ホームへ

★2008年5月27日(火)「小石川後楽園から上野方面へ」

 昨日に続き、夏の気配漂うJR総武線・飯田橋駅東口に集合したのは、山岡・酒井・村谷の3名。
各自暑さ対策に工夫を凝らし、いざ出発。

 駅前の歩道橋を渡り、外堀通りを東進、
飯田橋職安前の信号を左折して、水戸黄門縁の大名庭園として知られる 小石川後楽園 へ到着、入場料300円、65歳以上150円、を支払い園内へ。
水戸藩中屋敷として初代藩主頼房が着工し、二代光圀が明の遺臣朱舜水の助言を得て完成させた中国風味豊かな回遊式築山泉水庭園。
 四季折々の花々が鑑賞できるが、今はサツキが咲き始めたところだった。
園内に九八亭があり、昼は九分・夜は八分に酒を控えるべしとの水戸家の家訓を発見し、殿様の昼夜の職務について意見交換した。
 文京区内の小学生が植えた
稲田では、昨日の強風で一部倒れていたが、酒井が修復加納と指摘してくれたので安心して先へ進んだ。

 園外に出て築地塀に沿って後楽園駅方面に進む。
日差しがどんどん強まってきたので、なるべく日差しを捜す。

 数日前、停車した
 後楽園遊園地(東京ドームシティアトラクションズ) のジェットコースターの最前列には、若いカップルがピースサインで楽しそうに乗っていた。

 
白山通りを横断したところにあるコンビニで昼食の用意を整えた。
 
壱岐坂を上り、富士見坂を左折した左手にある本郷給水所公苑に上がる。
12時近くとあって、園内のベンチや芝生には弁当持参の先客もちらほらいたが、木陰の草むらを確保し、各々持参のシートを広げて大休憩とした。
 先ずはビール・お茶で乾杯し、近況を報告しあっているうちに、周りがどんどん込んできた。
この辺りでは貴重な無料休憩所のようだ。汗をかいた後の塩気が利いた漬物や板わさは絶品だ。

 
 水道歴史館 での勉強&休憩を終えた後、東京医科歯科大学の背中を見ながら
 神田明神 へ向う。
正面の参道脇には、甘酒の天野屋はじめ何軒もの店が立ち並び、5月中旬に開催される神田祭には大勢の人で、広々とした境内が埋め尽くされるそうだ。
 関東独立を宿望した平将門が祀られているのは、広大な原野と沼地を開拓して当時では世界一の人口百万人の大都市に変貌させた江戸っ子の心意気に相通じるものがあるらしいと勝手に想像した。
 本日の好天に感謝し参拝した後、銭形平次の記念碑を探したが見つからず、裏参道を下ると左手に鰻屋がある。
昌平橋通りには有名な神田川本店があり、江戸っ子は鰻好きだったのだろう。

 本来ならばこれから秋葉原経由両国⇒蔵前⇒浅草を散策する予定だったが、暑さが増してきたことと、村谷が昨日は甲州道中(すずらんの里〜下諏訪)歩きだったことを考慮して、上野方面に転進することに決定した。

 
蔵前橋通りを左折し、日陰が多い昌平橋通りを北上、急な中坂を登りきった角が親子丼で知られた鳥つね自然洞、その先はもう 湯島天神 の境内だ。
観梅や受験シーズンには大変な賑わいだが、今は我ら同様に特に急を要する願い事がないらしい中高年男女が散策しているだけ。
 平成7年に建設された総檜造りの社殿の裏手に、山岡が王貞治氏が書いた「
努力」の碑を発見した。東京で生まれ育った縁で、この境内に設置されたものらしい。
選手・王貞治」と署名され、奥義を極めるべく毎夜、日本刀を素振りしたというエピソードが浮かぶ。

 
女坂から、
切り通坂を下り、不忍池に出る。
往時には周辺を占拠していた青テントやテレフォンカード売りが一掃されていて、すっかり清潔な環境に整備されている。池の中道を風に吹かれながらそぞろ歩きして、
弁天堂で参拝、売店で飲み物を購入し本日の労をねぎらいあう。
 
 遠足らしい汗だくの中学生の一団や、修学旅行生、外人観光客などが次々に通り過ぎる。
階段を上がって桜並木を下ると、夕涼みの散歩に来た?らしい人々で一杯。

 さらに
アメ横に向うと若年男女を含めて押すな押すなの人出で、大都会の盛況をいまさらながら痛感した。
 JR
御徒町駅で、再会を約して家路についた。(村谷 記)


                    このページのトップへ戻る
 当初の予定コース
  JR総武線・飯田橋駅〜小石川後楽園〜東京都水道歴史館〜湯島聖堂〜神田明神〜万世橋〜神田佐久間河岸〜浅草橋〜柳橋(隅田川に合流)〜両国橋〜相撲博物館〜旧安田庭園〜吾妻橋〜東京メトロなど・浅草駅
    <合計歩行距離 約8Km+α、歩行約3時間+見学時間>


             前のページへ  次のページへ(左近・池田・田幸・塩路・大和・東山の台北旅行)
.
.
.
.
.

さんぽ