ホームへ

★2011年8月27日(土)「矢切の渡し と 野菊のこみち(柴又〜松戸)」

さんぽ

<8月27日(土)江戸川の川風を浴びながら矢切の渡しと野菊の小道+戸定歴史館散歩>
 曇天、午後からはの予報、京成金町線・
柴又駅改札口に集合したのは、田幸、村谷、山内の3名。
休日のためか、緑色のおそろいのジャンバーを着用した葛飾ボランティアガイドが、駅に降り立つ観光客を待ち構えていた。

 手馴れた我らは、駅近くのセブンイレブンや百円ローソンなどで昼食の飲み物や食べ物を買い足す。
帝釈天の参道は、天候をものともせず、老若男女が大勢そぞろ歩き。昨日から明日までの3日間、寅さんまつりが行われていた。

 境内の猿回しを見物した後、本日の天候無事を祈って
江戸川の土手に出る。野球とサッカーのチームが並んで練習中。
我らは土手を下りて 矢切の渡し に向かう。
 対岸から25名の乗客を乗せた渡し舟が、珍しくエンジンを響かせてこちら側に向かってきた。
昨夜の雨を湛えた江戸川の流れには勝てないようだ。

 こちらからの乗客は我ら3名だけだったが、すぐに出発。いつもより下流まで下ったため、同様にエンジンの力を借りてたどり着く。船内には座布団型の救命具が山積みだった。川風の心地よさは変わらない。

 船着場の右手の江戸川ゴルフ倶楽部では、1組3名のグループがプレイ中。
堤防上の小公園・
矢切苑の脇から田畑に囲まれた野菊の小道に出る。雨の影響で少しぬかるんでいたが、矢切橋を渡り  西蓮寺・野菊苑 へ入ると時刻は11時半。石造りのベンチが空いていたので昼食とする。

 先ずはビールで乾杯。坂道で掻いた汗が引っ込んだ。夫々調達したヘルシーなつまみを並べ、今週の新潟・長野旅行で飲みすぎた?歌いすぎた?食べ過ぎた反省をしながら、天候不順だった旅行にも拘らず上高地散策時に穂高岳のスカイラインが望めたこと。
弥彦、安曇野、小諸や上田を 歩いている時には雨に降られなかった ことなど、思い出話で1時間の大休憩を終えると、今日も予報に反し“青空”が出てきた。

 
国道6号線を渡った右手にある 浅間神社 に参拝。長い階段が閉鎖されていた。居合わせた女の氏子さんから、3月の地震で大きな被害があったと聴いた。

 常磐線の線路沿いに、坂道を登り、水戸藩最後の藩主で徳川慶喜の弟・徳川昭武の別邸だった
戸定ガ丘歴史公園に入る。先ずは 戸定歴史館 。写真に堪能だった昭武が20世紀初頭の松戸や柴又の模様を鮮明に撮影した写真を鑑賞。欧米経験が豊富だったことを窺わせ、殿様の道楽を遥かに超えていた。

 続いて明治期の住居だった
戸定邸へ。われらを含めて2組だったので、ボランティアの男性の説明をたっぷり30分間お聞きした。同居していた実母と後妻が共に正室でなかったため、夫である斉昭や昭武の葬儀にも出られなかったというエピソードや、二人のために夫々の居室を造営するに当たり様々な心配りをしたという話が興味深かった。

 以前、 水戸街道散歩(→吉田兄の「 旧水戸街道餐歩記〜#1」のページへ )の際 に吉田・小川・長塚の諸兄と眺めた庭の見事さは変わらないが、スカイツリーが昭武公の書斎に追加されていた。

 外に出て車道を左折、常磐線を越え 
 松戸神社 で今日の好天転化を謝し、 旧松戸宿碑(「五街道の旅」さんのページ)を見学し、街道に戻る。
駅入り口の1本先にある
中華料理・龍鳳に入る。村谷が事前にネットで調べた通りの味の良さと安さに満足し、生ビール+紹興酒1本を空けたが、店員は夕方の松戸花火大会に提供する焼きそば造りでテンテコ舞。

 それでもゆっくりと美味を堪能し、
松戸駅から帰途に着きました。
駅や電車は、浴衣姿の若い女性で一杯でした。今夜は隅田川も花火大会だ。(村谷 記)


                     このページのトップへ戻る

 コース
  京成金町線・柴又駅〜帝釈天=矢切の渡し=西蓮寺・野菊苑(野菊の墓文学碑)〜浅間神社〜松戸市 戸定歴史館〜松戸神社〜JR常磐線など・松戸駅
     <6キロ、2時間>

            前の信越旅のページへ  次のページへ


←最後の水戸藩主徳川昭武が後半生を過ごした邸宅の庭

徳川家家紋縁の
アオイの群落 ↓