夕方から雷雨の予報が出てはいるが、朝は好天のJR埼京線・板橋駅改札前に小林・山岡・田幸・村谷・山内の5人が集合した。
ほぼ8割方?改装が終了した駅舎を鑑賞し、東口から出て近藤勇の墓にお参りする。
新選組一番の剣の使い手とされ、明治維新後も小樽で樺戸集治監の剣術指南役として活躍した永倉新八の尽力で築かれたもので、蜂須賀正韶侯爵(蜂須賀小六の末裔の阿波藩主)の筆による追悼碑がある。過去の経緯はさておき、土方歳三とともに三人の肖像画が仲良く並んでいる。
旧中山道に出て、埼京線を踏切で渡り北上する。道の差中には途切れることなく飲食関係の店が続いており、念のため酒類提供の可能性を探ったはみたものの、確証は得られなかった。
板橋通りに突き当り、そのまま右折し、車の往来が途切れない国道17号線・中山道を横断して坂道を下っていく。
石神井川に突き当り、桜並木の緑陰が濃い右岸を遡ることにした。ここから先の本日の行程の大半を含めた敷地が、江戸期の加賀藩下屋敷跡で、最大で21万7千坪あまりあったという。100平米にも満たない都内の平均的なマンションに居住する身にとっては、想像すらできない広さだ。
加賀前田家の参勤交代ルートは現在の北陸新幹線とほぼ同じで、北国下街道から中山道経由の120里(480キロ)を、12泊13日で行ったという。中山道一番宿の板橋宿は、まさに下屋敷にぴったりの場所だった。
加賀公園の南端から入り、歴史を要約した記念碑などを確認してから、昼食休憩の場所探しだ。
目ざとい山内が高台にあるちょうど五人に手ごろな敷地を見つけてくれたので、シートを広げて座った。四方がブラインドになり、風がよく通る誠に素晴らしい場所だ。乾杯してから持ち寄りのつまみを並べる。例によってグローバルからローカル、プライベートな話題まで遠慮なく開陳し大1時間を過ごす。
最近は普通のカップ酒だけではなくブランド酒も参加するので、一段と舌鋒が冴えてきたような気がする。何とか目の前に並んだ飲食物を片付けて、川沿いの遊歩道に降り立った。
YSC散歩に度々参加された故・小谷(醇)兄が通院されていた帝京大附属病院の横を通過し、宿場の象徴だった石神井川に架かる板橋から旧中山道に復帰する。
二代目の縁切榎に、悪病との早いお別れ?共存?をお願いして、現中山道に復帰し、都営三田線・板橋本町駅から帰途に着く。
本日も傘いらずの散歩ができました。(村谷 記)
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コース
JR埼京線・板橋駅東口〜近藤勇の墓〜石神井川〜加賀公園〜板橋(石神井川)〜中山道・板橋宿〜縁切榎〜都営地下鉄三田線・板橋本町駅
<歩行距離:5km±α、歩行時間:1時間20分±α>
※「いたばしまちあるきマップ」のうち「板橋エリア」 地図を参照し、ごく一部の石神井川縁を歩きました。
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★2021年8月31日(火)「板橋・加賀公園から石神井川散歩(板橋駅〜板橋本町駅)」