<12月9日(火)目黒不動尊と林試の森公園散策(目黒駅〜武蔵小山駅)>

 本格的な冬寒が到来した日、JR山手線・
目黒駅中央改札付近に集合したのは、小林・百石・田幸・村谷・和智の5人。

 当初予定の行人坂はつい先日訪れたばかりなので、一本右手の権之助坂を選択した。

 実はこのコース、村谷が最近はまっている『鬼平犯科帳ゆかりの地を訪ねて』の中の「さむらい松五郎」の場面で、火付盗賊改方の同心・木村忠吾が目黒不動尊に参詣した折に、盗賊・さむらい松五郎に間違えられたという道筋に重なる。

 まずは、江戸期から存在していた権之助坂を下る。右手に長々と連なる商店街は、昭和レトロからエスニックまで多種多様なお店が展開中。

 目黒通りに合流する。もちろん、江戸期には権之助坂の続きだった。

 目黒新橋目黒川を横断する。

 江戸期には通じていなかった環状六号線を横断し、大鳥神社に入った。
大同元年(806)創建で、日本武尊を祀る。先客の初宮参りのご一同様の写真撮影が終わるのを待ち参拝。
 大鳥明神とも呼ばれ目黒不動尊とともに江戸中の信仰を集めた古社だ。特に、酉の市には大勢の参拝客が訪れたという。
 ちなみに江戸期の町奉行支配地・八百八町はほぼ現在の山手線内側に限られていたが、目黒不動尊と大鳥神社は特別に圏内・「朱引き地」に加えられていた、

 環状六号線は、江戸期には下目黒下と呼ばれた目黒不動尊への参詣道だった。

 交差点の少し右手から参道に入ると右手に連なる黄檗宗・海福寺五百羅漢寺は、かつての岩屋弁天の跡地に建てられたもの。

 長々と続く塀沿いの参道を回り込んで、瀧泉寺・目黒不動尊に入った。江戸五色不動の一つで、大鳥神社と同時期の大同3年(808)に慈覚大師が開創した。

 名前に由来の滝水は、真夏の堂々たる水量と比べてやや心細いものの、信仰心熱い父娘が、水かけ不動明王に柄杓で水をかけてお祈りしていた。

 男坂から急階段を上がる。かつては、畳平からではあるが標高3,026mの乗鞍岳・剣ヶ峰を難なく踏破した小林・百石・田幸の面々は、勇躍して本堂に辿り着く。今年一年の健康に感謝してから、本堂裏手の不動公園に移動。

 小さなベンチがある砂地にシートを広げて昼食タイム。

 いつものとおり、つまみをシート一杯の並べてから乾杯。例によって豊富な体験談を披歴する。

 百石が佐渡の銘酒「北雪」を持参してきたことから、本日の共通の話題は新潟。深川から大垣まで奥の細道(約2,400km)を踏破した和智や、百石・田幸・村谷たちが佐渡島南部を本橋運転の8人乗り「ノア」で踏破したときに、出雲崎海岸あたりから眺めた日本海に落ちる夕日の美しさを思い出す。芭蕉の俳句 、 民謡 や 演歌にまで広く歌われた絶景が懐かしい。

 昼食を終え坂道を下り、東門から林試の森公園に入る。

 かつて林野庁の林業試験場だった園内にはクスノキメタセコイアなど珍しい木々や巨木が点在しており。様々な色の紅葉をやさしい落ち葉道を逍遙しつつ鑑賞した。

 水車門から園外に出て細道を南進し、都立小山台高校の広大な敷地を眺めつつ、
武蔵小山駅にゴールイン。

 都内最長のアーケード街武蔵小山商店街 パルムに入り、「串かつ でんがな」で串カツやおでん各種に セロリの漬物と 好みのアルコールをたしなみ、打ち上げました。(村谷 記)


 コース
   JR山手線・目黒駅西口〜権之助坂〜目黒新橋(目黒川を渡る)〜山手通りを横断〜大鳥神社〜五百羅漢寺前〜目黒不動〜不動公園〜林試の森公園〜水車門〜都立小山台高校横〜武蔵小山商店街〜東急目黒線・武蔵小山駅
     <歩行距離:3.5km±α、歩行時間:1時間±α>


                     このページのトップへ戻る

                      前のページへ  
次のページへ 




.
.
.
.
.
.

さんぽ

ホームへ

★2025年12月9日(火)「目黒不動尊から林試の森公園巡り(目黒駅〜武蔵小山駅)」