村谷は好天続きの土曜日に、神田川散歩の締めくくりを行った。
正午少し前に、京王井の頭線・永福町駅南口から出発する。線路沿いに進むと前回のゴール地点である宮前橋に通じているが、今回は立ち寄り先を優先して踏切から下高井戸駅に通じている都道427号線「瀬田貫井線」を南下する。旧大山街道の一つとして、江戸期から人の往来が盛んな幹線道路だった。真正面から暖かな日差しが注ぎ、冬散歩の身にはありがたい。
香ばしい匂いが漂ってきた。ウナギの老舗の一つであるつきじ宮川本纏・永福町店。時刻はちょうど正午だった。
最初の立ち寄り先は永福寺村の総鎮守・永福稲荷神社。享禄3年(1530)に隣接する永福寺の鎮守として創建された。「永福」は特に中国人に縁起が良い名前として好まれていて、参拝客も多いとのこと。本日の道中無事を願った。
裏側の道を挟むと万歳山・永福寺の境内が広がっていたので、墓地沿いの横道から境内に入った。創建は大栄2年(1522)で、村の名前の由来に待っている。本堂から読経が聞こえてきて、法要の最中だった。
山門を出て、住宅街の小径を南下、突当りを右折して永福1丁目交差点で427号線と合流する。
永福橋で神田川と合流、最終の井之頭池を目指し日当たりのよい左岸を行く。川面に長い幕が張られている。「下高井戸調節池」の取水施設らしい。完成の暁には3万立方メートルまで地下に貯留できるらしい。
対岸には区立運動公園、神田橋で荒玉水道通りを渡った先には下高井戸運動場が続いている。
八幡橋で一旦右岸に渡り、下高井戸八幡神社に立ち寄った。旧甲州街道の中の宿であった旧下高井戸宿(現在の高井戸・浜田山)の鎮守で、創建は長禄元年(1457)。太田道灌が江戸城築城の折、工事の安全を願い鎌倉の鶴岡八幡宮から勧請した。
左岸に戻り鎌倉橋で旧鎌倉街道(阿佐ヶ谷道)と合流する。
再び右岸に渡り、東側から塚山公園に入った。かつて神田川上流部の流域は舌状台地が広がっていて、旧石器時代(3万年前)から縄文中期(3500年前)にかけて集落が多く分布していたという。公園内には下高井戸塚山遺跡が残っている。大きな池のそばにある立派な屋根が付いたベンチで最初の休憩。チョコナッツをかじりながら池面を見渡すが水鳥の姿はない。
公園の西側から出て住宅街を通り抜け、左岸に復帰した。陽だまり散歩を楽しむ人やジョギングする人と盛んにすれ違う。
走っている人はなぜか男性ばかりで、終点まで行っても女性は一人だけだった。
井の頭線にどんどん近づいていった 所で、屋根付きの自転車置き場が長く広がっている。
高井戸駅前の跨線橋で環状八号線を横断する。
駅を通過すると再び静寂が訪れる。
残り3kmと表示された石柱を発見した。神田川は全長24kmなので、8分の7をクリアーしたことになる。
久我山駅のすぐ先にある駐輪場で働く同年配と思しき男性に「神社はどの辺りですか?」と尋ねると「お稲荷さんは次の橋を右に入ったさきですよ」と教えてくださる。
残り2kmの石柱を越えた先が宮路橋。稲荷神社交差点を横断し本日最後の立ち寄り先になる久我山稲荷神社に入った。創建時期は不明ながら、杉並区では唯一の湯立神事「湯の花神楽」を夏祭に奉納していることで知られている。
川面に水草が目立つようになり、井之頭公園が近づいてきた。
京王井の頭線の高架を潜り抜けて、マスクを装着する。
神田川の源流地点である水門橋に到着したのは午後2時少し前、本日の行程は120分だった。
園内には冬の陽だまりを満喫しながら老若男女があちらこちらを散策している。名物のスワンボートが池一杯に浮かんでいた。
江戸名所図会も「井頭池」には現在の数倍近い水面が描かれていて、三宝寺池(石神井公園)および善福寺池と並び武蔵野三大湧水池の一つだった面影が窺えた。徳川家康が江戸入府(1590)直後、鷹狩の際に地元民から情報を得て現地に赴き、すぐに神田上水の水源にするよう命じたことはよく知られている。かつて湧泉が7か所あったため七井の池とも呼ばれた。
池の手すりに腰を掛けて可憐なポーズを取るマスクなしで豊かな黒髪と つぶらな瞳の色白なお嬢さんを、若い男性が大きなデジカメを向けて撮影しようとしていたが、通行量が多くてなかなかタイミングが合わないのが微笑ましかった。
大正2年に東京市に下賜され、同6年から井之頭恩賜公園として一般に公開されている。
七井橋を渡り、井之頭弁財天に向かう。建久8年(1197)に源頼朝が平家追討祈願成就をに感謝して創建した。江戸名所図会には中央やや右下に描かれている。今週は火曜日のYAC散歩で訪れた大安楽寺に続き、二度目の弁財天参拝になる(今頃は我が家の弁天様?が友人3人と卓を囲んで熱戦中)。
人が比較的少ない池のそばのベンチを確保し、足元に新聞紙を広げて靴を脱ぐ。チョコナッツをつまみに定番のレモンチューハイで水分を取り戻した。
小20分の休憩を終えて、伊勢屋から漂ってくる焼き鳥の匂いを嗅ぎながら人波をかきわけて階段を上がり、吉祥寺駅から帰途に着きました。
次回は、日本橋川を歩く予定。(村谷 記)
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★2023年1月21日(土)「神田川最上流部(永福町〜井之頭池)」