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 村谷は、好天に誘われて多摩川七福神巡りを行った。下丸子・矢口地区にある寺社巡りで、平成26年に町おこしの一環として始められた。巡る寺社は当地で非業の死を遂げた新田義貞の子・義興にまつわる寺社が多く、いずれの寺社も歴史は古い。

 午前11時半、東急多摩川線・
武蔵新田駅に到着。まずは駅の北側にある頓兵衛地蔵尊に向うべく、環状八号線を鎌田方面に北上する。三つ目の信号を左折し、住宅街を駅方面に折り返すと大きな幟が目に入った。多摩川の渡し守だった頓兵衛が、南朝の忠臣・新田義興を逆臣と思い、矢口渡で船の栓を抜き溺死させてしまった。後に真相を知り罪滅ぼしのため建立したという。創建は662年前と古い。布袋尊が祀られていて、千客万来と家庭円満のご利益があるという。

 線路沿いに武蔵新田駅方面に折り返し、踏切の少し先にある矢口中稲荷神社に参拝した。凶作が続いたので今から210年ほど前に、京都の伏見稲荷から勧請して創建された。早速効果があり、その秋は大豊作だったという。福禄寿が祀られていて、財運招福と立身出世のご利益がある。

 踏切を渡り、駅南側の商店街を南下する。右手に樹齢700年の御神木・大ケヤキの梢が目に入る。新田神社の広い境内は七五三詣の飾り付けがなされている。正平13年(1358)に勇猛果敢を謳われた新田義貞の次男・義興が、多摩川の船の上でだまし討ちにあい、その祟りを鎮めるため村人たちが墳墓の前に神社を創建した。当地の名前の由来でもある。御神木は度々雷や火災で焼失したが、その都度若芽が出てきて今も健在であり、パワースポットとしても人気がある。境内には幼児づれの若い母親が数人いて、お参りの作法を教えていた。恵比寿天が祀られている。

 境内にいくつもある木のベンチの一つをお借りして、最初の水飲み&チョコナッツ休憩。

 さらに南下して商店街のはずれにある十寄(とよせ)神社に参拝した。矢口渡で主君に殉じた10人の家来が祀られていて、十騎(じゅっき)神社ともいう。毘沙門天が祀られていて、勇気や知恵を授けてくださる。

 さらに住宅街を南下して、多摩川の土手に向かう。多摩川大橋の袂近くに東八幡神社があった。鎌倉中期の創建で、江戸期には湯坂八幡神社呼ばれていた。弁財天が祀られている。広い境内の一角が小公園になっていて、ベンチも2か所あったが、先客がいたので退出する。

 土手を乗り越えて、草むらに降り立った。矢口渡の碑があり、多摩川に5か所あった 渡し の中では一番最近の昭和29年まで使われていたという。新田神社から1キロ以上も離れている理由は、川筋が変わったためだそうだ。

 正午を回っているので何人もが食事中で、ベンチの空きがない。少し離れた草むらに新聞紙を広げて昼休憩とした。

 帽子・タオル・ベスト・靴下を脱ぎ去る。チョコナッツとバウムクーヘンをつまみに、冷えた缶チューハイで一息。

 日差しが強いので途中から帽子をかぶり直し、大30分。

 土手を上り返して、駅方面に向かう。

 左手に延命寺の立派な塀が見えた。もとは蓮華院というお寺だったが、新田義興の祟りから落雷により焼失。その際に聖徳太子作とされる地蔵だけが火災を免れたため、再建後は延命寺と改称した。寿老人が祀られている。

 さらに北上して、氷川神社に参拝した。嵐から身を守る水難除けや疫病除けのご利益がある。大黒天が祀られていて、豊作や商売繁盛、出世が願われる。

 午後1時半に
武蔵新田駅から帰途についた。

 大きな幟が目につきやすく、高低差がほとんどなく、距離も短くてお手軽なコースでした。(村谷 記)


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★2021年11月11日(木)「多摩川七福神巡り」