京王線・聖蹟桜ヶ丘駅に集合したのは、久々参加の吉田、久々の旧多摩聖跡記念館訪問を楽しみに来た田幸、38年ぶりに当駅に降り立つ村谷の3名。
先ずは、改札口前の京王ストアで昼食材料を仕込み、外に出ると、空が明るい。
今朝の天気予報でも「終日 雨」のはずだったが、晴れ男・吉田の威光を痛感する。
続いて、鎌倉街道を横断し、新大栗橋を渡り対鴎台公園へ。
明治天皇が、ウサギ狩や鮎釣りのため4度も足を運ばれ、休憩された場所で、当時の地名・連光寺が今でも残っている。
また、世界三大美女の一人だった小野小町が当地を詠った後撰和歌集にある古歌の碑もある。
…管理人追記:「武蔵野の、向の岡の草なれば、根を尋ねても哀れとぞ思ふ」 “向の岡”といえば、小田急線の“向ヶ丘遊園駅”や東名高速“向ヶ丘バス停”あたりを思い浮かべるが…
記念館通りの急坂を登っていくと、真新しい桜ヶ丘公園に到着。
予想を裏切る好天?の下で、男女2名の先生に引率された幼稚園児たちが、急斜面を身軽に駆け下り、駆け上がっていてわれら老人3名には羨ましい限りだ。
微かに見える奥多摩の山々、林立する高層マンション群、鎌倉街道をひっきりなしに行き交う車々、遅れ馳せながら錦秋の趣を漂わせはじめた木々のコントラストに、悩みや穢れが少ない?われらも、心を洗われる思いがした。
続いて、駅名の由来となった旧多摩聖跡記念館へ向う。昭和5年に、明治天皇の行幸を記念して旧桜ヶ丘公園内に当時としては珍しい近代様式で建築され、昭和61年の改修後は、多摩市が管理・運営している。
入り口前の天皇・昭憲皇太后の歌碑に参拝してから、館内へ(入場無料、月曜休館)。
中央には馬にまたがった明治天皇の銅像が鎮座し、周辺には藤田東湖はじめ勤皇家の書が展示されている。館内には、飲食は厳禁ながら洒落た休憩場所や喫茶室もある。入り口にあった多摩地区のハイキングマップをお土産に、出発する。
川ならぬ車道を跨ぐ元気橋、剣橋、紅葉に染まる多摩東公園、弓の橋を通過して、丘の上広場にたどり着いた。
ここからがよこやまの道・西順路の始まりだ。
足元の枯葉が積もった遊歩道は、すっかり乾いてて歩きやすい。
今や両側はすっかり住宅地になっていて、小田急線の新駅・はるひ野付近では高層マンションが何棟も建築中だ。それでも尾根道は、両側とも杭と鎖でしっかりとガードされていて、少しでも武蔵野の自然を残そうとした多摩市?独立行政法人都市再生機構?の心意気が伝わってくる。
12時を回ったので、本日の最高地点(145m)で、展望広場になっている防人見返りの峠で昼食とする。シートを広げて、さらに新聞紙を敷いて靴を脱ぎ寛ぐ。
先ずは久々の再会を祝し乾杯。280度の見晴らしを肴に話が弾む。
今月16日から四国遍路・最終版に挑戦する村谷が、先達・吉田から詳細にアドバイスを受けた。
日が差してきたのでみ輿を上げる。
新田義貞が分倍河原合戦前夜に野営した場所や新撰組も通った鎌倉裏街道などが集中し、当地が歴史的な要衝だったことが窺われる。
一本杉公園では、旧有山家・加藤家住宅が保存されている。床がむき出しになっていて、構造がわかるのは面白い。
ベンチで休憩していると、太った黒猫が寄ってきたので、ためしにスライスチーズを与えたら喜んで食べた。
田幸が、メタホ猫になってしまうと気遣いする。
東京国際CCの直ぐ脇を通過する。村谷の同僚、岡田&小船井が共にプレイ中の時間とあって、話題になる。
小山田緑地入り口に着き、田幸&村谷は唐木田駅集合〜鶴見川源流散歩の計画に合意する。
右手に唐木田駅の車庫が見えてきて、ゴールイン。時間が午後3時前では開いている店がないので、多摩センター駅まで電車で行くことにする。
高尾駅の京王線ガード下でおなじみの「そば処・酒処 多摩の里」の多摩センター店を発見し、ビール&焼酎で打ち上げた。(村谷 記)
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コース
京王線・聖蹟桜ヶ丘駅〜大栗橋〜向ノ岡橋〜対鴎台公園〜記念館通り〜都立桜ヶ丘公園(旧多摩聖蹟記念館)〜聖ヶ丘公園〜元気橋〜馬引沢公園〜剣橋〜多摩東公園〜弓の橋〜丘の上広場(以下「よこやまの道」)〜さくらの広場〜根株移植の森〜瓜生黒川往還跡〜もみじ
の広場〜古代東海道と丸山城跡〜展望広場(標高145m)〜分倍河原合戦前夜の野営地跡〜ウメの園〜並列する謎の古道跡〜古道五差路〜大軍勢が通った現鎌倉街道の谷〜シラカシの大木〜鎌倉古道跡〜一本杉公園(旧有山家・加藤家住宅)〜新撰組も通った鎌倉裏街道跡〜南野公園〜奥州古道跡〜中坂公園〜新田義貞鎌倉攻め古戦場伝説跡〜東京国際C.C.横〜奥州廃道跡〜小山田緑地口〜唐木田口〜大妻女子大〜小田急多摩線・唐木田駅
(歩行距離 約11km)
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※「よこやまの道」の記事がある「UR都市機構」のページへ
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★2007年11月6日(火)「多摩・よこやまの道」