西日本から北陸、東北地方では所によって今日も記録的豪雨が予想される日の朝、山岡・田幸・村谷・山内の4名が
狛江駅に集まった。
今日は、狛江駅のすぐ北西にある弁財天池から流れ出る岩戸川を暗渠化した緑地公園、下流の世田谷区に入ると喜多見緑道と名を変える小徑を歩く。
世田谷通りの先から岩戸川緑地公園に入る。両側に低木の植え込みが続く細い道をのんびりと進む。ただし、晴天、蒸し暑い猛暑日。
雲と風を呼んでいただきたいので、緑道をちょっと外れて、岩戸地区の総鎮守、八幡神社でお願いし、緑道へ戻る。
流れを復活?させた「岩戸川せせらぎ」もあり、快適だが、サクラなど大きな樹は少ないので、汗が止まらない。
喜多見緑道に入り、トイレもある喜多見公園で大休憩・昼食とする。
木陰を選び、まずはビールでカンパイ!
山岡の北海道土産の鮭トバなどをつまみに、先週の北信濃&奥飛騨旅の思い出話に花が咲く。
木陰のベンチでもわれ等年代の方が数名お弁当などを広げている。
1時間ほどのお休みで汗がひいて、再出発。
鎌倉時代には今の皇居のあたりに館を構えていた江戸氏が、室町時代に太田道灌に追われて、ここ喜多見の地に移り、「江戸」氏から「喜多見」氏に改姓し菩提寺とした、多摩川三十三ヶ所観音霊場・第四番、慶元寺に詣でる。
そもそも慶元寺は、江戸太郎重長が江戸城紅葉山の辺に天台宗岩戸山大沢院東福寺として文治2年(1186年)に創建、康正2年(1451年)祖先累代の墓碑とともに成城(元喜多見)へ移転、応仁2年(1468年)当地へ移転し、天文19年(1540年)、天台宗から浄土宗へ改宗の上山華林院慶元寺と改号した、とのこと。
長い参道を進み、山門手前右手に「江戸太郎重長公」の銅像があったので一礼し、享保元年(1716)に再建された本堂、現存する世田谷区内寺院の本堂では最古の建造物だという本堂に参り、雲と風呼びを願う。
本堂と庫裡との間に
法然上人幼少のお姿「旅立の法然さま」像があり、ここでも一礼し、墓地の中にそびえる
三重の塔の下に行き、見上げる。
隣接の、鬱蒼とした広大な森にたたずむ
喜多見氷川神社を訪ね今日の無事を願い、丁度参拝に来ていたご夫婦に喜多見駅への最短コースを教えて頂き、狛江市と世田谷区の境の道を進み、
世田谷通りに出て、
二の橋商店街に入り、左にあったこれまた浄土宗の
「慶岸寺」に今日の無事歩行お礼を申し上げ、
喜多見駅到着。
小田急線ガード下の「
餃子の王将」に入り、ナマビールで乾いた喉をうるおし、餃子&ナスと豚肉炒めと、それぞれ好みのアルコール飲料を頼み打ち上げとしました。
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コース
小田急小田原線・狛江駅〜岩戸川緑地公園〜八幡神社〜喜多見緑道〜喜多見公園〜慶元寺〜氷川神社〜慶岸寺〜小田急小田原線・喜多見駅
<歩行距離 4.9km;歩行時間 1時間10分+α>
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