村谷の城北地区散歩の2回目は、旧大山道を選択した。江戸時代に今の埼玉県や城北地区に居住する人たちが、大山詣に盛んに使用していたので、その名がついた。
正午少し前に都営三田線・板橋本町駅から出発する。
地上に上がり中山道を数百メートルほど北上してから左折して、イナリ通り商店街に入る。道幅は狭いがほぼ一直線に西に向かっていて、旧街道だった雰囲気がある。
両側の商店は7割方が営業していた。
右手に小高い銀杏の木々が見えてきて、清水稲荷神社に到着した。道中無事と疫病退散をお願いしてから退出する。
さらに道なりに進み、富士見街道を横断し、そのまま南下する。
左手に北豊島工業高校の広い敷地が続き、グラウンドではサッカー部員が練習中。
双葉町交差点で環状七号を横断、車の量はガラガラだ。
山中橋で石神井川を渡る。道脇には老舗の煎餅屋さんや和菓子屋さんが並んでいる。
右手に東武東上線・中板橋駅の商店街・「なかいた」があったので、コンビニに立ち寄りお茶のペットボトルを購入した。
これまではほとんどすれ違う人がなかったが、昼時とも会って駅付近の商店街は賑やかだった。
出発時は曇天だったが、次第に青空が増えてきてやや暑い。
右手に専称院があり立ち寄る。古い木製の賽銭箱がぽつんと置かれていた。
続いて轡神社(くつわじんじゃ)に参拝した。珍しい名前は徳川家康が立ち寄った際に馬の轡をとったからだともいう。百日咳や喘息を治す霊験があって、その時代には信仰が厚かったらしい。
日大病院入口交差点で、川越街道を横断する。新旧の川越街道に加えて大山道の旧道も集中していて六差路になっている。
右手一帯は広大な敷地の日大板橋病院。
この付近の地名は大山西町で、中板橋駅と下板橋駅の間に大山駅があるのは、旧大山道からきているようだ。
大山西銀座通りに突き当たり左折し、少し先を再び南下していくと、板橋交通公園に出た。
レトロな車両が何台も展示されていて、実際に乗り込めることで子供たちに人気がある。休日とあって大勢の家族連れがいたので、お邪魔にならないように一番奥の木のベンチに腰を下ろした。
いつもの休憩態勢になってから、冷えた缶チューハイで一人乾杯。蒸し暑さが一気に吹き飛んだ。
ベビーチーズ・韓国海苔・ミックスナッツという最近の御三家をつまみながら文庫本を眺めて30分経過した。
園外に出て富士神社通りを南下する。
富士浅間神社に着いた。文久2年築山の高さ8メートルある長崎富士塚は当時のまま保存されているので、国指定有形民俗文化財だが、厳重に周囲を固められているので足は踏み入れることができない。
さらに南下し要町通りを横断、城西大付属高校横を通過した。地蔵通り商店街に入り、ほどなく長崎神社に着いた。
本日の無事のお礼を申し上げてから、午後2時前に西武池袋線・椎名町駅にゴールインした。
城北地区の散歩道はまだたくさん残っていますので、しばらく継続する予定です。(村谷 記)
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コース
都営三田線・板橋本町駅〜清水稲荷神社〜山中橋(石神井川を渡る)〜中板橋駅傍〜専称院〜轡神社〜板橋交通公園〜富士浅間神社〜長崎神社〜西武池袋線・椎名町駅
<歩行距離:5.5km±α、歩行時間:1時間30分±α>
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★2020年9月21日(月・祝)疫病退散祈願散歩・城北地区第二回「大山道(板橋本町駅〜清水稲荷神社〜専称院〜轡神社〜富士浅間神社〜長崎神社〜椎名町駅)」