万平方mの公園には、中新井川の主要水源があった。明治に入り沼地を埋め立て水田になり、地区に現存する豊玉小学校の運営経費を賄うため貸し出したことから「学田」の名がついた。昭和30年に公園化され、本日は保育園児の絶好の遊び場として活用されている。金網の向こうから「おじいちゃん」「おじいちゃん」と盛んに声がけしてくれた。

 元気をもらい出発、中新井川児童遊園を通過し広々した通りに出て東進する。

 学田橋交差点を通過。

 歩道橋で環七通りを渡った左手に西友があったので入店、山内が「バナナ一房99円」に驚く中で、つまみ調整の買い物を済ませる。

 豊玉南小学校前を通過する。広々したグラウンドが練馬らしい。なお、「豊玉」という地名は、旧豊島郡と南多摩郡が近接していたからだという。すぐ南側の地名が「中村南」で、村谷が10年間お世話になった独身寮があった場所。

 右手の徳殿公園で昼食休憩。江戸時代は江古田村小字「徳田」で、検地の際に役人が測り忘れた?田を、「得田」と呼んだのが起源という。悪事はばれるもので、のちに関係者が処罰されたという。広々した園内の木蔭にシートを広げる。予報通りの気温に冷たいアルコールがぴったり。本日もまた5人10様のヘルシーで美味なつまみが勢揃い。諸兄姉の近況や近々のレジャー計画に関する情報交換で、いつもの通りの大1時間を有意義に過ごす。

 遊歩道をさらに東進し、
下徳田橋江古田川の開渠部を確認したので川筋と別れ、道沿いにある江古田村の鎮守・江古田氷川神社に立ち寄った。本日の道中無事のお礼を申しあ上げてから、一直線の参道を南下、新青梅街道に突当り右折、沼袋交差点わきの丸山塚公園で最後の休憩。

 そのまま商店街を南下し、西武新宿線踏切手前にあった日高屋に入店した。折よく先客が御輿を上げたばかりの6人席をミャンマー出身の店員さんがすばやく整えてくれる。

 生ビール・レモンサワー・ホッピーセット組に分かれ、定番の餃子などで軽く締めました。

 全員、西武新宿線・
沼袋駅から帰途につきました。(村谷 記)

コース
 
 西武池袋線・練馬駅南口〜千川通りを右折〜豊玉北六交差点(目白通りを横断)〜ライオンズマンション横から遊歩道に左折〜練馬すずしろの散歩道〜学田公園〜中新井川児童遊園〜学田橋交差点〜環状七号線を横断〜豊玉南小学校前〜徳殿公園〜下徳田橋(江古田川開渠部)〜氷川神社〜丸山塚公園〜西武新宿線・沼袋駅
      <歩行距離:4.5km±α、歩行時間:1時間10分±α>

   *東京新聞出版局『神田川再発見』の中の「江古田川(豊玉北六交差点〜下徳田橋)」を参照し、沼袋駅まで延長して歩きました。
    ⇒ 有料出版物です。


   *“散歩の途中”さんの「江古田川を歩く 千川上水中新井分水から妙正寺川合流まで」を参考にしてください。

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★2023年10月10日(火)「江古田川周辺歩き(練馬駅〜沼袋駅)」