<6月30日(火)初夏の松尾芭蕉の足跡を訪ねる(森下駅〜木場駅)>
曇天の都営地下鉄・新宿線&大江戸線・
森下駅4番口前に、滝澤・田幸・村谷の3人が集合した。
本日の大半は
松尾芭蕉 の足跡を探訪するさんぽだが、先ずは
新大橋通りを渡った先にある
長慶寺 (「猫の足あと」さんのページ) へ。
芭蕉時雨塚を探す。発見したが由来は不明。
再び森下交差点を横断して南下、
カレーパンの元祖とされるカトレアの店舗の横から右折し、
深川七福神 寿老神・深川神明宮 に参拝する。
今日は
夏越の大祓 、我らは神歌を唱えることは省略して※
仕来たりに従って茅の輪をくぐり(「ホトカミ」さんのページ)本殿へ。
都内で最も幼児の比率が高い江東区らしく、神社の敷地の大半が幼稚園用になっていて、園児たちが元気で遊ぶ姿を確認しつつ参拝する。これ以上は晴れないように、これ以上は崩れないようにとしっかりとお願いした。
週末の
7月5日(日)に恒例の朝顔市が予定されていたが、森下駅から随所に雨天決行とのポスターがあちらこちらに掲示されていたのは、幼稚園の休業日に園地を使用するためかと推測しましたが…。
深川神明宮の前に
伊東深水誕生の地 の説明板が建っていた。
続く
八名川公園は誰もいない。
お馴染みの
芭蕉記念館 で最初の休憩。いつの日かには
奥の細道 を完全踏破が念願の村谷の視線は熱い。
記念館の庭から
隅田川テラス に出る。、芭蕉の旅立ち以来の俳句が壁面に表示されているが、いささかかすれていたのが残念。
平日のためなのか川面に遊覧船が見当たらないが、代わりに警戒船が機動中。
小名木川に突き当たる高台、
松尾芭蕉の銅像がある芭蕉庵史跡展望庭園で一休み。直接師事した弟子の注文で作成されたいう穏やかな表情の像は、2,400キロの行程を高い芸術心とともに踏破したの強さが伺えた。
池には前回いなかった小さな金魚たちが泳いでいた。
直ぐ下にある
正木稲荷神社に詣で、ナナメ前の
芭蕉稲荷神社 (「猫の足あと」さんのページ)は死後100年経って弟子が
芭蕉庵跡に造ったそうだが、俳聖の偉大さを今も物語る。
村谷は、旧東海道歩きで訪れた大津の
義仲寺 にあった芭蕉直筆の句碑を想起した。
江戸期には大変な盛況だったと思われる
萬年橋(「広重「名所江戸百景」時空map」さんのページ)を静かに渡る。途中の庭には
山百合が満開だった。
深川七福神 布袋尊・深川稲荷神社(「深川七福神会」さんのページ)に参拝し、尾車部屋、北の湖部屋、大嶽部屋、錣山部屋が林立する
横綱通りを抜けて
臨川寺 に。
芭蕉由緒塚の碑と芭蕉筆直し塚の碑をお参りして、清澄通りに近いコンビニで昼食のツマミの調整。
大正記念館の横から
清澄公園に入る。
まずは乾杯。本日もまた、梅雨の隙間の好天に感謝しつつ、持ち寄ったヘルシーなツマミを平らげる。
中央の芝生広場ではハト少々とムクドリの群れがさんぽしていました。
昼食後は隣接する
清澄庭園 (入場料、65歳以上70円)に入り、広々した池に沿った遊歩道を散策する。
清澄通りを横断して
江戸六地蔵第五番・霊厳寺(「伝統の日本紀行」さんのページ)に参拝。
清澄通りを南下して、ここも芭蕉像がある
採茶庵跡(「写真紀行・旅おりおり 」さんのページ)に。
村谷は生涯最後の?目標である
奥の細道 行脚を再び想起する。
深川七福神 福禄寿・心行寺 にお参りして、村谷にはなじみ深かった葛西橋通りを横断、首都高速をくぐって
深川公園の東側から
深川不動尊 に参る。
旧本堂に上り、身の丈1丈8尺の
おねがい不動尊 に本日の無事だけお願いし、それぞれが、本堂や内仏殿2階の四国八十八カ所巡拝所や内仏殿4階の日本最大級といわれる格天井画を参拝した。
フェンス沿いに
毒性強い 赤いキョウチクトウ 咲く江東区深川庭球場を左に見て、
深川七福神 恵比須神・富岡八幡宮 にいつもの通り横から入り、夏越の大祓の茅の輪を仕来たりに従ってクルッ、クルッとくぐって参拝して、本日の散歩の好天お礼を済ませた。
八幡宮の東側にある
八幡堀遊歩道にかかる優美な菊紋をあしらった
旧弾正橋=八幡橋(昭和52年指定の国重要文化財)(「書を持って街へ出よう」さんのページ)を渡り、
木場駅へ。
お馴染みの蕎麦屋・
そばうどん處 七福 弁天庵 木場店で、他ではなかなかお目にかかれなさそうなツマミを堪能して締めました。(村谷 記)
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コース
都営新宿線、都営大江戸線・森下駅〜長慶寺〜深川神明宮〜芭蕉記念館〜芭蕉庵史跡展望庭園〜芭蕉稲荷神社〜萬年橋〜深川稲荷神社〜臨川寺〜清澄公園〜清澄庭園〜仙台堀川〜採茶庵跡〜心行寺〜深川公園〜深川不動堂〜富岡八幡宮〜八幡橋〜永代通り〜東京メトロ東西線・木場駅
<歩行距離:約4Km±α、歩行時間:1時間30分±α>
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