★2008年2月23日(土) 「岩殿山」
高尾駅発の電車内で山岡・田幸・渡辺・村谷が合流。
17日に、夏目兄たちが「稚児落しコースの予定で岩殿山に登ったが、積雪&氷結のため、稚児落としには行かなかった」 との情報をいただき、本日は状況次第で猿橋駅方面へエスケープしよう、などと話しながら沿線の山々を見る。
南斜面は雪が消えて、杉は花を沢山付けて赤銅色、温暖化待ち。
北斜面には白い雪が張り付いている。
大月駅に近づくと、右手にひときわ目立つ岩殿山。大月市・秀麗富岳12景の一つだ。
大月駅到着。改札口で、初参加の植木大兄にお会いする。
道々、植木から、50歳を過ぎてから、山登りを始めたこと。
八ヶ岳、奥穂高岳、鹿島槍ヶ岳など本格登山に、中山さん、信江さん、19日のYSC散歩にこられた清野さんたちと、行かれたこと。
「岩殿山」は余りの低山で、馬鹿にして? (*^-^*) 来た事がなかった、とのこと。などをお聞きする。
桂川を渡り、岩殿城址入口から登りはじめると、間もなく富士山が見えてくる。
植木と渡邊が各々ニコンの10倍双眼鏡を持参してきたので、富士山登山道や花咲カントリー倶楽部でプレーするゴルファーなどの景色?を覗きながら?楽しみながら、岩殿山丸山公園・岩殿山ふれあいの館 到着。
丸山頂上で富士山を飽きるほど見て、ここ大月出身の三遊亭小遊三師匠の公演ポスターも貼ってある、ふれあいの館の内部は見学せず、トイレをお借りして、岩殿山頂へ向かう。
ジグザグ階段登り少々で、カブト岩・稚児落し方面への分岐に到着。ここから山の北側を見ると、結構雪が着いている。
やっぱり、猿橋へエスケープしようと決定。
ひと登りで稜線に。
女性6名組が大きなシートを拡げているところ。
われらは右の岩殿山・山頂へ。
富士山はお隠れになりつつあり、時に突風、変な南風が吹いてくる。
岩殿山頂標識うしろ、岩殿城解説看板の右下にある、広いあずまやが無人だったので、ここを食堂にすることとし、開店・乾杯。
それぞれ持ちよりのおかず、19日に一之江名主屋敷で摘んだフキノトウで田幸が作った蕗味噌、清水夫人差し入れの北海道産いかすみ裂き烏賊、などをいただきながら、お燗・日本酒で、植木先輩を中心に、新潟・古町・鍋茶屋などなど話しがはずんだ。
南風が北風に変わり、滝子山から雁ヶ腹摺山の後ろが雲で白くなってきて、気温が下がってくるのが体感できる。
1時間ほど滞在し、アンテナの建つ本丸跡から 『猿橋⇒』標識に従い、急坂少々と階段下り。
周辺にまだら雪の残る自動車道脇の 『岩殿山周辺案内板』前に到着、一息入れる。
『猿橋⇒』標識に従い、住宅街の道をだらだらと下って行くと、小川のほとりのトイレ&あずま屋のある公園に山頂手前の稜線でシートを拡げていた女性6名組が休憩終了中で、われ等も入れ替わりに休憩。
石動(いするぎ)団地の横から、福寿草を綺麗に咲かせている家などがある戸建て住宅街、TEPCO葛野川PR館前を通り、百蔵山と扇山が間近にそびえている景色を楽しみながら散歩。
なお、19日に、松戸・関口兄たちが、百蔵山と扇山に出掛けています。
葛野川を百蔵橋で渡って日本三(大)奇橋(=錦帯橋、猿橋と、もう1つは、神橋、かずら橋など諸説あり)の猿橋に寄って行こうと、中央高速道下、桂川手前まで行くと、雨が降ってきた。
これは、「冷え込まないうちに帰りなさい」ということか?
即、衆議一決、本日終業。
深い渓谷の川原に雪の残る桂川を宮下橋で渡り、宮下橋南詰信号、セブンイレブン前で、国道20号線・甲州街道に出た。
昨日、吉田・清水と村谷が 鳥沢駅から 笹子駅までの甲州街道歩きで、歩いた国道20号線、三嶋大明神前を左折し、猿橋駅到着。
電車を待つ間にも、晴れたり、雨が降ってきたりの妙な天気だ。
ガラガラ電車の2ボックスを占拠、囲碁談義をしながら高尾駅到着。
まっすぐ帰宅の途についた植木と別れ、残る4名は高尾駅南口・京王線ガード下「そば処 高尾そば 多摩の里」に入店、打ち上げ。
まずは ビールで乾杯し 板わさ、ごぼうてんぷら、漬物などをつまみに、「十四代」を呑み干し、「真澄」を追加。
今日は、関東地方で「春一番」が吹き、強風のため鉄道ダイヤが大きく乱れた、変な天候に見舞われた、短い山歩でした。
翌日は強い冬型の気圧配置で、関東地方は晴天なるも、強風が吹き荒れました。
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コース
JR中央線・大月駅〜(20分)〜岩殿城址入口〜(30分)〜岩殿山、標高:634m〜(50分)〜JR中央線・猿橋駅
<歩行時間 約1時間40分>
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