21日(日)の雪辱戦を期して正丸駅、(標高:約300m)に集合したのは、村谷+野島夫妻の槍ヶ岳トリオ。

 途中の高麗駅でマンジュシャゲ目当てで多数のハイカーが下車したため、いつもより静かな正丸駅を出発したのは午前9時でした。

 それでもマニアが途切れない人気コースだけに、いつも前か後ろを誰かが歩いている山道〜急斜面を直登して、
伊豆が岳・頂上、(標高:851m)に10時10分に到着。一部分木々で覆われているものの、武甲山等の秩父の山並みや顔振峠まで一望できました。

 下りが苦手な村谷=野島コンビが急坂をおそるおそる尾根道までたどり着き、何度もアップダウンを繰り返しながら子の権現を目指す。何組ものハイカーとすれ違いながら
高畑山で軽食を取り、天目指峠(天目=小さな柿、指=焼畑農業の意味)を経由して登り返し漸く子の権現、(標高:640m)に到着すると、西吾野からの車の参拝客で一杯でした。

 創建が911年で大きなわらじと下駄があり、足腰の霊験あらたかのため3人でお参りしました。

 最終目的地の
竹寺まで2度の登り返しを経て到着しましたが、肝心の本堂が平成11年の火事で再建中でやや残念でした。

 境内に珍しい花(詳細不明)が咲いていて、カメラで接写している人がいました。名物の茅の輪をくぐり、鶯張りの石段を登り一路
小殿バス停に急ぎ午後3時無事に関東ふれあいの道を踏破することができました。タフなコースでした。

 バスがくるまでの30分間に、残った弁当と900ml入りの日本酒+焼き鳥の缶詰2缶を片付けました。
(村谷記)


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やま

★2003年9月23日(祝) 「伊豆が岳」

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