村谷の本日は出社日だったが、依頼していた作業が完了していなかったため金曜日にシフトし、その代わりに標記散歩を行った。
午前11時に京急・新馬場駅に到着、第一京浜を横断し、品川神社の正面階段下に行くと、先生3人に引率された小学生男女生徒10人が整列している。服装からして街歩き?らしく、元気よく出発していった。
それを見送ってから急な階段を上って本殿に参拝し、本日の無事と日陰多かれとお願いした。首筋には最初から大きめのアイスノンを装着し、下りは女坂を選択してのんびりと坂をおりた。
真夏日が予想されており、また第一京浜を戻るのも芸がないので、天正一八年(1590)八朔(旧暦八月一日)に徳川家康が初めて江戸入りしたコース=中原街道をメインに行くことにした。
北品川交差点を左折して、御殿山通りを上っていく。一番高い場所にある尾根道が旧中原街道。最初は公園内で、頭上は両側の高い木々ですっぽりと覆われていて快適な散歩道から始まる。いかにも高級といったマンションや、原美術館、ホテルラフォーレ東京、セルビア・モンテネグロ大使館などの大きな建物が続く。
御殿山交番前交差点で八山通りを横断し、直進する。道幅は少し広がったが、右手の建物群が十分な日陰を保ってくれている。ブルネイ大使館、アイスランド大使館が続く。
品川プリンスホテル、高輪東武ホテルの先で柘榴坂に突き当り、いったん左折し すぐに右折直進すると、新高輪プリンスホテル等、プリンス系ホテル群の裏道が続き、日陰の確保に不足がない。
二本榎通りが現在の名称で、右手に弘法大師像が立つ広大な敷地の寺院・高野山東京別院が出現した。二年ぶりに本殿に参拝していると、横でリュック姿の白人男性が何やら掲示されている文書を熱心に読んでいた。尋ねられたら応えようと思ったが、その必要はなかったようだ。
門外に出て御大師様に一礼してから、ふと前方の高輪署前交差点を見ると、左手先に緑陰がある。高輪一丁目緑地で、お誂え向きに立派な大理石の長いベンチがあった。早くも御大師様のご加護と厚くお礼申し上げてから着座する。
正午にはやや時間があるが、スタミナ確保のため早めの昼休憩とし、帽子・タオル・アイスノン・ベスト・靴下を脱ぎ去った。まずは、キンキンに冷えた缶チューハイ、気温に比例してうまさが高まるようだ。ミックスナッツ・ベビーチーズの定番のつまみに、本日は昼食用に買い求めたミニ稲荷ずし3個が加わる。じっくりと30分強の休憩を取ってから出発する。
通りの両側には次々とお寺が出現し、江戸期には東海道のバイパスとして盛んに利用されたことが判る。伊皿子交差点で前回通過した魚籃坂との合流地点を横断する。
住所が三田に変わると、坂の名前も聖坂に変わって すれ違う人が出てきた。反対側から帽子・ピンクのTシャツ・白の短パン姿に身を固め、左手にペットボトルを持った長身で青い目がぱっちりした白人女性が坂を上ってきた。近づくとマスクをしてしまったので残念、お互いに黙礼してすれ違った。
三田3丁目交差点で桜田通りに合流、昼時でもあり一気に人波が行き交う。三田2丁目交差点で右手に見えた慶応仲通り商店街は、狭い道いっぱいの人通りだった。
慶応義塾大学東門横を通過し、東京タワーが どーんと出現した赤羽橋交差点で、芝公園に入った。
西側の緑地沿いに進み、増上寺の敷地を半周して境内に入った。
猛暑のためなのか がらんとしていて、本堂でゆっくりと参拝を済ませた。
初回の出発時と同じグラント松の下の木陰で凍らしていた方のお茶を飲み、山門を出た。
午後1時、芝神明宮(芝大神宮)に再び参拝し、十里七丁の一筆書きを完了した。
次は江戸六地蔵などを検討している。(村谷 記)
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★2021年8月4日(水)「東京十社めぐり 第八回=最終回(品川神社〜芝神明宮)」