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 久々の好天を利用して村谷は池上七福神巡りを行った。

 昭和56年に日蓮上人700年遠忌を記念して、池上観光協会が中心となり、池上本門寺周辺の七寺院を巡るコースが新設された。奉納された七福神像は、一刀彫の名工・平岡岳峰の作。
短いながらもアップダウンが多いコースで、池上本門寺や池上梅園など他にも見どころが多い。

 午後1時少し前に、都営浅草線・
西馬込駅南口から地上に出る。
第二京浜を少し南下し、本門寺入り口交差点から斜め左の小路に入ると、左手一帯の高台はすべて本門寺関係の寺院。

 すぐに登場するのが池上梅園。広大な敷地には紅梅220本、白梅150本が植えられていて、2月下旬から3月中旬が見ごろ。入園料は65歳無料とはありがたい。
梅園の長い塀が途絶えた少し先の左手に、弁財天を祀る厳定院がある。入り口には紫色の幟が立っていた。続く六福神とともに、いずれの寺社も入り口に七福神名が入った幟が一年中掲げられていて、お堂の七福神や、スタンプも年間を通して設置されていていつでも巡れるようになっていた。創建は正応2年(1289)と古い。参拝後、境内のベンチをお借りしていつものチョコナッツ&ペットボトル入りお茶の休憩。日差しが強いので帽子をかぶり出発。

 道の左右に次々とお寺が出現。参拝客とひっきりなしにすれ違うなかで、村谷のリュック姿は浮きあがっていた。

 総門を潜って久々に池上本門寺に入る。長い階段はきつかったが、高尾山登山再開の試金石として頑張り、何とか途中休憩なしに一気に登る。広い境内のあちらこちらに、何組もの参拝客の姿があった。

 参拝後は本堂の右手に沿って五重塔へ。国登録の文化財の周辺では、スマホ片手に上を見上げて撮影している人が多い。

 妙見道参道の幟に沿って右折し、池上会館の先にある寿老人を祀る妙見堂に参拝。銅板の屋根とケヤキの柱から成る小ぶりなお堂はバランスが出色で美しい。弘安5年(1282)に日蓮上人が入寂された霊跡とされている。

 アジサイ時期には特に人気がある妙見坂の急な階段を慎重に下る。
坂を下り切った先で呑川に突き当り左折する。散歩がてらに参拝に向かう人たちとすれ違う。

 少し先左手に
恵比須天を祀る養源寺がある。創建が慶安元年(1648)と比較的新しく、徳川八代将軍吉宗が鷹狩の際に立ち寄ったという。広い境内の一角にあるベンチをお借りして二度目の休憩。

 門外に出て呑川を戻り返す。

 池上小学校の先から総門方面に右折すると、右手に
池上鬼子母神堂があったので参拝、疫病退散を祈った。

 道路の反対側が福禄寿を祀る本成院。ここも妙見堂と同じ弘安5年の創建。

 呑川を渡り南下する。すぐ右手に十割蕎麦の店があり、店内はまだ込み合っているようだ。

 本門寺前交差点を右折し道なりに西進する。池上警察署の裏手に、大黒天を祀る
馬頭観音堂があった。
昭和36年設立と歴史は最も新しい。慶応3年(1687)に官軍が江戸を征伐した際に密偵としてとらえられ惨殺された渡辺建造の墓所があった場所だという。

 一旦、第二京浜に出て少し先から斜めの道に入る。
毘沙門天を祀る微妙庵があった。創建年次は不明だが、境内が広くベンチをお借りして三回目の休憩。

 南下して東急池上線の線路を潜り抜け、有難い名前の徳持小学校の先を左折、七番目の曹禅寺に東側から回り込んで入った。
布袋尊を祀る禅寺で、本殿左手横に京都三条大橋に建てられた欄干橋柱が安置されている。

 参拝を終えて
池上駅に戻ったのは午後2時を少し回っていた。ゆっくりと休憩できそうな公園などが見当たらず、缶チューハイは持ち帰りとした。

 見違えるように立派な駅ビルに改装されていた池上駅から帰途についた。(村谷 記)

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★2021年10月23日(土)「池上七福神めぐり(西馬込駅〜池上駅)」